昨日、久しぶりに夢にゴジラが出てきましてね…。
-1.0世界線だったみたいで、 吉岡秀隆さん演じる野田さんと一緒に、松山市の海沿いの道を北上して逃げて行ってました…。
逃げども逃げどもゴジラは追ってくるし、途中で何故かデストロイア出てくるし、呼応してゴジラもバニゴジ化するし…というような夢でした。詳細は覚えてないんで割愛。
少年時代はゴジラ映画見た日の夜にほぼ間違いなく夢に出てきていたのですが、珍しいタイミングだな…とも思います。
ま、本題は別なんすがね。
2023年2月20日、SfCのGroupCの結果発表から本日で丸一年となります。
丸一年前の記事がこちら。
リングワンダリング - 人生、東奔西走
結構明確に悔しがっているし、もう一つこちらのツイログをご覧いただきたい。
これを見るとしっかり凹んでいるようにも見える。
結論、この記事はこの凹みから復活する話です。
当時の文章やツイートから感じ取られるそうした様子は、自分の記憶とも一致していて…。諸々の好条件が揃った(と思っていた)条件下で15位以内を逃したこと、そして順位の見えない霧中の日々が続くことへの不安は結構尾を引いていたんですね。
いつからかそれが「もしかしたら、私がこのタイトル内で一番の目標(泰葉の楽曲の獲得)は来ない可能性がある…?」という先々への不安に変わっていったわけですね。
難しいのがここ。みなさん「…今更そんなこと言ってる?」と思われるのでしょうか…?
私はここについて「いや、その日は来るんだが(確信)」というスタンスでいた自覚があります。日々のツイートの「その日は必ずくる」旨のツイートは大体がその確認でありました。
その確信が揺らいできた期間、何を恐れていたのかというと、その目標が為されないことが確定するある日がきたときにどうなってしまうのだろうという怖さですね。俺は正気を保っていられるのか…?と言い換えてもいいかもしれない。
そういう漠然とした不安がある日解消したんですね。これは何かの言葉や楽曲やエピソード由来ではなくて、自分の中で気がついたことがあって…。
「その日がやってこない」ことを恐れているわけなんですが、私は別種の「その日がやってこなかった」世界を生きていたと気がついたんですね。
遡ること8年余り、2015年9月23日。
この日、ライオンズの投手、西口文也投手の引退が発表された日でした。
本筋ではないので詳細書きませんけど、私は西口さんの大ファンでして、私がライオンズファンとなったきっかけの人です。
そしてファンとなった当初から、私は西口さんのある瞬間を見たいと思い続けていたのです。それが200勝達成。
ファンが個人記録を優先し始めたらおしまいだとも思いますが、2013〜15年くらいの自分は間違いなく「半端な谷間投手、助っ人を投げさせるくらいなら西口さんに投げさせてくれ。あと18個勝てばいいんだ」と思ってしまっていました。
そうまでして願っていた200勝の瞬間を見たいという夢が叶わぬものとなった日がこの日。
2023年のある日に気がついたのはここ。
2015年9月のあの日からこちら側、俺は正気を保って生活をこなしてるじゃないか…と。
ほんと目から鱗みたいなもので、私があれほど恐れていた「願い倒していたその日が来なかった未来」とは今だったのかと。そしてその日々の中でも私は生活しているわけ。
いやぁ、これって単なる気づきなんだけど、それが自分の中の霧を晴らしたわけですね。一度気がつけば楽なもので…。
その日がやってくるか来ないかには、やっぱりまだこだわってしまうと思う。そこへのこだわりは捨てられないし捨てるつもりもないんですが…。
よしんばその日が来なかったとしても、日々を生活するでしょう。さすれば、ジタバタと懊悩しても仕方ない。ドンと構えて一人分の全力を尽くす。…結局元いた場所に帰ってきた感じがあるな。
先の西口さんの例でもう一つ良しと思うのは、2016年シーズンも私がライオンズファンであったということです。200勝にはこだわっていたけども、プロ野球を見ていた理由はそれだけではないということも再確認できた。
何はなくとも生活は続く、生きて生きて生き抜いて、
未来がどう分岐しようともなんとかやっていく。2015年から今日までがそれを証明している。
2023年2月20日以降の円形彷徨、リングワンダリングに遭難していた私はこうして救い上げられたというお話でした。
さて…この記事に関しては年明けてから丸一年の日に書こう書こうと思っていたものです。
この冬くらいから?の一部のユーザーからの先行き不安論を受けてのものではないです。そこ誤解されるのが一番嫌だなと思うので明言しときます。
そして、ここからが昨日の話の続きになるんだけど、この気づきをいつ得たのか…これが微妙に思い出せない。
12月にコトブキヤのGBNSグッズを買いに行った時にはもうこの精神でエイヤとやっていたから12月までのどこか。
7月の泰葉誕生日時点ではまだこの気づきに至ってなかった気がする…それはなんとなく覚えている…。夏から秋にかけてのどこかのタイミング、多分特別な出来事とかがあったわけではなくて、あるときハタと気がついたということなんだろう。
こういう時につぶやいておけばいいものを…。なんのための短文SNSだ。でもある日ある時昼下がり「そうか!今がその日が来なかった未来だ!!今がそうなんだ!」とかツイートしたらヤバいだろ…。事情の説明には本日ここまで2000文字余りを要している。
この気づきのタイミングが記録に残ってないの、なんとなく惜しくて、ブログの更新、ツイート、もう少ししっかりやっていこうとも思いました。