8月2日、3日に横浜Kアリーナで開催されていたアイドルマスター20周年の節目を飾るライブイベント『THE IDOLM@STER 765PRO ALLSTARS LIVE ~NEVER END IDOL!!!!!!!!!!!!!~』に参加してきました。
DAY2公演の終わり、会場を出て横浜駅に向かう道すがらで会話の中で、自分は「アイマスに出会わなかった世界もあったかもしれないけど、出会ったんだもんな」というニャアンスの言葉を発していた。
会話の流れをとしては、初代の「運命の出会いを信じている?」という選択肢を起点に、自分たちにしたってアイマスと出会ったことは…という流れから出た発言だったと思い返している。
その翌日、前日の興奮冷めやらぬ中でふと脳裏をよぎった仮定があった。
「もしアイマスと出会っていなかったならば、自分の人生はどのように変わっていただろう…」
生活という複雑な事象の中で、ある一つの出来事が後にどんな影響を与えていたのかを完全に分析することは難しいだろうと思う。
一方、実感として「あの出来事はアイマスと出会っていたからだろうな…」と思うことも多々ある。
歴史のifルートをたぐるのは楽しい。本記事は自分の人生のifルートをたどるそんな一本。
アイマスと出会ってなかったら…の影響範囲
自分がアイマスに出会ったのは2012年で、アニマスを一気見してというものであった。
もし自分がオタクになったのもアイマスきっかけなら、影響範囲の見立ては簡単だったのだけど、自分のオタク人生のスタートは2010年に『涼宮ハルヒの憂鬱』シリーズの長門に出会ってからだ。
なので、「アイマスと出会ってなかったら、特撮オタクのライオンズファンという2属性で戦ってました」という簡単な結論にはならない。
だから、アイマスに出会ってからの影響範囲を見るときにはもう少し個別の事象について各々見ていくということになる。
自分がこれまで出会ってきた多くのコンテンツの中でアイマスがもたらしてくれた影響というのはどういうものなのか、語り尽くせないのだろうけど少し考えてみたい。
1)ライブ参戦について
NEIを経てこの記事を書き始めていることもあって、まずライブに行くようになったことへの影響を考えたい。
アイマスライブへの初参戦は2013年5月の舞浜でのぷちますかんしゃさいが最初。周年ライブに関して言うならば2013年夏の8thツアー横浜公演からだった。
人生におけるライブイベントの初現地参戦は2008年に今治で開催された海援隊のトーク&ライブショー。
アニメイベントの現地参戦については2012年冬の水蓮寺ルカのリリースイベントが初で、ライブイベントでは2013年春のハヤテのごとくと神のみぞ知るセカイのジョイントコンサートが初参加。
どこの断面を切り取っても、アイマスライブを以て自分がライブに行くようになったということはできないけれど、ただアイマスに出会ってなければライブを見に行くことがその後も続く趣味になっていたのかどうかはどうだろうか。
自分のライブ参戦回数は先日の学マス運動会day1を以て71回目だった。
そしてそのうち6割以上となる45回がアイマスでの参戦であった。
回数以上に、ライフステージの変化のタイミングでも途切れなかったということがある。
2015年の社会人1年目、愛媛に生活の拠点が戻ってもアイマス10thではプリンスドームにやってきた。
この10th参戦の経験が、愛媛居住時代にも「ライブは行けるな」という考え方につながったのだと思う。
もしアイマスに出会っていなければ…ライブを観に行くという趣味は大学時代に東京に近いところに住んでいたという事情でやれていた趣味ということで終わっていたかもしれない。
2)遠征について
愛媛からの参戦という話をしていて気がついたのだけど、そもそもライブというものに遠征という概念がくっついたのはいつからなのか。
大学を過ごした山梨から埼玉や千葉に行くのも十分遠征かもしれないが、ともに首都圏の範疇ではある。地方をまたぐような遠征はいつからなのか。
振り返ってみると、2015年1月に大阪で開催された原由実さんの2ndライブが初の遠征だった。このときは富士吉田→大阪の深夜バスを利用して遠征をしている。
原さんには四条貴音役を演じられていることをきっかけにファンとなっているので、ここにはもしアイマスと出会っていなかったら…のifが成立する。
「ライブとは自分の行ける範囲で開催されるときに行くもの」というその時までの自分の常識をこのときに取っ払ったとも言える。
この遠征があったからこそ10thプリンスドーム遠征も選択肢として上がってきたのかもしれない。10thのときはday1のその日の午前中まで松山で新入社員研修を受けてから所沢に向けて飛んだのだった。
このあたりから遠征、もっというと長距離移動とか日程的にギリギリの移動みたいなものに抵抗がなくなった節はある。
2017年と2018年にはデレマスライブのために愛媛からそれぞれ埼玉、名古屋に車遠征で行っている。
遠征、とりわけライブ遠征という選択肢を取れるようになったのはアイマスのおかげといえるんじゃないだろうか。
3)交友関係について
ライブと遠征というものに絡んで、一つ思うところ。
アイマスに出会ったのは大学時代だけど、その頃の友人たちとは今でもライブというものがあれば顔を合わせる機会がある。
会うたびに「久しぶりやな」「いやー、この前の◯◯(ライブ)からだから何ヶ月ぶりか」「…結構最近やな」というお約束じみたやりとりもある。この何ヶ月の部分が何年となる場合もあったりするけど、しかしタイミングが合えばライブのときには会うだろうという気持ちもある。
アイマスがなければ縁が切れてるなんて薄情なことは言わないけども、おかげさまで顔を合わせることが多くなっている面は間違いなくある。
アイマスがきっかけで新しい友人ができたこともある。この歳になって友人が増えるというのは、やはり共通の趣味のありがたさだと思う。
ライブ以外でも街コラボだったり娯楽施設コラボだったり、はたまたアイマスでドラフト会議やるからオンラインなりオフラインで集合なり、いろいろ口実を見つけて遊んでいる。
定型じみたやりとりといえば、ライブなりイベントなりで最後別れるときに「じゃあまた次は◯◯(ライブ)で」というやりとり自分はよく使う。
どこかのブランドで次を用意してくれているアイマスのありがたさからくる言葉になる。当たり前のことではなくて、アイマスが元気にやってくれているおかげだからこそなのだが。
765ASのみならず、シンデレラやミリオンにも踏み込んでいくことになったのだけど、それはアイマスに出会ってからすぐさまのことではなかった。
自分がアイマスにであったときすでにmobageシンデレラガールズはサービスを開始していたのだけど、その後自分がモバマスを始めるまでは10ヶ月ほどのタイムラグが存在している。
当時の自分はソシャゲに対して、ネガティブなイメージを持っていてイマイチ踏ん切りがつかなかったのだった。ゲームとしてどこまで面白いものなのだろうか、課金要素によって生まれるプレイヤーの差を自分はどこまで許容できるのだろうかなどなど。
だけども、流石に[鏡花水月]四条貴音がほしい…。そんな気持ちで始めたのがモバゲーであって、高校時代に少しだけプレイしていた怪盗ロワイヤル以来のソシャゲプレイだった。
ここでモバマスに入ったことでソシャゲだったり、スマホでゲームをプレイするということへ抵抗感は打破され、その後、グリマス、デレステ、ミリシタ、シャニマス、学マスと今日までスマホでプレイするアイマスは今日までバトンを繋いできた。
アイマスタイトルのほかにも、バンドリ、ウマ娘、ブルアカというゲームもプレイしてきた。これらのゲームを始めるときに、自分が10年以上前に持っていたスマホゲームたちに対する抵抗感はなかった。もちろん、いわゆるポチポチゲーからの進化、スマホの性能向上に伴ってゲームの様相が全然違っている点は考慮すべきだけど。
ゲームコンテンツとして、アイマスは自分のゲームプレイ環境を拓いてくれたのかもしれない。
5)俺が、お前を、
NEIのDay1のMC内のこと、アイマスの出会いを紹介するコーナーに寄せられたある律子Pの思い出。
アケマスで律子を選んでプレイしたあとに届くメール。その文面を見て、「俺が!お前!をトップにアイドルにしてやる!!!」と心に火がついたという趣旨の内容だったと記憶しています。
若林さんが上の太字部分をめちゃくちゃ気合い入れて読んでくれたというのもあるんですが、この律子Pの思い出紹介が心に残っていて。
振り返ってみるとこの向き合い方は、アイマスに出会ってなかったら自分が持ち得なかったスタイルかもしれない。
上述の通り、貴音に出会うより前に長門に出会った。他にも神のみの小阪ちひろなど、貴音に出会う以前に出会った自分史上の恩人キャラは何人かいる。
だけども、そうしたキャラを見てなんとかなってくれ…と願うときの自分の心情は「キョン!走れ!なんとかしてくれ!」「桂馬!根性見せてくれ!」というように、主人公に託して願う、これだった。
遡って思い返す。アニマス視聴後にxbox360と一緒に購入したアイマス2にて、貴音ルートをプレイしていたときのこと。
シナリオ上に大富社長が立ちはだかったときに「俺が…なんとかしなくては…」という、俺もあの世界にいる錯覚ゆえの使命感というか…、そういうものを感じたのを思い出します。
タイミングよく3つのボタンをミスなく押していかないといけない…!
自分で選択肢を選んでいってプロデュースをしないといけない!
託して願う相手がいなくて、プロデューサーたる自分がなんとかしなくてはいけない。
キャラクターとのこういう向き合い方は、アイマスと出会っていなかったらやってこなかったとも思う。(というかアイマスの他にはこういう向き合い方をしていないように思う。他に例を挙げるなら艦これは近いかもしれない)
俺が…!お前を…!のこの熱量は今日までアイマスを続けてきた車輪のどこかを担っていると感じるし、この気概を持ち続けていきたい。
ところで、当時の自分に芽生えた感情に使命感という言葉を使ったが、今日の自分はいくらかニュアンスの違う言葉がふさわしいように思う。
貴音と出会ってからもう10年を超える月日が過ぎた。
これからも日々を積み重ねて様々な景色を見せてほしい。その景色を共に見ていたい。
今の自分は、使命感というよりはここにいたいという希望によって今なおプロデューサーでいるのだと思う。だから俺が…貴方がたをプロデュースさせてほしい。
アイマスと出会っていなかったら芽生えなかったであろう感情を燃やし続けて、20周年のその先も共に走っていきたいと、そう思う。
6)その他
個別の事象についてアイマスがなかったら成してなかったことを備忘録として列挙しておきたい。
・47都道府県踏破
デレマス岡崎泰葉の故郷である長崎や、デレステ川島瑞樹SSRの舞台となった山形県銀山温泉などはアイマスと出会ってなかったら行っていなかったかもしれない。
中でも沖縄県は2016年に『今井麻美&原由実アコースティックライブ2016』の一度だけ。沖縄はついでに寄るということのない立地だからアイマスと出会っていなければ、未踏破のままだったかもしれない。
ちなみに、シンデレラ10th沖縄公演は有観客開催されていれば二度目の沖縄の予定だったが、何にせよ沖縄遠征はアイマスに縁深かった。
・フルマラソン完走
2020年に高知龍馬マラソンを完走したのだけど、このときのモチベーションは「フルマラソンを完走できたら俺は白菊ほたるを担当と宣言する」というもの。
2019年のほたるソロがデレステに実装された時いたく感動して、その翌日にテレビで愛媛マラソンを中継していたのを見て「これを成したら俺は…」となったため。
たった一度のフルマラソン完走はこのときなので、アイマスと出会ってなかったら、そもそもフルマラソンに挑もうとも思わなかったろう。
・日本七霊山登頂
2015年大晦日に東急ハンズとシンデレラガールズがコラボした際に購入した、岡崎泰葉が紹介していた木材の使い道に悩んでいたときに「これを持って日本の七霊山に登って霊験あらたかなものにしよう」と思い至ったもの。
富士山は別のモチベーションで登っていたし、石鎚山は新入社員研修で登ったから、他の5つの霊山についてはアイマスと出会ってなかったら登ってなかったかもしれない。実際、登山するなら霊山に拘る必要はないので。
他にも個別の事象はある気もするけど、一旦は主要なこれらのものを挙げておく。
if)アニマスで出会わなくても、どこかで出会っていたのでは…?
仮定の話の記事のラストをさらなるifで閉じるなというのはもっともだけど。
正直俺があの時にアニマスを見ようと思い至ってアイマスワールドと出会ってなくても、その後どこかで出会ってるんじゃないか?
アイマスと出会ってなかったら…のifでこれまで列挙したもののルートではなくても、その後どこかで出会ったりしてないかなということ。
ライブの項で話したけども、アイマスと出会う以前に水蓮寺ルカのリリイベ、ハヤテ神のみのジョイントコンサートに行っていた。
そして東山奈央さんと山崎はるかさん個人のファンではあったということから、このルートでアイマスに入ってくるのはどうだろうか。この二人はシンデレラの川島瑞樹、ミリオンの春日未来両名を演じられている。
この場合は、二人が出演しているからという理由でシンデレラのアニメ、ミリオンのアニメを見てそこから…という流れだろう。前者なら2015年、後者なら2023年がタイミングになる。
川島さんはデレマスアニメにシリーズ通して出ているわけではないから、後者のほうが可能性は高いように感じる。その場合2023年にミリオンアニメにハマってそこから…ということか。史実から10年遅れてアイマスに出会うことになるわけだ。
もう一つ別ルートとして2017年のアイマスパ・リーグコラボを挙げたい。
日本プロ野球のパシフィック・リーグに所属する6球団が、球団の垣根を超えてコラボするこの企画。
実はアイマスがコラボする以前より2014年にウルトラマン、2015年に仮面ライダー、2016年にスーパー戦隊と3年連続で「親子ヒーロープロジェクト」として特撮ヒーローとコラボしていた。
つまり、ライオンズと特撮。自分を支えるジャンルのうちアイマスと出会わなかったら…の影響を受けていない二大ジャンルの流れを受けてのコラボ企画。
しかもこの年、アイマスコラボ特番にライオンズの選手としてコメントを出したのは当時ルーキーの源田壮亮だった。
2017年に自分はルーキー源田のユニフォームを買うくらいにこの選手に入れ込んでいる。「源田ほどの男がそう言うなら…」で興味を持ち、ウルトラマンレオ、仮面ライダードライブ、ガオレッドの後継として、ライオンズとコラボしてくれる春日未来、城ヶ崎美嘉、ピエールの3人。ここを足がかりにこのルートからアイマスにハマっていく可能性は…このルートもありえる。
その場合でも2017年。
2015年の10thも見に行けていないし、ミリオン3rdツアーのLV通いもできていない。
色々考えたが、結局、自分がアイマスと出会ったのは2023年でも、2017年でも、そして2005年でもない。2012年に出会って今日まで続けている。
NEIのDay2でアイドルと出会った日のビデオレターが流されたが、あのビデオレターに本当に慟哭してしまったのは、出会いの日の思い出は各々のプロデューサーによって異なっていて、各人の胸に強く刻まれているからかもしれない。
さて、ifルートについてとりとめもないことを考えたところで、冒頭に立ち返りたい。
「運命の出会いを信じている?」
運命という言葉の語義には「人間の意志にかかわらず吉凶禍福」というものがある。
この意味を取る場合、運命の出会いとは自分の選択によらず出会っていたものと捉えることができるだろう。
延々もしアイマスと出会わなかったら…を考えたけど、もし自分とアイマスの出会いが運命なのだったとしたら、自分はどうやってもどこかでアイマスと出会ったとみなすことができる。
ここまで考えてきた「出会っていなかったら…」のifは意味のないことだったろうか。
www.youtube.com
ここで俺はアイマス20周年記念ムービーを思い返す。
「あの日、プロデュースしてくれたあなたへ」の文言で始まるこのムービー。
ゲーセンのアイマス筐体にコインを投入することでアイマスと出会った少年。
彼のその後の人生を描くこの動画は、ある一人を描いているようで、その実それぞれのプロデューサーの持つ人生の物語を思い起こさせる。
何かと出会う時、何かを始める時、そこには選択があるわけで。
俺はやっぱり自分のアイマスとの出会いは、自分ならざる何者かのめぐり合わせで配置されたものであるというよりは、思いつきであろうと、ふとしたきっかけであろうと自分で選択肢を選んだ結果と思いたい。
これはそのまま、今、そしてこれからも選択肢を選び続けていることを意味していて。
自分はグラデーションをつけながらも、出会ってからずっとアイマスのプロデューサーをやっている。
たぶんここから先もそうだろうなと思う。
それは人間の意志にかかわらない何者かの采配ではなくて、他ならぬ自分の選択として。
この記事で「出会っていなかったら…」のifを考えることは、選択の結果として自分が選び取った事象を振り返ることになった。
人生は結局、選択肢の連続で…、そして何かを選ぶときのモチベーションはやっぱり何かをしたいという希望ベースで考えていきたいと思う。
アイマスの見せてくれる景色を見たいと思う以上、自分はこの選択肢を取っていきたい。
選択肢のワードをきっかけに書き始めたこの記事は、これからも選んでいくしかないってことに落ち着いた。
選んだ結果として、次は2ヶ月後の大阪京セラドーム。楽しみにしてしばらく生活を頑張ります。