人生、東奔西走

自分の人生の備忘録のつもりで作りました。

54連戦スタート

昨年の11月末から年始にかけて、全ての土日に予定を入れて遊び倒してみるということをやったことがあった。

あのときは11/23の祝日から1/1の年始何もすることがない日まで、38日間の間仕事か遊びを入れていた。

 

そのときに「いくら楽しくても体力は尽きるんだから意図的にちゃんと休み入れないといけないよ」という自戒を得て、1月2月はそんなふうに過ごしていた。

 

 

さて、昨日13日は何もすることがない日だったので昼まで寝て買い物だけ行ってゆっくりとした1日を過ごしていました。再びそういう日がやってくるのは…5月7日。今回は3/14〜5/6の54日間にわたって仕事or遊びの連チャンがスタートします。

12月に懲りんかったかい!というツッコミはわかります。というか俺が一番突っ込みたい。

 

予定を紐解くと平日は労働。今週末から4週連続で週末はベルーナドーム。ベルドに行かない4/16〜17なんですけど、ここしか奈良遠征の予行演習をするタイミングがないのでこの土日で伊豆ヶ岳、武甲山の連日登山トレーニングをやります。そして翌週ベルドに行ったらその翌週から奈良遠征。

5/6働いたらその翌日5/7はようやく休み…という具合。前回夏までの週末の予定を組んだ時より悪化しています。いや、悪化というのか充実というのか。

 

なんにせよ再びまた過去にない連投連投を繰り返していくわけで、平日の過ごし方が大事になってきます。であるのに今日は早速、帰りの電車を逃すとか乗り間違えるとかいろいろ下手くそなことをしてしまった。無駄なき平日の過ごし方をやっていかないと途中で生活が破綻するだろう。今度は上手くやるぞ…。

 

ただ一つ違う点があって、12月と比べると今回は千葉にキャンプ行ったり、仙台に行ったり、名古屋にライブ行ったり、愛媛に帰ったりっていう遠距離遠征はほとんどない。

土日に予定は埋まり倒すがほとんど埼玉県内、所沢市内で完結するのだ。ならば…なんとか回るだろと楽観視している。

もし途中でぶっ倒れたらその時はその時。そこが限界だったということで、次はそこを限界点として予定組むだけ。

 

では、平日の睡眠回復も大事なのでこれにてとっとと寝ますよ。

ほぼ全て

年間食費50万円チャレンジ 2月編

※先月まとめ

keepbeats.hatenablog.com

 

「年間食費を50万以内にする」というおそらくめちゃくちゃ低いハードルに対して、低空飛行で直撃した1月。

今月は流石にペースを取り戻さねば、下半期には毎日白湯のむ生活になりかねない。そんなわけでやっていきましょう2月編です。

 

本記事は

 

 

 

という筋立てでお送りします。

 

2月の食費発表とその内訳

 

というわけで今月の食費発表。

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2月の食費合計は37,489円と昨月比で約1万円の減少です。

1月から比べて抑えられた要因としては、件の10日間の自宅療養期間中には買い出しとか行けなかったのでその影響では…?という気もしているんですが、まあ今は良しとしましょう。

相変わらず土日のコンビニが少し目立ちますが、これも1月に比べたら多少は良化しています。イレギュラーの多い月でしたので3月の様子を注視していきたいですね。

 

2月の体重推移

続いて2月の体重推移をさらっていきましょう。こちらです。

 

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なんか見事な横ばいだな…。そして、シンプルに計測日が少ない。

自宅療養期間は減量を一回忘れてとにかく栄養とることにしていたので、その期間はわざと計っていませんが、その後の月末にかけての計測漏れはシンプルに忘れていたものです。

しかしまあ、自宅療養とその後の体力低下を受けても体重維持で済んだという見方もできるかもしれない。そんな一ヶ月でした。

 

3月の目標

この記事を書いている時点で3月半ばなので、今更何を目標に…という向きもありますが。

まず1つには本来は2月にスタートさせる予定だった運動面の取り組み。こちらは先日の153^2*10^2チャレンジでもって始まりました。

日常的な運動習慣の取り組みを生活に仕込んでいきたいですね。花粉が飛びまくっているとはいえ、幸い寒さの底は打ったようなので。

 

具体的な数値目標としてはGW奈良遠征のタイミングで110キロを切っていることとします。3月末までに110を切るというところから早速下方修正が加わっていますが、とにかく目下では奈良遠征を成功させること。これに集中してやっていきましょう。

来週からはベルド通いが続きますが、間隙を縫って奈良遠征の予行演習もしておきたい。秩父方面の伊豆ヶ岳と武甲山を仮想釈迦岳、大峰山として予定を組んで見ようと思います。

とにかく体重に関して下方向のトレンドを作っていく。そういう向きで。

 

以上、2月分の食費チャレンジ報告でした。

153^2*10^2チャレンジ

まず、冒頭正式に宣言しておかないといけないことがあります。

 

2020年9月にスタートした、2021年7月16日までに体重を153斤(約91キロ)まで減量することを目指した「153チャレンジ」(第1期)

keepbeats.hatenablog.com

それが2021年7月に目標達成ならず、それどころかスタート地点より増量してフィニッシュを迎えるという大墜落をしました。

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続く2021年9月より「153チャレンジ シーズンAge28」と称してスタートした第2期。

 

keepbeats.hatenablog.com

 

泰葉のみならず川島さんまでおいでいただいての28歳のうちに痩せねば…チャレンジも2021年12月を迎えてタイムアップ…。

 

そうです体重153斤を目指すという153チャレンジは2度に渡って失敗しているのです。そこはしっかりと明言しておかないといけない。153の数字を借りてきて失敗したという事実をなかったことにはできない。

そんな情けない自分は年始時点での体重は121キロという始末で、現在食費年間50万チャレンジという方法でもって減量に取り組んでいますが…。

 

 

昨日のこと、減量に際してのモチベーション面の難しさを理由に夏までは山登り、そしてそれ以降冬まではフルマラソンの大会を目標に頑張ろうということに決めました。

フルマラソンチャレンジ2022のスタートです。で、そのフルマラソンチャレンジに際しては2019年のメソッドを用いると決めました。

2019年のフルマラソンチャレンジって、モチベーションの陽陰両面があって、そこにハートを燃やして歩いたり走り続けたりしていたわけです。

結局1年に渡ってこのチャレンジは続いている。ほたるちゃんと浅村栄斗の二人によって始まったこの挑戦。正負の感情がスタート地点だったけど、ここまで続けれこれたのはまぁ、二人のおかげではあるんだよね。浅村の選択によって「俺も俺の人生に意味を見出すから見とれよ」の見返しの精神からなにかを探し始め、ほたるちゃんの不屈の魂に感化され、俺も世界と勝負してやる!とフルマラソン完走チャレンジに挑んでいる。

五里夢中 - 人生、東奔西走

 

2022年においては、そういう具体的な自分以外の他者に関するモチベーションという事象が発生していない。いわば自分の中での「走ってみてえ…東京…」をモチベーションにスタートしたわけです。そう考えると2022年のほうが理解しやすい理由やもしれません。

しかし、2019年にあった執着じみた走る理由がないというのは不安要素の一つではあるのです。そこで2019年のメソッドをもうすこしじっくり掘り返してみました。

 

2019年…、あのとき実はもう一つのチャレンジが並行して始まっていたのです。

それがこちら。

keepbeats.hatenablog.com

東山さん2ndライブの千秋楽公演である台北公演に行けない代わりに…。当時住んでいた松山から台北までの直線距離1459キロ分を歩いたり走ったりバイクマシン漕いだりで移動しよう!というもの。

2019年の3月、フルマラソンチャレンジ2019を決めてほどなくしてこの台湾チャレンジもスタートして、2020年10月に完遂しています。高知マラソンのあった2020年2月時点までで700キロ分をほどを歩いたり走ったりしていて…。この台湾チャレンジがフルマラソンチャレンジ2019の達成に果たした役割は大きかったんじゃないかと。

台湾チャレンジのいいところは、後退することがないとこなんですよね。153チャレンジはある体重という目標値まで減り続けていくわけじゃない。ときには戻ったりするし…。そのゆらぎのストレスに耐えかねて挫折…という心の弱さは自覚しています。

 

そこまでわかればフルマラソンチャレンジ2022では、かつての台湾チャレンジのような「積み重なる数字」に基づくチャレンジを付随させればいいんではないかと思ったわけです。

そして、積み重なる数字というと一つ心当たりがあります。…そうです、歩数です。

さらに歩数というと私にはTANITAからもらった岡崎泰葉歩数計が手元にあります。

 

 

前置きがほんとうに長くなりました。

タイトルにある「153^2*10^2」という数字は歩数を示しています。

先日仕事中にExcelで適当に153という数字を入力してふと思いついたんですよね

「15,300歩も歩けば痩せるかな…、それを153日続ければ…。おっ、ちょうど153日後って8月じゃん。」

「いや、これ1日だめだったときにそうそうに挫折するな、リカバリが効かなさすぎる。それに15,300歩って2時間半くらいは歩く計算で無茶苦茶だ。」

「ただ数字のニュアンスはいいから15300*153でなにかできないか…」

 

といろいろ考えた結果、東京マラソン2022の開催予定日である2023年3月5日をゴールとして、その日までに「153^2*10^2」=2,340,900歩を歩くチャレンジを思いつきました。

今回のレギュレーションはたった2つ。

 

  1. 歩数として集計できるのは「3Dセンサー搭載歩数計 FB-741IM アイドルマスターシンデレラガールズモデル(岡崎泰葉)」で計測された歩数のみ。
  2. 通勤時には歩数計を持たないこと。

 

通勤時に持たないレギュレーションは、それをやると平日毎日6000~9000歩が稼げてしまい、チャレンジの難易度を思いっきり下げてしまうからです。逆に土日なんかは運動としてのウォーキング以外の生活歩数も計上していきます。

ウォーキング自体は火曜日からどんなもんかな…と始めていて、1時間で6000歩5キロというのが現時点でのベースタイムのようです。

以下、集計用のシートの様子。

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153^2*10^2チャレンジ集計用シート

 

こんな感じでやっています。毎日6500歩くらい歩けばいい。向こう1年毎日1時間ウォーキングで達成できるという非常に程よい数字に落ち着いたと思います。多分今後は平日に歩けなかった日の分を土日で取り戻すっていう2019年のようなサイクルになっていくでしょう。

1200歩1キロで換算してみるとこのチャレンジトータル歩数は1900キロオーバーというなかなかなチャレンジだなと。

 

なんにせよ三度153の数字を借りて、しかも今度は泰葉歩数計とともに歩いていくチャレンジ開催です。

小さな一歩を繰り返して、ワンモアステップを踏み出したした先に、NEXT STEPはやってくる。向こう1年一緒に歩いてくれるかい。今度こそ…153チャレンジの達成に向けて。

 

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42.195キロの誘惑

さる2月は昨今の情勢元凶に罹ってしまい、割としっかり体力を削がれるというようなこともありました。

私の減量の方はというと2月は完全なる停滞の時代…3月にはふたたび下向きの体重グラフを作っていきたいですね。

 

さて、今年は減量に際して具体的に食べる量を減らすための方法論として、年間食費の枠を決めてその枠内で抑えるという方法でやっています。

経済的に締め上げるというのは古今東西有効な手段で、食費抑えればシンプルに食糧は減りますからね。…が、モチベーションをいかに保つかってえとまた別の話で…。

 

七霊山チャレンジと今夏の富士山アタックのために痩せていかないといけないのはもちろんそのとおりなのです。けどこれ夏までは目標として機能するけども夏以降は…どうだろう。

冷静に考えると7月まではもう4ヶ月しかなくて、ここをモチベーションに月3キロのペースで痩せ続けたとしましょう。それで12キロ、ここ数年来一番いいところまでは落ちますけど、それでも3桁っすからね…。

 

夏以降のモチベーションを…と考えたとき、前のブログ記事でも書いていたんですが再びフルマラソンチャレンジが脳裏をよぎったんですよ。

それが月曜日の話。

 

で、東京マラソンについて調べていたら、あれ?これ制限時間7時間なの!?と

いや都心ど真ん中の交通を制限するわけだから、時間短く6時間制限だとばかり思っていたわ。そして、7時間制限なら1年準備をして完走にもっていくメソッドを持っている。そう気がついたときに、めっちゃ走りたくなってしまって…。

今日、東京オリンピックのランナーの人がアップロードしていたラン動画みてたんですけど、いいなー…都心ど真ん中のビル街を走るの。めっちゃ楽しそうじゃないっすか?

そんなわけで2023年3月に開催されるであろう東京マラソン2022を目標に、減量計画を進めていこうとおもいます。

 

まぁ、東京マラソンって倍率10倍オーバーの当たったらラッキー大会なので、2~5月開催くらいの7時間制限のフルマラソン大会で代替可とします。東京でなくても街ナカを42キロ走るの楽しいっすよ。高知もそうだった…。

さっと調べてみたところ、2月末の大阪、熊本、高知、3月の能登、徳島、4月に佐渡ヶ島、5月の富山とそれなりに候補はあります。日曜開催でも東京に戻ってくる方法はいくらでもあるから…と全国各地どこでも飛んでいく所存で。

 

夏までは山、そこから冬にかけては都市マラソンをモチベーションにちょっとは身軽な体を目指していく。自分自身の健康のためというのがどうもモチベーションになりきらないということらしいので、いろいろな人参を目の前にぶら下げながら運動していく。フルマラソンチャレンジ2022に向かっての具体的な方策としてのチャレンジもこの前思いついたので、それは次の記事でまとめることにします。

 

さあ来年の今頃どうなっているか。

生活を回せ

帰り電車を一本逃してしまって、家に帰ってから買い出しに行くのが微妙な時間になってしまった。いやはやまったく…

 

職場を出るのが少し遅くなったので、駅までダッシュしたのだけど、やっぱり如実に体力が落ちているな…もともと雀の涙ほどしかない体力だったのに、いまではもう吹けば飛ぶよなという感じ。

何でもかんでも後遺症とみなすのは嫌だが、やはり先月に昨今の情勢陽性判定くらって自宅療養期間を終えてからはそう感じることが多くて嫌になるね。

 

さて、少し未来の話をしますと、今週末からしばらくイベントの尽きない日々を過ごします。今週末の東山さんイベ、日曜に私的チャレンジ。来週三連休はオープン戦から4週連続で週末ベルド、という具合。

 

そこでタイトルの話。そんな風に土日遊び倒しスタイルを貫く中で、生活を回そうとしたら平日にやることしっかりやっていかないといけない。常備菜仕込んだり、洗濯物ちゃんと回したり、部屋の片付けとか荷物の受け取りとか、公的手続きとか…。いやー、それができたら苦労しないんですけどね。根がだらけきってるから、俺というやつは。

 

加えてもう一つ。冒頭話した体力増強の件。緩やかに体力の回復を待っているわけにもいかない時期になってきた。奈良遠征の予定日まで50日ほど。大峰山釈迦ヶ岳の踏破は今年夏の七霊山の旅完結のためには必要なこと。近畿まで余裕を持って遠征できるのはGWを除いて他にないからここは後ろにはずらせない。

コースタイムや標高差などを調べてみた感触としては石鎚山を登る体力を取り戻せばチャレンジできるだろう。その目安なら自分の中に持っているから、まずはそこを目標にやっていく。

話が堂々巡りになっちゃうけど、その体力増強に用いることができるのも基本的には平日という話。最近は仕事の昼休みにウォーキングから始めてみたりはしているけどもう少しペースを上げないとな…。

 

そんなことを話していると電車が最寄り駅に到着した。ブログを通勤電車の中で書くことで時間の有効活用ってわけ。さぁ急いで帰って飯食って片付けられることからやっていこう。

 

ところで。こんな文末に書き逃げすることじゃないんだけど、来年の東京マラソン挑戦するってなったら誰か乗る人いる?

 

中川かのんのあの日のMCを胸に歩き続ける8年間

昨年のこと。中川かのん2ndコンサートから7年を迎えて、あの日もらった言葉を温存し続けて、俺はまだまだ頑張ってるよという旨の記事を書きました。

 

 

上の音声配信でも述べていたんですが、このコンサートのMCの言葉「これから先の人生、大変なとき誰でもいいから助けてほしいって思ったとき、そんなときはかのんちゃんがいます、私がいます」というものがあるんですよね。

 

この言葉を抱えてきて、いざとなったら「あぁ…かのんちゃん助けてくれ」と思うことができるということで切り札温存してるような気分で生きています。

 

昨年の2月から今年の2月にかけて、自分をめぐる環境は大きく変化し…住居、職業、生活がガラッと変わりました。

この一年、「かのんちゃん助けてくれと願う」というカードを切りそうになったことは実際あります。

実際いくつかその兆候もありました。

 

さあ、「助けてくれかのんちゃん」というカードを温存し続けて2021年の3月3日までやってきました。来年の3月3日にもこのカードは持ち続けているのか、それとも切ったあとなのか。

図らずも今週のサンジを見て、カードを切れるのも成長だな…。と思いましたので、幾ばくかの心境の変化もありますが…。年度末なんとか乗り越えていきましょう。

 

振り返るにこの3月が前職最後の一山だったんだろうな。諸々転職活動とかぶっていたのも厳しい要因の一つだったのかもしれない。

が、ついぞのところでかのカードを切ったという記憶と記録がない。2021年もなんとか助けてかのんちゃんカードは切らずに済んだみたいです。…実際のところ去年これ使わなかったっけ…?と思って調べ始めたのがこの記事の発端なんですが。

どうやら2022年もこの切り札を手札に置いたまま戦ってもいいみたいです。

 

しかしまぁ…あの日からもう8年ですか。

いやなに、最近なんかこうして過去振り返る記事が多くて良くないなとは思うんですけど、人生大取りまとめ時期に来てるんですかね。

 

思い出に浸るだけでなく、未来の話をしよう。未来というか現在の話になるか。

かのコン2ndのラスト最後の最後の一曲って『歩いていくもん』という楽曲なんですよ。

 

アルバム『Colors』のラストナンバーにあたるこの曲。季節をめぐるトラック順で春夏秋冬と続いて『桜色卒業』で別れの春を歌った後に配置されているこの曲。

 

何かが終わりを迎えても、真実それで終わるものばかりじゃない。道は分かれても歩き進む日々が続いていく。そうだ、歩いていくもんだ。

 

奇しくも2014年2月のかのコン2ndは歩いていくもんを体現したような雪中行軍の果てにたどり着いたものだった。

そして期せずしてか、「歩いていくもん」という意地にも聴こえるこの曲名を胸に、いろいろなところを歩いてきた。

2014年夏に始めた山登りの趣味はまさにそれで、てっぺんまで「歩いていく」ことに血道を上げる趣味なのかもしれない。(それは俺がクライムを伴う山行をしないようにしているためでもあるが)

時は降って2019年に始めたフルマラソンチャレンジ。走るのではなく歩くところから始めたし、最後の高知マラソン後半は歩くも走るも半分ずつだった。そもそも7時間ギリギリのゴール到着は傍目に見た時、ほとんど歩いているようなスピードだったかもしれない。

今、2022年年始に受け取った泰葉のタニタ歩数計でもって俺は再び日々の歩数を気にする生活をしている。

 

ま、もちろん今まであげた3つ全て『歩いていくもん』が関係しているわけではない。登山のスタートにあったのはヤマノススメの影響だし、マラソンチャレンジの時に脳裏をよぎるのは『ステップ&スキップ』だし、泰葉歩数計と共に歩く時に脳裏をよぎるのは「ワンモアステップ」のワードだ。

 

となると俺が『歩いていくもん』によって連想するのは日々の生活そのものなのかもしれない。しんどい時に上記カードを切るかどうか悩むってのがその証拠なのかも。生活を、人生を続けていく時に、かのんちゃんのあの時の言葉が胸に生き続けている。それを力に変えながら、歩き続けた8年間だった。

俺は決して走れない。走るほどのエネルギッシュさは持ち合わせていない。だから歩き続けると形容させてもらった。これからも次の景色を見るために歩いていかねばならないんだろう。

 

歩くと言えば…。

金八先生シリーズでこんな言葉があった。「歩くという字は少し止まると書く。急がなくていい。一歩一歩しっかり進んでください」

今日は2月22日。8年前のあの日を振り返り、ひとたび立ち止まる。少しだけあの日が懐かしいけれど、8年前のそこにかのんちゃんがぽつねんと立っているわけじゃない。彼女もまたあの世界で光を放ち続けているのだろう。それを確認して再び歩き出す。

 

それじゃあゆっくり歩いていくよ。

 

嫌な夢を見たので宵越す前に吐き出しておく

昨日は夕方変な時間に寝落ちしてしまったというのもあり、ベッドに入るのが随分遅くなってしまった。

そのせいか、めちゃくちゃ変な…はっきり言うと嫌な夢を見てしまった。

 

どういう夢だったかと言うと、自分は実家にいて両親と弟二人と5人でテーブルを囲んでいた。なんの集まりだと思う間もなく、次男が「いろいろあったけど、大学に行こうと思う」という話になり、そしてなんやかんやあって母親が「で、いくら必要なん?」と答えるというもの。そこで自分と三男が「話が違う!」と異議を唱えるというもの。それに対して母が「じゃああんたらもやり直したらええやん」ということを言って、「なんでいまさらそんなこと言うのか…」と力が抜けた…というところで目が覚めた。

 

普段は目覚ましの少し前には目が覚めるんだけど、この日は目覚ましでハッと目が覚めるような感じで、それでいて不思議と寝起きのぼーっとした頭ではなく、さっきまで俺は実家のリビングでやいのやいの言っていた…そんな生の感覚が残っているようで、嫌な気持ちになる夢だった。たまにありませんか?目覚めても「なんだ今の現実感を伴った夢は…」ってこと。

 

そして、この夢が気持ち悪かった理由っていうのが、この手の進む道のことでついぞ腹落ちしてないことがあって、それを呼び起こされたからっていうのがあるんだろう。

いつだったかオモコロチャンネルで永田さんが「キレを宵越すやつはクソ」って言ってたのを思い出して、再び眠りにつく前にこれを消化しておこうとおもってこうして書いている。

 

言わなくていいこと…を通り越して言っちゃだめなことなのかもしれないけどまあ、安眠のためと思って、一夜の安眠のためにそんなこというやつなのかと思って見限ってください。

 

 

前置きが長くなった。いや複雑な話じゃないんですよ。

自分が高校入学後、両親との話でこういうものがあった。「高校卒業後の進路は現役での国公立大学のみ。」というもの。

自分自身田舎の公立高校にありがちな国公立信仰の中で過ごしたのもあって、別にそれ自体に違和感はなかったし、それに異議はなかった。

しかしまあ、それ故に自分にとってのチャンスはセンター試験が終わったあとは前中後期の3回のみ。そういうものだと思っていたし、そこでなんとか結果を残せてよかった。

 

風向きが変わったのは翌年。弟が高3のとき。上記両親との取り決めはもちろん弟にも適用されていて、弟の場合は高校卒業後就職する予定とずっと思っていた。というか両親も季節が結構下ってくるまでどう思っていたらしい。

それがある日「専門学校に行きたい」ということになった。別にそれはいい。俺が腹落ちしなかったのは、それを両親が割とスッと了承したこと。

そして、その数年後。今度は末の弟が浪人したいということになり、一年の浪人後私立大学に入学した。

 

俺が高3のときに進路について上記取り決めがあったのは、まあ金銭的事情だろうって察していた。それについて別に当時そういうものだと思っていたのは上記の通り。

それに俺はこれまでの選択について、前職の事も含めて、「当時の自分がちゃんと考えてだした道なら、それは間違ってはいない」という考えを持っている。だから、今現在未来人の特権をもって「あの時こうしていたほうが…」っていうのは意味のないことだし、過去の自分を馬鹿にしている。そんなことをするのは自分の納得を得られない。

 

しかし、それ以上に自分の納得を得ていないのは…、弟らが取り決め外の道を取ったことについて…ではなく、両親が高校当時の自分にその選択肢があることを決して明かさなかったことだろうと思う。当時の自分がちゃんと考えて選んだ道なら…というが、その選択肢が端から見えない状態で、いや、その選択肢は無いよと取り決めた上で、実はありましたなんてことを後出しで見せられたことについては腹落ちしていない。

 

その選択肢を見せられた上でも「いやもう一年勉強するのめんどいし…」とか「とっとと四国から出たいし…」と別に今と同じ道をきている気もするのだ。そのときに「いや、俺が我儘言っちゃいかんでしょ、長兄だし」みたいなことも考えて少し悦にいることもできたかもしれない。俺が聞き分けがよかったから面倒くさくなくてよかったですね…?とただ拗ねてるだけなのかもな。

 

一番ショックなのはそんなことを、選択肢を隠されていたことに対する鬱憤を未だに夢に見るほど気にしているかもしれない自分自身に対してかもしれない。

いやー、ほんとフロイト先生も爆笑だっぜ。

 

寝ます。