ブログの日次更新が丸一年を越えて思うこと。
ちょうど一年前って何やってたっけ…ってのが自分で思い返せるのがいいなと思ったんです。
まぁ、ちょうど去年の2月っていうと冒頭は2022年GW旅行の記録を大まとめしていたりして、リアルタイム感はないのですが。
ブログの日次更新とツイログこの2本軸で自分の感情の瞬間を切り取って保存していく。これはシンプルにいいことだと感じてます。
正負どちらの感情にしろ、2024年時点の自分が脚色を加えたのではなくて、そのタイミングの自分が書いていることだからですね。
そして、そういう各時点での感情の断面に救われるということは多々あるわけです。
負の感情の断面に救われることがあるというのは少し奇妙に思われるかもしれないんですけど、あのとき確かにど凹みしていた…が、そこから確かに復活しているんだなという、そこの幅がしっかり自覚できるということがあるんですよ。
あのときめちゃくちゃ悔しかったけど、その翌年リベンジを果たした。
あのとき怒りに燃えていたけど、今では水に流してなんともなくなった。
こういうエピソードがいくつか自分の中にあって、そこの克服ってのは経験値として積み重なっている。それを成長と呼ぶのかは、もういい年なので今更そうではないのかもしれないですが。
今困っているのは、昨年から今年にかけて自分の中で明確に上手く消化できた、雪山彷徨状態を解消できた負の感情があって、そのことを書こう書こうとしているのに、その明確なタイミングがどこにも記録に残っていないということなんですよ。
2004年に金八先生の放送中にチャンネルをあいテレビに合わせたときのような、2014年末に岡崎先輩呼びから泰葉呼びに変わったときのような…。
そういうその時歴史が動いたという明確なタイミングが思い出せない。今自分の記憶にあるのは、世界の状態をどのように解釈したから、「あっじゃあ大丈夫じゃん」ってなったかというその理屈だけなんですよね。
ツイログ、ブログ下書き、ブログネタのスマホメモ帳とか色々探したのだけど、それらしいことを書いているタイミングもない…。
なので、タイミングだけを明確に思い出せないまま、いかにリング・ワンダリングを抜け出したのかというブログ記事の下書きを書いています。
下書き、ということで、はい、つまり今日中に書ききれなかったという釈明記事でございました。
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