人生、東奔西走

自分の人生の備忘録のつもりで作りました。

わたしがブログを書く理由=備忘録として

特別お題「わたしがブログを書く理由

 

私の購読リストに入っているブログで本日更新があって、その記事の中でブログを書く理由というテーマが現在特別お題として提示されていることをしりました。

そういえば、このはてブロ提供のお題に乗っかったことほとんどないな…というのもあって上記お題について考えてみたのです。

 

2017年の年初に始めた本ブログ、ありがたいことにもう7年目にもなります。

アップロードした記事の本数も今年の冬に1000本に到達し、今年2023年は日次更新をやっている都合もあって現時点で1200本を少し超えたところとなっています。

 

開設時の記事を読み返すと、開設の動機について当時はTwitterのアカウントを鍵垢で運用していてツイログで過去の生活を遡ることができず、それゆえに生活の記録として解説したという旨が書いていました。

このブログのトップバーにある言葉「自分の人生の備忘録のつもりで」とは開設時から変えていないはずですが、実際そういう目的で今日まで続けてきているつもりです。

 

この備忘録という言葉、もちろん自分史上のファクトの積み重ねっていう意味もあるんでしょうが、今日まで続けてきて実感するのは、感情の瞬間保存としての側面の方でこそ私の役にはたっているということです。

 

例えば、以下の記事群など。

keepbeats.hatenablog.com

まぁ、情報統制は結構成功してましてね、17時半くらいまで、試合の趨勢を全く知ることなくいることができたわけです。
そしたらば、親父が「パ・リーグソフトバンクが優勝したな」(多分テレビのテロップを見たんでしょう)と言ってきたわけですよ。
「まぁ、クライマックスシリーズがある」とかなんとか続けてましたが、その記憶が曖昧になるくらい頭に血が瞬間的に昇ってですね、あんたロッテファンじゃないんかい、よくもまぁ、そんな平然と言えるな。悔しくないのかと心中穏やかならずですよ。

 

 

keepbeats.hatenablog.com

昔、在宅医療のプロフェッショナルがこんなことを言っていました。
「無力な自分を自覚して、それでもそばにいる」と。
この精神で行こうと思います。
なるほど、俺にはヘチマほどの力もないだろう。でも、俺は泰葉からは離れない、離れられない。そういう気持ちで、岡崎泰葉とともにいる、そんな期間にしたい、総選挙。

 

keepbeats.hatenablog.com

10年間悔しさの泥沼の中にいたファンも背中を押します。押しましょう。
今日は俺もやっと、その力になれる。
寝られないからもう出発の準備をしようと思います。みなさん、所沢で会いましょう。
夢まで、あとすこし。

 

keepbeats.hatenablog.com

あの日…2014年の年末。岡崎先輩呼びが泰葉!に変わった日から。

自分は岡崎泰葉担当Pを名乗り…。ずっと泰葉の曲が聴きたいと思ってやってきた。目指すべきものは、最初から何一つ変わっていない。

霧の中においても、一筋の光はいつもそこにある。大丈夫、大丈夫だ。

その日はきっとやってくる。

 

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俺の想いはいつも届かない。

 

さらばだ、野上亮磨。

 

 

keepbeats.hatenablog.com

遠くに行きたい…。立山も岐阜も奈良も、東京も、所沢も、北海道も…なにもかも遠くなってしまった。あったまきた。ふざけやがって。なら今できることで強くなり倒してやる。いつかくるその日のために準備を始めようと、そう思ったわけ。

それが立山の山頂なのか、東京ガーデンシアターなのか、メットライフドームなのか、宗谷岬なのか…どこになるかはわからないけど。その暁には「ざまあみろ!」と勝利宣言を高らかに謳ってやるから覚悟しておけ。

 

長々と引用したけれども、上記の記事群ってのが、自分の中でも印象的な「激情の中で書き倒した記事」の一例。

で、あとになってふと読み返したときに良かったな…と思うのはこういう記事なんですよね。

事実をあとから振り返ることというのは、それこそブログ記事やツイート、スマホにあるデジタルログの数々などから可能なんですが、感情を、ある一時点の感情を残しておくというのは、そのときに言葉にしておかないと鮮度が失われてしまうものなんですよね。

 

もちろん、上記の出来事たちっていうのは自分の中でも随分大きな感情の動きがあった出来事なので、今振り返ってみても、それがプラスの感情だったのかマイナスの感情だったのか、どういう理屈でどういう向きの感情を持っていたのかを記憶はしています。

ただ、それをどこまで鮮明に…っていうのは、時間とともに薄れて言ってしまうものなんですよね。

 

今、例に上げた野上亮磨の記事。

その後、野上投手が大怪我を経て復帰ということもあり、移籍後2年3年を経て、すっかり「そっちでも頑張れよ…。たまには顔見せに帰ってこいよ…」の穏やかな心境に変わっております。

ただ、移籍したときのあの瞬間のやるせなさみたいなものは、あのときにしか感じられなかった。今、当時を振り返ってみても、あの「野上亮磨について」の記事は書けないです。1200本余りの記事の中で打線を組めと言われたら、この記事はクリーンナップに入る、そのくらいに感情の生々しさが出た記事でした。

(もちろん、この件に関する2~3年での感情の変化を変節だ、軟弱だとおっしゃる方もいるかもしれませんが…。事情が変わったのに頑なで居続けるのも不義理だと私は考えます。)

 

やるせなさだけではなくて、いつか来る平時に託す希望も、リベンジを誓う決意もその瞬間瞬間で自分が思ったことを勢いのままに書き倒しておくこと。こういうのがたまに出るから自分はブログ書き続けているんだろうなとも思います。

 

日次更新の雑記も古いやつは内容忘れているんで、読み返すと「ほへー」となっていたりして、それはそれで自分の備忘録として役に立っているのではありますが。

 

突き詰めると、将来の自分のためにえっちらおっちらとダラダラ書き続けているのかもしれません。

そんな完全内向きの当ブログにアクセスして見に来てくださってるみなさんには感謝の念に堪えません。

ええ、アクセス解析などでわかるんですよ。このブログのアクセスの1割位はTwitterからやってきていて、つまりあの味気ない日々の更新ツイートを踏んでくださってる方がいるということは。

今後も、感情~~って感じでブログやってきますが、よろしくお願いします。

 

 

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