人生、東奔西走

自分の人生の備忘録のつもりで作りました。

ライオンズファンになったのは西暦何年なのかを確定させるための諸調査

皆様、新年あけましておめでとうございます。

本年もどうぞよろしくお願いいたします。

 

さて、2026年となりました。今年の持つ意味合いは11月下旬にライオンズ栗山巧選手の契約更改時の記者会見でもって大きく変わりました。

締めくくりの一年となる2026年シーズン、チームに何を残していくのか自分も可能な限り追いかけたいと思います。

 

そんな2026年シーズンを迎えるにあたり、長年棚上げにしていた自分を規定するデータを調べておこうと思いました。

ずばり「自分が西武ライオンズファンになったのはいつなのか」という点です。

一回はっきりさせておこうと思いまして。それでは早速振り返っていきましょう。

 

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アイマスと出会ってなかったら…の自分史ifルートを考える

8月2日、3日に横浜Kアリーナで開催されていたアイドルマスター20周年の節目を飾るライブイベント『THE IDOLM@STER 765PRO ALLSTARS LIVE ~NEVER END IDOL!!!!!!!!!!!!!~』に参加してきました。

 

DAY2公演の終わり、会場を出て横浜駅に向かう道すがらで会話の中で、自分は「アイマスに出会わなかった世界もあったかもしれないけど、出会ったんだもんな」というニャアンスの言葉を発していた。

会話の流れをとしては、初代の「運命の出会いを信じている?」という選択肢を起点に、自分たちにしたってアイマスと出会ったことは…という流れから出た発言だったと思い返している。

 

その翌日、前日の興奮冷めやらぬ中でふと脳裏をよぎった仮定があった。

「もしアイマスと出会っていなかったならば、自分の人生はどのように変わっていただろう…」

 

生活という複雑な事象の中で、ある一つの出来事が後にどんな影響を与えていたのかを完全に分析することは難しいだろうと思う。

一方、実感として「あの出来事はアイマスと出会っていたからだろうな…」と思うことも多々ある。

歴史のifルートをたぐるのは楽しい。本記事は自分の人生のifルートをたどるそんな一本。

 

 

アイマスと出会ってなかったら…の影響範囲

自分がアイマスに出会ったのは2012年で、アニマスを一気見してというものであった。

もし自分がオタクになったのもアイマスきっかけなら、影響範囲の見立ては簡単だったのだけど、自分のオタク人生のスタートは2010年に『涼宮ハルヒの憂鬱』シリーズの長門に出会ってからだ。

なので、「アイマスと出会ってなかったら、特撮オタクのライオンズファンという2属性で戦ってました」という簡単な結論にはならない。

だから、アイマスに出会ってからの影響範囲を見るときにはもう少し個別の事象について各々見ていくということになる。

自分がこれまで出会ってきた多くのコンテンツの中でアイマスがもたらしてくれた影響というのはどういうものなのか、語り尽くせないのだろうけど少し考えてみたい。

 

1)ライブ参戦について

NEIを経てこの記事を書き始めていることもあって、まずライブに行くようになったことへの影響を考えたい。

アイマスライブへの初参戦は2013年5月の舞浜でのぷちますかんしゃさいが最初。周年ライブに関して言うならば2013年夏の8thツアー横浜公演からだった。

人生におけるライブイベントの初現地参戦は2008年に今治で開催された海援隊トーク&ライブショー。

アニメイベントの現地参戦については2012年冬の水蓮寺ルカのリリースイベントが初で、ライブイベントでは2013年春のハヤテのごとく神のみぞ知るセカイのジョイントコンサートが初参加。

どこの断面を切り取っても、アイマスライブを以て自分がライブに行くようになったということはできないけれど、ただアイマスに出会ってなければライブを見に行くことがその後も続く趣味になっていたのかどうかはどうだろうか。

 

自分のライブ参戦回数は先日の学マス運動会day1を以て71回目だった。

そしてそのうち6割以上となる45回がアイマスでの参戦であった。

回数以上に、ライフステージの変化のタイミングでも途切れなかったということがある。

2015年の社会人1年目、愛媛に生活の拠点が戻ってもアイマス10thではプリンスドームにやってきた。

この10th参戦の経験が、愛媛居住時代にも「ライブは行けるな」という考え方につながったのだと思う。

 

もしアイマスに出会っていなければ…ライブを観に行くという趣味は大学時代に東京に近いところに住んでいたという事情でやれていた趣味ということで終わっていたかもしれない。

 

2)遠征について

愛媛からの参戦という話をしていて気がついたのだけど、そもそもライブというものに遠征という概念がくっついたのはいつからなのか。

大学を過ごした山梨から埼玉や千葉に行くのも十分遠征かもしれないが、ともに首都圏の範疇ではある。地方をまたぐような遠征はいつからなのか。

振り返ってみると、2015年1月に大阪で開催された原由実さんの2ndライブが初の遠征だった。このときは富士吉田→大阪の深夜バスを利用して遠征をしている。

 

原さんには四条貴音役を演じられていることをきっかけにファンとなっているので、ここにはもしアイマスと出会っていなかったら…のifが成立する。

「ライブとは自分の行ける範囲で開催されるときに行くもの」というその時までの自分の常識をこのときに取っ払ったとも言える。

 

この遠征があったからこそ10thプリンスドーム遠征も選択肢として上がってきたのかもしれない。10thのときはday1のその日の午前中まで松山で新入社員研修を受けてから所沢に向けて飛んだのだった。

このあたりから遠征、もっというと長距離移動とか日程的にギリギリの移動みたいなものに抵抗がなくなった節はある。

2017年と2018年にはデレマスライブのために愛媛からそれぞれ埼玉、名古屋に車遠征で行っている。

遠征、とりわけライブ遠征という選択肢を取れるようになったのはアイマスのおかげといえるんじゃないだろうか。

 

3)交友関係について

ライブと遠征というものに絡んで、一つ思うところ。

アイマスに出会ったのは大学時代だけど、その頃の友人たちとは今でもライブというものがあれば顔を合わせる機会がある。

会うたびに「久しぶりやな」「いやー、この前の◯◯(ライブ)からだから何ヶ月ぶりか」「…結構最近やな」というお約束じみたやりとりもある。この何ヶ月の部分が何年となる場合もあったりするけど、しかしタイミングが合えばライブのときには会うだろうという気持ちもある。

アイマスがなければ縁が切れてるなんて薄情なことは言わないけども、おかげさまで顔を合わせることが多くなっている面は間違いなくある。

アイマスがきっかけで新しい友人ができたこともある。この歳になって友人が増えるというのは、やはり共通の趣味のありがたさだと思う。

ライブ以外でも街コラボだったり娯楽施設コラボだったり、はたまたアイマスでドラフト会議やるからオンラインなりオフラインで集合なり、いろいろ口実を見つけて遊んでいる。

 

定型じみたやりとりといえば、ライブなりイベントなりで最後別れるときに「じゃあまた次は◯◯(ライブ)で」というやりとり自分はよく使う。

どこかのブランドで次を用意してくれているアイマスのありがたさからくる言葉になる。当たり前のことではなくて、アイマスが元気にやってくれているおかげだからこそなのだが。

 

4)ソーシャルゲームについて

765ASのみならず、シンデレラやミリオンにも踏み込んでいくことになったのだけど、それはアイマスに出会ってからすぐさまのことではなかった。

自分がアイマスにであったときすでにmobageシンデレラガールズはサービスを開始していたのだけど、その後自分がモバマスを始めるまでは10ヶ月ほどのタイムラグが存在している。

当時の自分はソシャゲに対して、ネガティブなイメージを持っていてイマイチ踏ん切りがつかなかったのだった。ゲームとしてどこまで面白いものなのだろうか、課金要素によって生まれるプレイヤーの差を自分はどこまで許容できるのだろうかなどなど。

 

だけども、流石に[鏡花水月]四条貴音がほしい…。そんな気持ちで始めたのがモバゲーであって、高校時代に少しだけプレイしていた怪盗ロワイヤル以来のソシャゲプレイだった。

ここでモバマスに入ったことでソシャゲだったり、スマホでゲームをプレイするということへ抵抗感は打破され、その後、グリマス、デレステ、ミリシタ、シャニマス、学マスと今日までスマホでプレイするアイマスは今日までバトンを繋いできた。

 

アイマスタイトルのほかにも、バンドリ、ウマ娘、ブルアカというゲームもプレイしてきた。これらのゲームを始めるときに、自分が10年以上前に持っていたスマホゲームたちに対する抵抗感はなかった。もちろん、いわゆるポチポチゲーからの進化、スマホの性能向上に伴ってゲームの様相が全然違っている点は考慮すべきだけど。

 

ゲームコンテンツとして、アイマスは自分のゲームプレイ環境を拓いてくれたのかもしれない。

 

 

5)俺が、お前を、

NEIのDay1のMC内のこと、アイマスの出会いを紹介するコーナーに寄せられたある律子Pの思い出。

アケマスで律子を選んでプレイしたあとに届くメール。その文面を見て、「俺が!お前!をトップにアイドルにしてやる!!!」と心に火がついたという趣旨の内容だったと記憶しています。

若林さんが上の太字部分をめちゃくちゃ気合い入れて読んでくれたというのもあるんですが、この律子Pの思い出紹介が心に残っていて。

 

振り返ってみるとこの向き合い方は、アイマスに出会ってなかったら自分が持ち得なかったスタイルかもしれない。

上述の通り、貴音に出会うより前に長門に出会った。他にも神のみの小阪ちひろなど、貴音に出会う以前に出会った自分史上の恩人キャラは何人かいる。

だけども、そうしたキャラを見てなんとかなってくれ…と願うときの自分の心情は「キョン!走れ!なんとかしてくれ!」「桂馬!根性見せてくれ!」というように、主人公に託して願う、これだった。

 

遡って思い返す。アニマス視聴後にxbox360と一緒に購入したアイマス2にて、貴音ルートをプレイしていたときのこと。

シナリオ上に大富社長が立ちはだかったときに「俺が…なんとかしなくては…」という、俺もあの世界にいる錯覚ゆえの使命感というか…、そういうものを感じたのを思い出します。

タイミングよく3つのボタンをミスなく押していかないといけない…!

自分で選択肢を選んでいってプロデュースをしないといけない!

託して願う相手がいなくて、プロデューサーたる自分がなんとかしなくてはいけない。

 

キャラクターとのこういう向き合い方は、アイマスと出会っていなかったらやってこなかったとも思う。(というかアイマスの他にはこういう向き合い方をしていないように思う。他に例を挙げるなら艦これは近いかもしれない)

俺が…!お前を…!のこの熱量は今日までアイマスを続けてきた車輪のどこかを担っていると感じるし、この気概を持ち続けていきたい。

 

ところで、当時の自分に芽生えた感情に使命感という言葉を使ったが、今日の自分はいくらかニュアンスの違う言葉がふさわしいように思う。

貴音と出会ってからもう10年を超える月日が過ぎた。

これからも日々を積み重ねて様々な景色を見せてほしい。その景色を共に見ていたい。

 

今の自分は、使命感というよりはここにいたいという希望によって今なおプロデューサーでいるのだと思う。だから俺が…貴方がたをプロデュースさせてほしい。

アイマスと出会っていなかったら芽生えなかったであろう感情を燃やし続けて、20周年のその先も共に走っていきたいと、そう思う。

 

6)その他

個別の事象についてアイマスがなかったら成してなかったことを備忘録として列挙しておきたい。

 

・47都道府県踏破

デレマス岡崎泰葉の故郷である長崎や、デレステ川島瑞樹SSRの舞台となった山形県銀山温泉などはアイマスと出会ってなかったら行っていなかったかもしれない。

中でも沖縄県は2016年に『今井麻美&原由実アコースティックライブ2016』の一度だけ。沖縄はついでに寄るということのない立地だからアイマスと出会っていなければ、未踏破のままだったかもしれない。

ちなみに、シンデレラ10th沖縄公演は有観客開催されていれば二度目の沖縄の予定だったが、何にせよ沖縄遠征はアイマスに縁深かった。

 

・フルマラソン完走

2020年に高知龍馬マラソンを完走したのだけど、このときのモチベーションは「フルマラソンを完走できたら俺は白菊ほたるを担当と宣言する」というもの。

2019年のほたるソロがデレステに実装された時いたく感動して、その翌日にテレビで愛媛マラソンを中継していたのを見て「これを成したら俺は…」となったため。

たった一度のフルマラソン完走はこのときなので、アイマスと出会ってなかったら、そもそもフルマラソンに挑もうとも思わなかったろう。

 

・日本七霊山登頂

2015年大晦日東急ハンズシンデレラガールズがコラボした際に購入した、岡崎泰葉が紹介していた木材の使い道に悩んでいたときに「これを持って日本の七霊山に登って霊験あらたかなものにしよう」と思い至ったもの。

富士山は別のモチベーションで登っていたし、石鎚山は新入社員研修で登ったから、他の5つの霊山についてはアイマスと出会ってなかったら登ってなかったかもしれない。実際、登山するなら霊山に拘る必要はないので。

 

他にも個別の事象はある気もするけど、一旦は主要なこれらのものを挙げておく。

 

 

 

if)アニマスで出会わなくても、どこかで出会っていたのでは…?

仮定の話の記事のラストをさらなるifで閉じるなというのはもっともだけど。

正直俺があの時にアニマスを見ようと思い至ってアイマスワールドと出会ってなくても、その後どこかで出会ってるんじゃないか?

 

アイマスと出会ってなかったら…のifでこれまで列挙したもののルートではなくても、その後どこかで出会ったりしてないかなということ。

 

ライブの項で話したけども、アイマスと出会う以前に水蓮寺ルカのリリイベ、ハヤテ神のみのジョイントコンサートに行っていた。

そして東山奈央さんと山崎はるかさん個人のファンではあったということから、このルートでアイマスに入ってくるのはどうだろうか。この二人はシンデレラの川島瑞樹、ミリオンの春日未来両名を演じられている。

この場合は、二人が出演しているからという理由でシンデレラのアニメ、ミリオンのアニメを見てそこから…という流れだろう。前者なら2015年、後者なら2023年がタイミングになる。

川島さんはデレマスアニメにシリーズ通して出ているわけではないから、後者のほうが可能性は高いように感じる。その場合2023年にミリオンアニメにハマってそこから…ということか。史実から10年遅れてアイマスに出会うことになるわけだ。

 

もう一つ別ルートとして2017年のアイマスパ・リーグコラボを挙げたい。

日本プロ野球パシフィック・リーグに所属する6球団が、球団の垣根を超えてコラボするこの企画。

実はアイマスがコラボする以前より2014年にウルトラマン、2015年に仮面ライダー、2016年にスーパー戦隊と3年連続で「親子ヒーロープロジェクト」として特撮ヒーローとコラボしていた。

つまり、ライオンズと特撮。自分を支えるジャンルのうちアイマスと出会わなかったら…の影響を受けていない二大ジャンルの流れを受けてのコラボ企画。

しかもこの年、アイマスコラボ特番にライオンズの選手としてコメントを出したのは当時ルーキーの源田壮亮だった。

2017年に自分はルーキー源田のユニフォームを買うくらいにこの選手に入れ込んでいる。「源田ほどの男がそう言うなら…」で興味を持ち、ウルトラマンレオ仮面ライダードライブ、ガオレッドの後継として、ライオンズとコラボしてくれる春日未来、城ヶ崎美嘉、ピエールの3人。ここを足がかりにこのルートからアイマスにハマっていく可能性は…このルートもありえる。

その場合でも2017年。

2015年の10thも見に行けていないし、ミリオン3rdツアーのLV通いもできていない。

 

色々考えたが、結局、自分がアイマスと出会ったのは2023年でも、2017年でも、そして2005年でもない。2012年に出会って今日まで続けている。

NEIのDay2でアイドルと出会った日のビデオレターが流されたが、あのビデオレターに本当に慟哭してしまったのは、出会いの日の思い出は各々のプロデューサーによって異なっていて、各人の胸に強く刻まれているからかもしれない。

 

さて、ifルートについてとりとめもないことを考えたところで、冒頭に立ち返りたい。

 

「運命の出会いを信じている?」

 

運命という言葉の語義には「人間の意志にかかわらず吉凶禍福」というものがある。

この意味を取る場合、運命の出会いとは自分の選択によらず出会っていたものと捉えることができるだろう。

延々もしアイマスと出会わなかったら…を考えたけど、もし自分とアイマスの出会いが運命なのだったとしたら、自分はどうやってもどこかでアイマスと出会ったとみなすことができる。

ここまで考えてきた「出会っていなかったら…」のifは意味のないことだったろうか。

 

www.youtube.com

 

ここで俺はアイマス20周年記念ムービーを思い返す。

「あの日、プロデュースしてくれたあなたへ」の文言で始まるこのムービー。

ゲーセンのアイマス筐体にコインを投入することでアイマスと出会った少年。

彼のその後の人生を描くこの動画は、ある一人を描いているようで、その実それぞれのプロデューサーの持つ人生の物語を思い起こさせる。

 

何かと出会う時、何かを始める時、そこには選択があるわけで。

俺はやっぱり自分のアイマスとの出会いは、自分ならざる何者かのめぐり合わせで配置されたものであるというよりは、思いつきであろうと、ふとしたきっかけであろうと自分で選択肢を選んだ結果と思いたい。

 

これはそのまま、今、そしてこれからも選択肢を選び続けていることを意味していて。

自分はグラデーションをつけながらも、出会ってからずっとアイマスのプロデューサーをやっている。

たぶんここから先もそうだろうなと思う。

それは人間の意志にかかわらない何者かの采配ではなくて、他ならぬ自分の選択として。

 

この記事で「出会っていなかったら…」のifを考えることは、選択の結果として自分が選び取った事象を振り返ることになった。

人生は結局、選択肢の連続で…、そして何かを選ぶときのモチベーションはやっぱり何かをしたいという希望ベースで考えていきたいと思う。

アイマスの見せてくれる景色を見たいと思う以上、自分はこの選択肢を取っていきたい。

 

選択肢のワードをきっかけに書き始めたこの記事は、これからも選んでいくしかないってことに落ち着いた。

選んだ結果として、次は2ヶ月後の大阪京セラドーム。楽しみにしてしばらく生活を頑張ります。

私の怒りの源泉

昨年11月のこと。

日中オンラインでTRPGをやっていて、終わったあとに流れでその日開催されていた日本シリーズを皆で見ていた。

第6戦、勝てば横浜DeNAベイスターズが26年ぶりの日本一となる一戦。

 

2024年のプロ野球は、自分にとってはライオンズが史上最低の成績に終わる地獄のようなシーズンだったけど、ポストシーズンのこの時期はライオンズのレギュラーシーズンはすでに終わっていたし、ある意味で純粋にプロ野球を楽しめる数少ない時期だった…わけがない。

このとき、Discordでつなぎながら同じ地上波チャンネルを皆で見るという形で同時観戦をしていたのだけど、ある選手が映るたびに自分は悪役のような言葉を吐き捨て続けていた。

 

その中で友人のうちから、その自分のリアクションについて「そんなにっすか?」という反応をもらうタイミングがあった。その瞬間の自分は「そりゃそうだぜ、なんたってこれは…」と話し始めようかと思ったけども、冷静に話せるはずもないだろうし長くなりそうなので詳細を語ることはやめておいた。

 

このときに気がついたこと。例の一件について、自分はそのときまで筋道立てて話すことをしていなかった。ライオンズファン同士であればは2022年から連なる一連の事象について怒りの時系列を共有できるのだけど、他球団ファンにとってはこの事象でライオンズファンが抱いている、最も強い言葉で言い表すべき悪感情というものは理解しがたいものなのではないか。

 

なので、今回過去の記事で書いている部分を引用しながら、なるべく筋道立てて自分の怒りの根源と理屈について書き残しておこうと思う。

ここでの目的は、共感や理解を得ることではなくて、「なるほどそういう理屈か」と理解をしてもらうこと。そして、この一件の特異性をわかってもらうこと。

プロ野球観戦や応援チームに対するスタンスの違いは個々人で違うだろうから、必ずしも自分の理屈・感情が絶対正しいものだとは思わない。

しかし、それを開示しないでいることも、実際相互理解からは程遠い。ここでいう相互理解とは、自分と他球団ファンとの間でのコミュニケーションのことだ。

 

毎度のことながら前書きが長くなった。ではやっていこう。

(以下、2023年オフの特定選手のFA移籍についてを振り返ります。

精神的に負荷のかかる事象を想起させますのでライオンズファンはご注意ください。

またホークスファンについても、2025年時点でホークスに所属しているある選手についての批判が主題となりますのでご留意ください。)

 

 

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サブスクのパーソナライゼーションを補完する何かは持っておきたい

最近、動画ではなくて音声。とりわけラジオを聴く機会が増えた。

1日のうち車に乗っている時間が長くなっていて、その間にやること、やれることはラジオを聴くことか音楽を聴くことになる。

電車通勤に戻りたいとは思わないけれど、両手と視界を確保しないといけない運転という所作は音声による娯楽に頼りっきりになる。

 

そんなわけで運転中は結構ラジオに頼っているんだけど、この前、ラジオを聴いていたら玉置浩二の『田園』という曲が流れてきた。これがぶっ刺さった。

「生きていくんだ それでいいんだ」のところもいいんだけど、そこに続けて「僕がいるんだ みんないるんだ」と存在を歌っている。

メロディの盛り上がりと相まって、この力強さに勇気づけられる。

 

なんで田園知らないんだ、と思われているでしょう。いや聴いたことはあるはず。しかし今ぶっ刺さったということなのかもしれない。

私が言いたいのは、こういう不意に食らう瞬間の余地は持っておきたいってこと。

 

私は音楽のサブスクはSpotifyを使っているけど、各人向けのレコメンドの精度はかなり高いように感じている。

「お前このアーティスト聴いてたよな?新曲出たで!」

「このジャンルってことはこの辺りも好きなんちゃうか?」

「今期OP群もおすすめ入れとこ!」と結構気の利いたことをしてくれる。

ただ、この関連付けは音楽のジャンル、タイトルの類似性、発売時期みたいな図鑑的、年表的なものに基づいて行われているだろう。

それで事足りる、十分というときが大半であるけども、それで自分が『田園』と出会っていたとは思えない。

 

今回自分はラジオのリクエストって形で出会ったけど、これは自分以外の誰かのレコメンドを受け取る機能として良いなと再認識した。

リクエストテーマが決まっているのが多いけど、あるテーマに対してどのカードを切るかは人によって違う話で、他の人の山札に何が入っているのかを知る機会として楽しいなと思う。

 

もう一つにはSpotifySpotifyの外の出来事を関連付けることはない、もっと言うと体験に紐づけてはくれない。

私はSpotifyで年毎に1つのプレイリストを作って、ある時に「なんかいいな」と思った曲をそのプレイリストに放り込むような形で残している。

今年の年始にコスモスEDを聴いて今後進む道に惑わないようにという気概をもらっていた時期がある。

ウルトラマンコスモス 〜君にできるなにか - song and lyrics by Project DMM | Spotify

この曲に関連付けてレコメンドするなら同じくウルトラマン関連楽曲になるだろうけど、自分としては「夢を追いかけて全てが変わる」という歌詞の文脈でこの歌詞を聴いていた。その文脈でのレコメンドはSpotifyにはできない。

Spotifyは私の感情面や置かれていた状況は知らないから無理からぬ話ではある。

 

 

雨上がりに工業団地の境目を走りながら、疲れのたまる週後半。そこでラジオリクエストで流れた『田園』がぶっ刺さる。

この例は「他者のレコメンド」がそのタイミングの「体験」にぶっ刺さったというもので、アンテナを外向きに貼っていたからこそって気がする。

完璧にパーソナライズされたサブスクは心地いいし楽なんだけど、そこで完結してしまうとこういう出会いは無くなってしまって勿体ないなと思うので、そこには意識的にやっていこうと思う。

 

人のおすすめにホイホイ乗せられがちな性質は持っていると思う。それはこれからも待ち続けていたい。

再び、生活の転換

2024年の年末最終営業日、関東進出以降お世話になっていた勤め先の最終出勤日を迎え、以降4ヶ月弱の無職期間に入っていた…。

 

というのが今回のお話。

 

年始〜先月にかけて、対面で会う機会のある人たちにはこの事情を一応話すことができたので、ようやくブログにまとめようと思います。話しておきたいな…と思う何人かには会うタイミングが無くてここで初出しになってしまうことは申し訳ないけど、もう新生活も始まって2ヶ月余り経っているからタイミングとしてはここらだろう。

 

2021年8月に所沢に引越し、9月には仕事も始め、そこから3年以上。一つの勤め先に3年以上いた方がいいというロジックの信奉者ではないから、そこからそこそこ続いたのは悪くない職場だったからだ。

 

そこから今回の選択に至るに何があったのか。ここもまた自分の備忘録として書ける範囲で残しておきたい。

 

まず2023年末くらいから、人を指導するというものが業務の中に入ってきた。これが一つのきっかけ。

勤務時間中にいくらか時間を割いて進捗の確認や方法論のレクチャー。具体的な技能のやり方を教えると言うよりは仕事に対するスタンスを指導して欲しいというもの。

この指導がうまくいかないからといって自分が叱責されるとか評価が悪くなるということは全くなく、指導のフィードバックを上席と話し合って、指導論について自分も改善を見ていく。

さて、では業務上そんなに負荷の高くなさそうなこれの何がそんなに問題だったのか。

 

…いや、あのこれそんなに負荷低い話ですか?

これは個人差だと思う。しかし自分にとっては結構重い話だった。

上司からは新人に対して「こう仕事を進めるように指導して欲しい」というオーダーがあり、自分としてもその意に沿うようにやってくれるように諸々指導指摘をしていく。だが、一向に改善を見られない。(これには自分と対象者が別部署の人間であって、仕事中に常時監視はできない、業務内容を把握しているわけではないというところも原因だったと思う)

 

この最中に自分の中に他者を叱るとか強めに言うという選択肢がないことに気がついた。これは昨今の時節柄のためというよりは、自分元来の気質だと思う。

理詰めなりで一生懸命説明することは指導する側の自己満足であって、相手がちゃんと変わるかどうかというのが肝要。結局自分にはそこの部分の能力がなかったのだろう。

人を変えられない、そう書くとそれはその通りだが、世の上司上席先輩はどうやっているのか。それとも自分がとびきり運の悪いサンプルAを引いてしまって打つ手がなかっただけなのか。

なんにせよ、暖簾に腕押しと自分が感じていたこの指導業務がとことんに自分を疲弊させていった。フラストレーションの原因になっていった。自分の業務時間を割いて実施しているのに成果の得られない徒労。

しかしこの人を指導する側に回るってこと、会社内で働き続けている限り、タイミングの差こそあれ逃れられないタスクになるだろうとも思っていた。この頃脳内には「会社勤めが本当に向いてない」とかなりの頻度でリフレインしていた。おそらくではなく確定で向いてない。

 

往復4時間という通勤時間も相まってダメージが蓄積していく。

電車に乗らずに済むようになった今ならよくわかる。満員電車は本当に人間性を削っていく。

関東進出後しばらくは「電車乗ってる間はYouTube見るなり音楽聴くなりボヘーっと過ごしていればいいだろう」とこの通勤時間を楽観視していたが大馬鹿もんだった。

おおよそパーソナルスペースの余地を極限まで削り取ることで成り立っている首都圏のコアタイム電車通勤は、なるほど音楽くらいは聴けるだろうが、それは鎮痛剤としての服用という意味で、電車通勤時間を有意義なインプットタイムとして使うことはあまりできなかった。

西武鉄道JR東日本他関東各鉄道会社の名誉のために言っておくと、まったく身動きも取れないということではない。実際周囲では頑張ってゲームプレイしたら、アニメドラマを視聴している人も結構いたし、自分も元気があればそうする日もあった。

再び個人差という言葉を使わせてもらうけど、四国にいた時に「公共交通機関だとパーソナルスペースがないからなぁ…」で平気で大阪くらいまでなら車移動を好んでた自分である。

電車移動への耐性の低さ、親愛なる西武鉄道というバフをもってしても日々の負荷になっていた。

 

こうした諸々の事情があり、せめて通勤は…と所沢辺りで働こうかなと思い始めたのが2023年の年度末くらいから。

その後年度変わって4月に、所沢にもう全部移したいということで退職の意向を伝える。

勤務先の体制変更みたいなこともあって、経験者が自分だけになる事情などもあり、引き継ぎについては自分も協力するのでということで9ヶ月後の2024年末を目処に…ということで話がまとまりました。

 

前段が長くなった。何はともあれ

そして最終出勤日の12月28日。

こちらからはほとんど仕事という仕事のない最終日。社長面談という形で最後の手続きをしていた。その時の会話で「今後何か夢はあるのかね」という話になり、次の仕事も決まっていなかったし、職業は夢ではなくて生活の方法であるからと思い「まぁ、こっちに来たのもライオンズのことがあってですし、シーズンシートでも買って一年応援できるような余生がいつか送れたらいいなと思います」というようなニュアンスのことを話した。

 

これが午前11時45分ごろのこと。

お世話になりましたと面談を終えて昼休みに入った自分の目に飛び込んできたのが、例の源田の週刊誌報道だった…というのは最強クラスのタイミングの悪さで笑ってしまった。いや、笑い事ではないのだが…。

 

しかし、なんにせよ。そういう大ダメージはあったもののこの日の最後の退勤を終えた時の開放感みたいなものは覚えている。少なくとも、当面。夏くらいまではゆるゆると次の仕事探しながら生活しよう、インプットも山のように…と。

 

 

1月には実家に帰り長めの帰省を終えた後所沢に帰還。

ハロワでの失業者登録はしたものの、自己都合失業者は失業手当までの待機帰還もあるし、その時期は開き直ってゆっくりしようと図書館から本借りて読みまくったり、パワプロの143試合史実スタメン手動ペナントを終わらせたり、1stガンダム完走したり…色々やってました。

ただ、自分の感覚としては思ったよりもインプットができない。節約しながらだと生活するのにも結構ターン数食うんだなという実感はありました。

それに目減りする一方の通帳残高と睨めっこしながらの夏までフリーというのは、やっぱり多分精神的にはプレッシャーがかかっていたのだと思う。今にして思えば。

それでいて本格的に切り詰めるとそのことを自覚してしまいそうで、変に節約に振り切れなかったのもある。昼下がりにコメダ行って本読んだりとかそんなこともしちゃっていたり…。

 

2月に入るとキャンプが始まったので日々ライオンズを追いながらそういう生活を続けていました。

3月に入るとオープン戦も始まる。

地獄の2024年シーズンを終えて…今年は西口監督をいただき、ライオンズ今年はやれんのか?蓋を開けてみるまで分からないが…。ともかくも、かかりすぎていた。

地元を離れ埼玉へ、そういう選択を単にチーム順位だけで正解、不正解を論ずることはできないだろうけど、それでもあんな思いはしたくない。それも西口監督の元で…。

稼頭央監督のファンはこんな切迫感で日々を過ごしていたのだろうかと思うと頭の下がる思いさえする。

なんにせよ、一見順調そうなキャンプ、オープン戦を経てのシーズンイン直前、今シーズンにかける意気込みってものにかなり押し込まれていました。

 

もう一つ、この頃実家からいろいろとよくない状況の話が漏れ聞こえてきたということ。

家族の体調だったり生活の状況だったり。

その結果としては自分の無職継続可能期間が短くなって、早々に働き始めた方がいいだろうなと思うことにもなったりしたのですけど。

 

こういうことがあって3月後半、夜の寝つきが異常に悪くなって、ある時は吐いて目が覚めるなんてことも起きたりしていて、今振り返るとあの時期が精神的な底だったろうな…と思うわけです。

 

この時に実家からの電話で言われたこととして「いざという時に頼る人間はもう他におらん」というものがあり、「俺しかおらんのか…」という怖さがあった。

仕事辞めていることはこの時点で伝えてなくて、再度安定してからでいいだろうと思っていた。

しかし、次頼られた時にはもう無い袖は振れない。労働再開前にその時が来た場合、実は俺も無職やってますというのは…なんかありありと我が家の崩壊が見えてしまった。

 

地獄の2024シーズンを脱却できるのか…?という2025年シーズン開幕直前の怖さと自分を取り巻く私的環境の恐ろしさ。ダブルパンチで結構参っていたことを思い出す。布団に入って寝なくては…と思いながらもそういう恐ろしさが堂々巡りで、起き上がってはPCに向かってハロワの求人をそれとなく探す。こんなことを焦燥感と動悸と共に延々繰り返していたら、まぁ消耗する。

 

このことがあり、4月に入ってから結構すぐさま動き始め、ほどなく次の仕事は決まった。

現在ドライバーやってまして、軽トラを駆って埼玉を中心に首都圏を巡っています。

新しい仕事の話はまぁそのうち機会があれば書くかもしれない。体はしんどいけど、運転は嫌いではないし、結構性に合ってる部分もあるなと感じる。なんにせよ、しばらくは一生懸命働かないといけない。

 

というのも、仕事が決まってからすぐに2週間ほど稼働開始まで待ってもらい、その間に急いで長年の夢であった北海道を一周旅行をかましてきた。納沙布岬宗谷岬をしばき倒して、これにて日本列島を構成する主要4島の東西南北それぞれの端を踏破することができた。この旅行記はおいおいじっくりやる。

なんにせよ、無職生活のフィニッシュに相応しくパーっとやってしまったわけ。

 

実家の懸念がある中、俺の行動はチグハグだなあ…とブログ書いてても思う。でもまぁこのタイミングを逃せばしばらくまとまった空白期間はないだろうし、見事な旅行に後悔はない。

 

チグハグ感の原因は明らかで、実家のことは心配であるしいざ何事かが起きた時に見捨てることはできないだろうなと思いながら、それでいてそこを第一優先にするほど義理堅くもない自分の生き方故だと思う。本当に家族想いなら今でも愛媛で暮らしているだろう。

なんかの要請があった時に拒絶できないのは、それをしたときに自分が耐えられないだろうからで、自分可愛さなのだと自覚もしている。

今更このあたりのメンタリティは変えられないだろうから、もう割り切ってやっていくしかない。

 

話を戻して、以上年明けからの4月過ぎまでの振り返りでした。

今振り返ってみて、本当に今年の開幕三連敗は勘弁してくれよ…と思った。よくそこから立て直したけども、あのホーム三連敗を受けての「今年もあかんのか…?この地獄の渦中をよりにもよって西口監督のシーズンで進んでいかないといけないのか」という焦燥…というよりほどんど爆発手前みたいな、はち切れそうな緊張感だったと思う。

 

 

そしてこの記事を書いていて気がついたこと。

実家からの連絡のくだりで書いた「いざという時に頼る人間はもう他におらん」という自分を崖っぷちに追い詰めたような言葉だけど、文字にしてブログを書いている今、西口監督の就任時の話を思い出した。

 

――1軍監督の就任を打診されたときのお気持ち。例えば、受けるかどうかっていうところで、何か揺らぎがあったりとか迷いがあった末の決断だったのかっていうのを教えていただきたいのと、本部長には、オファーをされたときに、どういうような口説き文句でオファーされたのかっていうのを教えていただけますでしょうか?

飯田 もうあなたしかいないです。もうお前しかいないと。わかってるでしょうと。チームの今の状況も全てわかってるし、実績もファームの監督として3年積み上げてきたし、もうチームの課題も戦力の状況もわかってるんで、西口しかいないんだよ。監督しかいないんで、ぜひよろしく頼むというところです。

西口 今の言葉をいただいて、心の中で俺しかいないのかとは思ってないですよ。大体ひと月ぐらい前にお話をいただいて、そこで少し考える時間をいただきましたけども、自分の中では、その考えてる間に勝てるチームっていうか、勝つようなチームにしていけるかなっていうことを考えた上でご返事させていただきました。

――ということでしたら、気もちがあって、それでもう受けるっていう前提で考えられてたっていうことでしょうか。どうやってチームを強くするかというと、すぐにもお話があった時にも気が向いたっていうのか。前向きだったっていうことですか。

西口 だからさっき本部長がおっしゃられたように、お前しかいないと言われたら俺しかいないのか。だから考えました。

西武・西口監督就任会見全文公開。「今、この場にいることが夢心地です」。 : 限界突パ

 

西口監督は今シーズンの監督受諾に際して「もうあなたしかいない」と要請され、「俺しかいないのか…」と腹をくくって受諾した。

自分も開幕前のブログでこのエピソードを引用している。

なぜあのとき…、「これ西口監督要請時の話を同じじゃん!」と思えなかったのか。そう思えば、思い込みの力であれほど追い詰められることはなかったんじゃないか?

今無理やり答えを出そうとすると、開幕直前の自分はそこに思い至れないほどに、2025シーズンと先の決まっていない生活を不安視し、余裕がなかったということなんだろうなあ。

 

さて、明日からはリーグ戦が再開する。首位ファイターズを迎えてのホーム3連戦。今井、隅田を再び同一カードに寄せての勝負。

本当に…まさか2025年シーズンここまで戦えるとはという驚きがある。外野が…本当に埋まるとは…。西川が活躍するたびに熱いものがこみあげてくるような感動がある。

これ以上、続けると話が逸れちゃうのでおしまいにしますが…。

 

まあ、なんにせよ生活、再び変わりましたというお知らせでした。

NPB12球団本拠地来訪備忘録

2025年シーズンも開幕してはや2週間。

我がライオンズは現在3勝6敗とスタートダッシュにこそ失敗したものの、カードスイープを決めればイーブンに戻せるという位置。

西川、渡部聖弥が順調なスタートを見せていて、課題の外野レギュラー争いをリードしており、残り1枠の長谷川も監督からの我慢して使うというコメントを意気に感じて追い上げて欲しい。

 

さて、私は開幕戦と昨日のベルドに行ったのだけど2試合とも敗戦。ライオンズは今日大宮でのゲームを勝利し、ホーム初勝利となったもののベルドでまだ勝っていない。

魂のホームで早く一つ勝利を飾って勢いをつけて欲しい。

 

そういえば、前々からこのブログで備忘録しておこうと思っていたものがある。

それがプロ野球本拠地球場にいつ行ったかという備忘録。

2025年シーズンも始まって、私がプロ野球を見に行くようになって15年。ここらで一つまとめておきたい。

時系列で紹介していきたい。

 

 

1.京セラドーム大阪

(初観戦2004年6月17日)

NPB公式戦をNPB本拠地で初めてみたのが、小学校の修学旅行で行った当時大阪ドーム阪神ヤクルト戦。

6/16と17のどちらかだったと思うのだけど、ヤクルト岩村のホームランを見た記憶があるので、調べてみるとそれは17日。

しかもよくよく調べるとこれが100号HRだったらしく、愛媛の学校が修学旅行で来ている中で郷土の英雄がホームランを放つ。これ当時もっと事前に調べていたらそこに盛り上がっていただろうに。

ちなみに当時の私は前年の阪神優勝フィーバーにあてられていたので、阪神を応援していて集団の中では浮いていたのを思い出します。

(当時のヤクルトは岩村だけでなく藤井秀悟もいて愛媛出身選手が厚かったのだ)

 

その後京セラドームとなってからしばらくご無沙汰していたのだけど、2017年の車中泊旅行の最中、石川県白山での登山を悪天候で断念したため、急遽下山して京セラドームに試合を見に行きました。

2017年8月10日 【公式戦】 試合結果 (オリックスvs埼玉西武) | NPB.jp 日本野球機構

 

到着直後に雄星が吉田正尚に打たれて敗戦。トボトボと車に戻って大阪のPAで仮眠して埼玉でのライブに向かったのを思い出します。

 

2.阪神甲子園球場

(初観戦2009年3月)

甲子園球場にはNPBの試合観戦で見に行ったことは一度もなく、全て春のセンバツ夏の甲子園で行ったものになる。

2009年3月の第81回センバツが初めてで、ありがたいことにその後も何回か母校の野球部には甲子園に連れて行ってもらった。

当時たった一人の放送部員だった自分は、生徒会や吹奏楽部等、応援に関する部活の軍団の一員として、クラスメートとは別便のバスに詰め込まれたのを覚えている。

自分の役割は逆サイドのアルプスから、自校の人文字応援の様子を撮影するというものだったので、甲子園球場を何度も入退場して半周ダッシュを繰り返していた。本当に夏の甲子園でなくて良かったと思う。

 

翌年からは後輩が何人か入部してくれて、カメラ2台による撮影体制が整い、この甲子園アルプス往復ダッシュは悪しき伝統として撤廃されることとなった。

 

高校を卒業後も、大学生のときに一度応援に行ったことはあるし、社会人になってからは夏に宇和島東が出場したときに大阪にいたのでバックスクリーン辺りから友人と気楽に見に行ったりもした。

自分としては高校野球の聖地としてのあの雰囲気が結構好きで、NPB観戦に染まりきった身としては、ゆっくり一日夏の甲子園のプレーを見たいと思うときもある。

 

 

3.MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島

(初観戦2009年5月24日)

2009年5月24日 【公式戦】 試合結果 (広島東洋vs埼玉西武) | NPB.jp 日本野球機構

 

NPB公式戦をその球団の本拠地で初めてみたのが、このマツダスタジアムでの一試合。

親に運転してもらって車で広島まで走り観戦をした。

マツダスタジアムは2009年開場なのでその年の話なんですね。今にして思うとよくチケット取れたな…。

2008年にライオンズが日本一になっており当時の自分は気合の乗った時期だったのだろう。なんにせよ初のライオンズ公式戦観戦である。応援歌を覚え倒して向かったのを思い出す。

そしてこの試合の先発は西口文也

私のライオンズ観戦歴はこの人で始まっているのだ。ま、試合は負けたのだけど。

 

コンコースのお店で買った尾道ラーメンの美味かったこと。

ナイター終わり、山陽道しまなみ海道を渡って家についたのは日付を回ってからのことだった。

 

マツダスタジアムも久しく行ってないし、また行きたい。秋山にも会いたいしな。しかし今はチケット取れるのだろうか。

 

4.ベルーナドーム

(初観戦2011年10月4日?)

2011年10月4日 【公式戦】 試合結果 (埼玉西武vsオリックス) | NPB.jp 日本野球機構

 

大学に入り、西武ドームへ行くことが現実的な距離となったにも関わらず、大学一年目の自分はなかなか西武ドームに行かなかった。

アパートの隣の部屋も同じ大学の人だったのだけど、ひょんなことからお互いにライオンズファンであることがわかり、それで一度一緒に行くことになった。

それがシーズンも暮れの2011年10月のこと。大学の講義を終えてから向かったことを覚えている。

 

初観戦記録が曖昧なのは、平日に見に行って結構しょっぱい展開で負けたというのを覚えていて、そこからの逆算。このシーズン9月10月で平日に負けている試合は3試合だけ。相手は確かオリックスだったよな…?でこの日ということにした。

 

ただ翌年からは普通に一人でも行くようになり、時と場合によっては大学の友人と連れ立っていくようにもなった。

 

その後社会人になってからも毎年のように来ていた。

2015年アイマス10th、2016、2017、2018、2019はそれぞれライオンズ戦観戦。

2011年に始まって9年連続で訪れてはいたのだけど、2020年はコロナの影響もあり未訪問に終わる。翌年2021年から所沢に越したので、2020年さえ来られていれば…とは思う。

2021年は8月後半に引っ越してきてそこからシーズン終わりまでに10試合前後。

2022年以降はファンクラブマイページに記録が残っているので、そこから調べてみると

2022年35試合、2023年5試合、2024年24試合となっている。

所沢転居後で80試合前後ということなので、大学時代と引っ越す前の社会人時代を含めると、そろそろ西武ドーム100試合観戦は達成しそうだ。

これから先の何十年かでまだまだ足されていく数字だとおもうので、これは通過点としたい。大事なのはいくつ見たかよりも、いくつ勝ったかであると思いたい。

 

5.横浜スタジアム

(初観戦2013年4月20日

2013年4月20日 【公式戦】 試合結果 (横浜DeNAvs中日) | NPB.jp 日本野球機構

 

西武ドームを解禁したことで、NPB観戦へのハードルがぐっと下がったのか、大学にいる間に関東圏の他球場を2球場初訪問している。

まずは横浜スタジアムでのDeNA中日戦。

私は定期的にライオンズ以外の球団を第2贔屓にしようとしていたことがあり、その候補として常に上がっていたのが同じく関東圏の青い球団であるベイスターズだった。

そんなこともあって、この日のベイスターズ戦を見に行っていた。

 

まあ、もっというと翌日の4月21日に『ハヤテのごとく』と『神のみぞ知るセカイ』のジョイントコンサートがありそのために横浜入りしていたという事情はある。

 

試合の方は中止にならない程度の雨が降り続き非常にその点で観戦しにくかったのを覚えている。

仕方ないとはいえ屋外球場にはこのリスクがついて回る…。

後日友人にチケットを貰ってDeNA阪神戦を見に行ったこともある。

この時は晴れのナイターで心地が良かった。行けるならまた行ってみたい球場の一つ。

 

6.ZOZOマリンスタジアム

(初観戦2013年6月29日)

2013年6月29日 【公式戦】 試合結果 (千葉ロッテvs福岡ソフトバンク) | NPB.jp 日本野球機構

立て続けに2013年6月に幕張のマリンスタジアムにも遠征。

こちらも日付の特定が容易だったのは、この日は原由実さんの始球式イベントを目当てに球場に行ったからであった。ちなみにこの時原さんのボールを受けたのが鈴木大地

 

試合はマリーンズサヨナラという熱い展開だったが、個人としては抗議に出てきた秋山幸二監督の迫力がとても印象に残っていて、一緒に行った友人とそのことで盛り上がっていた。

 

マリンスタジアムはその後、こちらに転居してから近くを通り過ぎることは多々あるが、中に入ることはなかった。

いかんせん所沢からは遠すぎるのだ…。所沢に越してきて幕張に行くのはちょっとなにやってるかわからないっすねという向きもある。

 

もし行くときはライオンズ戦以外、マリーンズの応援をやりたくてライトスタンドに混ざりに行くときだろう。マリーンズも長らく自分の第二贔屓探しの旅の候補であったから…。あの応援団はすごいよ。

 

7.バンテリンドームナゴヤ

(初入場2018年12月1日)

 

大学時代までに本拠地6球場を訪問したが、次は結構間が空いて2018年の12月。

この年アイドルマスターシンデレラガールズが行っていた6周年ライブ。この名古屋公演に両日訪問で訪れたのが初めて。

 

ちなみにこの12月1日に白菊ほたるのCMが発表されて、歓喜に打ち震えたリアクションを取って周囲の人に「良かったですねえ!おめでとうございます!」と祝ってもらったという出来事があった。ほたるPを名乗るようになるのはこれから14ヶ月後のことである。

 

その後ナゴドに訪れることはなかったけど…。個人的に行く未来が訪れるときというのが、もし涌井がドラゴンズでこのままキャリアを積み重ねて、選手としてラストまで突っ走る時。その時に引退試合などがあれば、これは馳せ参じたい。

もちろんまだまだ先のこととは思うが。ダルビッシュも頑張っているのだ、涌井も負けられないという気持ちは持っているだろう。

 

8.みずほPayPayドーム福岡

(初訪問2018年12月20日

初ナゴドと同じ月。2018年12月に当時は福岡ヤフオク!ドームに初めて行っている。

この冬に九州一周旅行をやっていて、福岡タワーに行った時にヤフドにも行っておこうと決めていたのだった。

もちろん試合はやっていないが、併設されているファンショップでなんか土産でも買おうかなと。長谷川勇也選手が敵ながら天晴なバッターだと常々思っていたので、長谷川のキーホルダーでもあったらいいなと思って行ったのだった。

ただ、この日は改装中だったかで休業中。

 

福岡タワーからそう遠くない、かといって近いわけでもない距離を小雨ぱらつく中で足を運んだものの、やはり魂が相容れないということだったのか。

一回はこの球場のレフトスタンドのあの気高いライオンズファンに混ざって応援してみたいという気持ちはあるので、リベンジするときが来るかもしれませんし、来ないかもしれません。

 

9.明治神宮野球場

(初観戦2022年6月5日)

2022年6月5日 【公式戦】 試合結果 (東京ヤクルトvs埼玉西武) | NPB.jp 日本野球機構

 

辻監督のラストイヤーということを覚悟して、観戦しまくった2022年。

この年はベルドに35試合行ったというのは上で触れたけど、ビジターにもあちこち飛んだ。

まあ、とはいっても甲府、浦和、戸田、横須賀…とイースタンビジターばかりだったけど、一軍戦ビジターとして神宮球場に初めて行ったのがこのシーズン。

6月ごろは連日の連チャン観戦に疲弊の色が強くなっていたのも事実で、この試合も追い打ちをかけるように敗戦だった。

疲れからか財布を忘れて観戦に行っていて、売店で名物のソーセージ盛りを買ったときにそれに気がついて、お金を払うすべが無い…?といそいでスマホSuicaにチャージして払った思い出あります。

 

ただ、神宮球場の雰囲気はとても好きですね。

屋外球場には屋外球場の良さがある。それは間違いない。

夏ナイター、ソーセージ盛り食いながらビールをかっ喰らって、チームの勝利に酔う。やりたいねえ。

 

10.東京ドーム

(初観戦2022年11月3日)

2022年、KOBE CHIBEN-高校野球女子選抜でのイチロー氏と松坂氏 ― スポニチ Sponichi Annex 野球

 

東京ドームに行くのが遅すぎたのかもしれません。

2009年のマツダスタジアムを自分でチケットを取って見に行ったプロ野球観戦のデビューとすると、そこから13年。

東京ドームに行かないこと13年というのはちょっと長すぎる。

 

翌年2023年2月にアイマスの合同ライブMOIW2023が東京ドーム開催が決まっていて、自分としてはそれの前に一回東京ドームの下見に行きたいという気持ちはあった。

しかしジャイアンツ戦はチケットも高いし、前述の通り2022年は辻監督ラストイヤーで死に物狂いのライオンズ応援を続けていた時期。シーズン中にはとてもとても…。

 

そんな折にイチローの率いる草野球チームと高校野球女子選抜のエキシビジョンマッチが東京ドームで開催されるとのこと。これは!と思ってチケットを買って初東京ドームに行ってきた。

 

ちなみにその後もNPB公式戦では一度も行ったことがなく、MOIW2023の2公演とアイマスラブライブの合同ライブの2公演で行ったことがあるのみ。

イチロー1試合、ライブ4公演。これが私の東京ドーム遍歴。

 

11.楽天モバイルパーク宮城

(初観戦2024年6月29日)

2024年6月29日 【公式戦】 試合結果 (東北楽天vs埼玉西武) | NPB.jp 日本野球機構

そして、現状最後のNPB本拠地球場。

楽天モバイルパーク宮城に行ったのは2024年6月のこと。

 

前日に山形開催の試合があって、その遠征をしたついでに仙台まで足を伸ばして観戦をするという経緯。

6月の終盤という程よい暑さでフローズンのドリンクが非常に美味しく感じる季節だったね。暮れゆく空を見ながらナイターが深まっていくのも趣があって良い…。

 

そして、マツダ西武ドーム、京セラと実はライオンズ戦をその球場で初めて見る時というのはライオンズが負け続けていたのだけど、この楽天モバイルでの1戦は勝利!ジンクスを打破してくれた。

源田のHRというなかなか珍しいものも見れたし、長年仙台に来る度に「いかねえとなあ…」と思っていた喉の小骨が取れたというものだ。

友人2人といっしょに行っていたのだけど、利害関係者はライオンズファンである自分一人。自分が普段どういうテンションでライオンズ観戦をしているのかというのをお見せできたのかもしれません。…いや、やはり本当の俺を見てもらうと思うならベルドのレフトスタンドになるだろうか。

 

ちなみにこの試合はユニフォーム配布日だったのですが、私は内野席観戦だったので配布対象ということでしっかりもらって、さらにユニフォームに背番号まで入れてもらう浮かれポンチぶり。

執着のシーズンにあって、一時野球観戦の楽しさを思い起こす。そんな一試合となりました。

 

 

 

 

 

というわけで、NPB本拠地球場の観戦備忘録をまとめてみた。

試合が特定できたものはNPB公式の試合記録を引っ張ってきたけど、懐かしい名前もちらほら…。いろんな選手をいろんな球場で見てきた。そんなことを改めて感じた。

 

しかし、マツダで見た初めてのライオンズ戦で初回にHRをかっとばしていたおかわりさんは、昨日のゲームでも最終回HRをかっとばしている。

改めてレジェンドっぷりを思い知らされたというものだ。

 

12球団本拠地探訪。いよいよリーチ。札幌ドームには間に合わなかったけど、エスコンがラストというのは却って良かったかもしれないね。本当に楽しみな球場だから…。

3469日前に終わったはずの物語が再び始まる 2025年シーズン開幕戦前夜

プロ野球ファン特有のレトリックに「2月1日こそ年明け」というものがある。

これはたいていの場合プロ野球のチームが2月1日にキャンプインしてそのシーズンを始めるから、というのが理由である。

2025年2月1日から数えて56日目の3月28日金曜日。

2025年シーズンのプロ野球は開幕する。

 

 

私は埼玉西武ライオンズのファンである。

昨シーズン悪夢のような1年を通じ、実際それはライオンズ史上最低の勝率を記録したシーズンを過ごして、今年にかける意気込みは強いものがある。

そもそも2024年シーズンにも強い想いを持って挑んだ。ライオンズを裏切ったすべてを見返してやりたいという私の想いは、カード一回り目が終わるタイミングですってんてんになってしまい、そこから勢いは転がり落ちるように連敗ロード。

打てない、打てない…怪我人も出る、投手陣は1点やればおしまいというプレッシャーの中で特にリリーフが苦しかった。

5月終盤にはレジェンドである松井稼頭央監督が休養という形で責任をとることとなり、その後任に渡辺久信GMが代行を務めるという体制となった。

実質的にけじめをつける人事であってその覚悟は一ファンである自分にも伝わってきた。

 

9月にようやく月間5割近くの勝率を記録して、来シーズンは戦えるぞ…。野村大樹や佐藤龍世といった面々が打撃において好成績を残してくれていた。

こうした好材料を持って来シーズンに入ればという明るい兆しもあったものの、私の胸には一つの懸念があった。

次期監督人事である。

 

渡辺GM兼監督代行は後に、「代行を引き受けた時点でシーズン終われば退任」という腹を決めていたという旨を語っている。

稼頭央監督がかような形で指揮棒をおいたこともあり、その責任を取るのは昔堅気なナベQGMらしいとも思っており、私個人も2025年シーズンの監督は新たな監督になるであろうことは予想していた。

報道ではいろいろな候補の名が挙がった。辻元監督の再登板や、秋山幸二工藤公康伊東勤といったライオンズOBかつ監督経験者の招聘。また、落合博満元ドラゴンズ監督やアレックス・ラミレスベイスターズ監督といった完全に外部の血をいれる人事案も報道されていた。

その中で、いわゆる既定路線ルート、どの球団であっても二軍監督というのは次期一軍監督の候補にあがってくる。

2024年においてライオンズの二軍監督は西口文也であり、そして私が懸念したのがこの西口さんの一軍監督昇格であった。

 

西口さんの手腕を疑問視してではない。むしろ私は西口さんのファームでの優勝争いについて勝ちにこだわっている言を聞き、こういう勝負に拘る性格は一軍でこそ活きるのかもしれないという期待もあった。

一軍投手コーチから二軍監督となったこともあって、ライオンズ現役選手の多くを見知っているし、人柄についてはいまさら述べるまでもなく信じられる。

 

なぜ、懸念したか。

一軍監督とは敗戦のその批判を一手に引き受ける役職である。2024年シーズン、稼頭央監督が一部ライオンズファンからの批判を受けていたのも見ている。

勝てなければ全て言われるものだ。キャンプ日程や攻撃采配、選手の起用…、うまくいかないことの全てについて批判されうる、一軍監督とはそういうポジションだ。

昨年稼頭央監督が置かれていたそういうポジションに西口さんが配置されることで、そういった批判にされされるところを見たくないという思いが私の中に生じたのだ。

 

報道が西口新監督を軸に進み始めたころの私のツイートは以下のようなものだった。

稼頭央のときのような負けた腹いせでただ監督を叩きたいだけの言説を、自分個人は認めないという意味。

批判する声あれば、擁護する自由あり。

 

このとき「内部昇格なんて球団はチームを変える気があるのか」という意見もあったが、この批判は後に発表される鳥越ヘッド、仁志コーチ、立花コーチ、大引コーチ、辻竜太郎コーチという怒涛の外部コーチ招聘で薄まることとなり、自分自身も納得をした。

立花コーチを除けば、現役時代、コーチ時代含めライオンズから縁遠いコーチ陣であった。

そうした外部コーチ陣の多くはこれまでの手腕、実績は確かなものもあり、スパルタで選手を鍛え上げていこうという方針にもブレはないように感じた。大学に通って指導者としての勉強をしていた大引コーチの起用にも本気度を感じた。

なにより91敗したチームで、しかも歴史上最底辺レベルに打てない面々をなんとかしようとやってきてくれた野手コーチの面々である。鳥越ヘッドに至っては91敗を忘れないようにと背番号にして背負ってくれてまでいる。

こうした強い想いをもった外部コーチの招聘によって、西口新体制、いけるかもしれません…!という実感を徐々に得ていったのである。

 

一方、西口さんの采配については就任当初からバッシングの対象になることがままあった。

外崎修汰の三塁コンバートについては、昨年チーム内ではトップクラスの打撃成績を残していた佐藤龍世とのレギュラー争いとなって試合に出れるのが択一となり、スタメンの層が薄くなることを懸念して、批判されることがあった。

また、平良海馬のリリーフ再転向についても、どれだけのリリーフとなっても先発のほうが貢献度が高くなるものだという面から前時代的采配としての批判もあった。

龍世絡みでは、オープン戦の一時期突然試合に出場しなくなったことに関して、上記外崎コンバートの件もあって不当に冷遇されているのではないかという文句がオープン戦のスタメン発表ごとに出ていたりもした。最近の野村大樹起用に関しても同様の声がある。

 

これら批判に対して自分としての思いは、ファンは表面的に外部に出ていることしか情報として掴んでいないのだから、見えている面だけで球団や監督を批判するのは一面的なことだというもの。

また、ある采配の背景には何らかの理屈があり、一概に否定できるものではないのではないかというもの。

 

外崎コンバートについては、源田外崎の黄金の二遊間は年齢的にもバトンタッチを考える次期はそう遠くなく、同時にやるのはチームにかかる負担が大きい。まず外崎から後継セカンドにバトンタッチして、いつか源田も…という筋書き。

これは再建期にあるチームにとっては当然考えうるべき新陳代謝の選択肢である。また、外崎自身も腰等のコンディション不調でスタメンを欠場することが近年ままある。さらに打撃に集中した際の上振れ期待値については源田のそれよりも大きい(2018、2019年のキャリアハイは忘れられない)

そしてオープン戦時点ではあるが、三塁専任外崎の打撃は好調に見える。シーズンに入ってからも楽しみだ。

 

このように批判されうる采配一つ取ってみても、また一面からみたらある程度の理屈はあるのだ。

 

もちろん、私だって野村の二塁手オプションをもっと試してほしいとか要望はある。

だが、何度も繰り返すようだが球団、首脳陣からしか見えないこともあるわけだ。

野村は秋に持病の手術を実施していたというのもあるしコンディションには十分注意を払っているのかもしれないし、西口体制下における二塁手の理想は守備重視のものなのかもしれない。

なんにせよ、ファンはある程度から先は憶測でしか語れない。であれば、前向きな憶測を語っていきたい。

私が西口新監督の采配への批判に立ち向かうことがあれば、こういう思いを根拠にしてである。

 

 

 

さて、前置きが長くなった。

2月1日のキャンプインから56日。

悪夢の2024年シーズンが終わった昨年の10月9日から数えて170日。

我々ライオンズは再び勝負のシーズンに入る。

どん底からの再起、泥にまみれて培った克己心を今見せるときだ。

 

そんな3月28日の開幕戦だが、私個人にとってはもう一つの区切りである。

 

 

遡ること3469日前。2015年9月28日。

ライオンズの偉大なエース、一人の大投手が引退試合を行った。

 

その人こそが2025年新監督を務める西口文也投手である。

 

その日、私は何をおいても西武プリンスドームに馳せ参じたかった。

が、当時の私は四国で働いていて木曜日に日程が発表された翌月曜日のナイターは難しすぎた。

 

ありがたいことに世にも珍しい引退試合の代理観戦をお願いして、その日に配布された西口さんからのポストカードを譲り受け取ることができたことで、取り返しのつかないことにならなかったのは僥倖であった。

 

だけども、あの日西口文也のラストボールを見届けられなかったのは、自分の選択の誤りとして心に残ってしまっている。

選択の誤りとは、行ける場所にいなかったという点である。遠く四国の海沿いの街から、行けずにごめんじゃないでしょうに…。

 

その日から6年弱が経過した頃、私は埼玉西武ライオンズの本拠地に転居した。

そして3年余りが経過してこの春、私は開幕戦のチケットを握っている。

今年は過去2シーズンと違って、開幕戦をプレイボールから観戦をすることができる。

 

西口さんの引退試合から10年弱が経った。私は今、ここにいる。

自分から見て正とするこの選択も、また別の一面からみたらとんでもない大馬鹿者かもしれない。しかし、今はこの情熱を持って地獄に行ける。

 

そもそもこういう衝動を、自分の人生にもたらしてくれた最初期の一人が西口文也その人である。

このブログ『人生、東奔西走』の”西”の字は西口さんからもらっている。

keepbeats.hatenablog.com

 

同時期のブログ記事に西口さんへの憧れを語っていた箇所があったので引用する。

自分も西口さんのように広い心で、おおらかに生きたい。

それでいて、西口さんが時折見せる、こだわり。

最後まで先発にこだわり、完全試合を逃しても「ここで負けたらただの負け投手」と勝利にこだわり…。譲れないものをもっている芯の強さ。

勝利への飽くなき執念はいつまでも見習っていたい。

西口文也さんについて - 人生、東奔西走

 

思い変わらず、いやあの頃よりもライオンズへの執着は深みを増して2025年シーズン、西口新監督と勝負の一年が始まる。

これまでも投手コーチ、二軍監督として背番号74の背中を見てきたが、一軍監督就任は重みが違う。ライオンズユニフォーム組のトップに立つということなのだ。

あの日グラブを置いて引退した大エースに、再びライオンズを託す始まりの日としての区切り。

 

 

前述の通り、私は当初西口さんには批判の対象に上がりやすい一軍監督に就任などせず、ファームでも一軍投手コーチでも次世代のエースを育て続けて供給していく役回りをしてもらう、その方が良いと思っていた。

 

だが、西口さんは監督を引き受けた。

その時の飯田本部長の口説き文句は「もう、あなたしかいない」というものだった。

ライオンズ球団の最後の切り札。エース再び、である。

 

振り返れば、2024年シーズンの大敗はライオンズ史上最悪のシーズンだった。野手の低迷に関して言えば、パ・リーグの歴史上最低でもあった。

生きとし生ける全てのライオンズファンが見てきた最悪のシーズン。自分にとっても悪夢のようなシーズンだった。

そんなチームを立て直すこの一大事業を担うのだとしたら…、「もう、西口さんしかいない」のかもしれない。私もそう覚悟をきめることにした。

 

このくらい大見得を切ったのだ。勝ってくれなきゃ困る…と思う。

しかし、同時に勝負の世界、簡単にいくばかりではないとも理解している。

ファンにできるのは信じて託すのみ…。

 

そんな自分の不安をいなすかのように、狭山不動尊に奉納された西口さんの絵馬は力強い。

やはり西口文也は、飄々としていて、それでいて勝利への執念を燃やしている。

そこにあったのはただただ、『勝』の一文字。

 

2025年シーズン、さあ開幕だ。

 

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