人生、東奔西走

自分の人生の備忘録のつもりで作りました。

スーパー銭湯難民

3連休最終日、たまにゃスーパー銭湯でも行こうかと思って探していておりました。

しかしまあ調べて見れば見るほど所沢のスパ銭事情は車ありきなんだなと。

 

こちら御覧ください。

所沢近辺のスーパー銭湯のマップになります。

地図上に見える湯楽の里、湯の森所沢このあたりをよく使っていましたが、これらは車無しで行くにはちょっと遠い。たとえ自転車を使ったとしても。

他のところ探していたんですけど、東久留米駅からシャトルバスが出ているスパジアムジャポンというスパ銭があって、ここいいかなと思ったんですが土日祝は芋洗い状態になるような混雑とのことで…。

人混みを避けたいというのとは別に、温泉に行くときは人が少ないとこのほうが良いです。

 

八王子にある竜泉寺の湯の朝5時とかずいぶん空いてて快適だったなあ…。おなじことを東久留米スパジアムジャポンでもやればいいんだろうけど、車がないと簡単なことではないですな。

うーむ…割りと真面目に困った…。

振り返ると駅前にリーズナブルなでっかいスパ銭のあった今治や松山って恵まれてたんだなあ…。温泉が…、温泉がほしい…。

 

車を手放したときに持っていた懸念が現実のものになってきたということですね。

生活は車がなくてもできるだろう。できるけど…。

まあもっというと温泉に入らなくても生活はできるだろう、という話でもあるんでしょうけどね。生活はできる、できるが…。

 

さあ、問題解決の打開策は一つ。頼むー!近くにスパ銭新設してくれ!

外野から爆弾を投げ入れていく生き方

誤解しか招かねえタイトルだ…。

 

一ヶ月ほど前30歳の誕生日を迎えまして、これにて私もいよいよ三十路の大台にステップアップを果たしました。いぇーい。

三十路タカボン、略してみそボン。古式ゆかしいボンバーマンにおける序盤敗退者救済制度を思い出すね。いや、この略称、2022年の東山さんの誕生日イベのグッズに由来を持つのでパクリであることは先に自供しておきます。

しかしタカボンというニックネームをいただいたのは高一のときなので、もう人生の半分をタカボンで過ごしていることになるのか。

しかし30になるってもっと劇的な何かを感じたりするもんかな…と思っていましたが、実際のところ何か劇的に変わったりすることはないですね。いや、当然の話ですけど。

 

どっこい、10年に一回しかやって来ないタイミングでもあるのでなんかしたいな…とは思ってました。

そんな私にちょうど良いイベントが。お笑い芸人あさりど堀口文宏さん主催の野球トークイベントにライオンズの辻前監督がやってくるというではないですか。

しかもそれはわたしの誕生日ど当日。これはもう今年一年の死に物狂い現地通いに神様が何かしらの報いをくれたのだと判断して、発売後すぐチケット購入を試みましたよ。

 

その後イベント前日に実はチケットが買えてないことが判明して、当日券チャレンジに挑む羽目になるなど紆余曲折はあったものの、非常に楽しいイベントでございました。

えー…内容についてはここだけの話ということが多く、門外不出と約束しましたから。男子の一言の如きは守らねばならない。しかしそのくらいに踏み込んだ話もあり、やはりノー配信直接対決イベントは面白い。

次は1月13日に源田選手とのノー配信直接対面トークショーがあるので、そちらも楽しみですね。

 

 

さて、この辻前監督イベント参加直前にふと、過去の10歳区切り後の初出来事は何だったのか思い返していたら…なかなか面白いことになりました。ちょっと振り返ってみます。

 

まず20歳。

2012年12月の中旬にかけては思い当たる節があって記録を探していました。予感は的中、時に2012年12月15日で場所は東京ドームシティ。

s.animeanime.jp

 

山崎はるかさん演じる水蓮寺ルカのデビューイベントに参戦しておりました。

実はこのイベント、私の人生において楽曲披露を伴う初のイベントでした。東京ドーム水蓮寺ルカリリイベ→パシフィコ横浜ハヤテ神のみジョイントコンサート→舞浜アンフィ中川かのん2ndコンサートは一連の流れとして、自分史の中で大きなストリームでありまして…。

20歳を迎えた直後にそのスタートラインに立っていたのは今にして思うと、結構象徴的な出来事なような気もするのです。このイベント以後、プリンスドームや沖縄、大阪、武道館で得られた大きな情動は20代の自分にとって常時大きな燃料をくべていたのです。

 

 

であれば10歳を迎えたときはどうだったのか…。

こちらについてはまだiPhoneも持つ前で、Twitterも始めてなくて…要するに記憶以外のログがないという状態なのです。

10歳の誕生日を迎えた2002年12月の初旬…。しかし、カレンダーで日のめぐりを見るとおそらくこれをしていたに違いないという一つのイベントが有るのです。

10歳の誕生日を迎えて最初の週末は2002年12月14日。この日は「ゴジラ×メカゴジラ」の公開日。おそらく間違いなくこれを見に今治シネマサンシャインに行っているはず。

ゴジラシリーズに傾倒していたのは昨日の記事の通りでもあるんですが、もう一つ。

この作品でいうメカゴジラ、三式機龍という存在は自分が「人ならざるもの人格」に思い入れを持つようになるそのスタートラインだったような気もしています。

三式機龍への執着が後に長門有希はやぶさカローラフィールダーへ持つ執着の原点だったと。

 

 

こうして考えてみると10,20を迎えて最初の出来事(イベント)は後になって振り返ってみると、何かしらの意味があった…と言えなくもないわけです。

では、30の区切りに打ち込まれたこの楔は将来的に何の意味を持つのだろうか…。

辻監督、ライオンズにかかる何事かが、今の自分にとってなにかのスタートラインになるとは思ってないので、これは三式機龍→長門有希にあったような、すごく遠回りな何かを与えてくれるんじゃないだろうか。

 

 

話を自分のことに戻します。30を迎える前後、自分自身について感じる変化は色々とありました。

まずひとつ、先日のぎっくり腰案件でもわかったように、そもそも大して鍛えていない自分について肉体的な無茶は効かなくなってきたということ。

 

もうひとつ、精神面においても良くない変化を感じることがあります。昨年実施した国道1号走破の旅、その道中において自分は2度声を荒らげてしまった。

このことが一番端的な事例になるのですが、気難しさ、メンタルの柔軟性を失っていることを実感しています。いついかなるときであってもヘラヘラとする精神性でいたい。

加齢とともに気難しさを増していく、そういう見たくもない自分にはなりたくないとは思っています。そのための手法を確立できてはいないのだけど。

 

さて、この記事を10年後の自分が振り返ったとき、どうなっているでしょうね。

四十路ということは、しそボン。大葉のような清涼感の持つベテラン選手になれていれば幸いです。

 

122.0

コラボしてくれていたのに素直に受け取れなかった20年前

年末に実施されていた「RTA in Japan Winter 2022」の動画を、正月休みの間見ていてました。

で、3連休の初日の今日も流しっぱなしにしていました。

最初はポケモンスナップ見て、その後歴代のポケモンシリーズのRTAを流していました。シリーズが最新に近づくにつれ本体時間操作で乱数調整して、エンカウントしないようにするとかそんなことをやっててびっくりしてました。

 

そうこうしているうちにポケモン以外のも見始めちゃって無限に時間がもっていかれますね。スーパーマリオサンシャインはじめとしたマリオ系統とか。

そんな中でYou Tube自動再生ででてきたのが、

www.youtube.com

 

とっとこハム太郎のゲームあったんか…しかも3て。

いや、冷静に考えますと当時テレ東系列アニメ作品の大抵はゲームまで作られるもの。こうしくんだとか、たいしょーくんだとかいったキャラ名も「あー、いたいた」と思い出せるあたり、自分もそれなりに見ていたきもします。OP普通に馴染みあるしな。

 

さて、とっとこハム太郎の上記ゲームが2022年で20周年ということですが、なんか最近ハム太郎関連の20周年ニュース見た覚えがあるな…。

youtu.be

当時観客動員が伸び悩んでいたゴジラシリーズが、ハム太郎シリーズとタッグを組んだときの来場者プレゼント、ゴジラに捕食されている最中にしか見えない狂気のゴジハムくん。2021年が誕生20周年でした。

 

その2001年は「ゴジラ モスラ キングギドラ 大怪獣総攻撃」と「劇場版とっとこハム太郎ハムハムランドの大冒険」が同時上映でした。

通称GMKと呼ばれる大怪獣総攻撃はシリーズ屈指の恐い作品としても知られていて、まずもって歴代でみても殺意の高すぎるゴジラ、要所要所で挟まれるホラー演出、そして衝撃の後味のラスト。

確か上映順はハム太郎ゴジラだったはずなので、海底で蠢くゴジラの心臓をみてからハム太郎がヘケッしてくることはないのですが。でも、当時のエピソードとしてよく語られるのが、ハム太郎目当てでやってきたちびっこたちがGMK見て泣いちゃったという話。

色んな意味でどういう判断でその食い合わせにしたんだという同時上映でしたが、今振り返るとそんなこともあったな…っていういい思い出で。

 

 

 

さて、当時の自分はというと…。小学校高学年に差し掛かろうという年頃だったので素直にうわーいハム太郎だ!とはなってなかったですよね。

傍目に見ると怪獣映画見に行くのもハムスター映画見に行くのも同じようなもんだろと思われましょうが。あの頃の自分は頑なだったんでしょうなあ。

 

2001年、2002年の同時上映を経て、最後の同時上映となった2003年は「ゴジラ映画だけを見に行きたい」という頑なさを発揮して、映画館の上映スケジュール見て、開始から90分後くらいに入場するってことをやってゴジラ部分のみ見るってことをやっていました。

頑なだったのかもしれません…。

 

 

いやー、シンプルによくない!!

自分が当時ゴジラサイドにいたのだとしても、新規客層を獲得しようという試みのタイアップ相手なのだから、自分ももっとハム太郎コラボをおもしろがらないとさ…。

コラボには乗っかっていく、試みをおもしろがるということ。趣味を楽しくやっていく上で大切な心がけだなと実感してるところではあるのです。

少なくないコラボを経験してきた今だから言えるところなのかもしれないですけどね。逆に言うと、自分の半生においてほとんど初めて経験したコラボっていうのがゴジハムくんだったのかもしれません。

ハム太郎RTA見ながら、ふと20年前に面白がれなかったことをやり直しているような気分になったので備忘録しておこうと思います。

 

※ちなみに、RTA見ていてびっくりしたんですけどマフラーちゃんってこんな可愛かったっけ!?

マフラー巻いてるだけじゃん!と言われりゃそうなんだけど。上記RTA内でも「マフラーちゃんはハム太郎世界の橋本環奈」という発言が飛び出してましたし、結構万人に共通するかわよ感覚なんですかね?

 

121.6

おそらくぎっくり腰になった話

2022年の最終盤、クリスマスのその日に人生で初めてぎっくり腰というものをやりました。多分あれはぎっくり腰だったと思います。

 

PCデスクに使っているゲーミングチェアがあるんですが、それを移動させようとしたときにキャスターがコード類をひっかけてしまったので、持ち上げてコードを越そうとしたときのことでした。

腰に電流走る、というような感覚でした。チェアを持ち上げようと前傾姿勢をとっていたのですが、そのままチェアを放り投げて真下に崩れ落ちそうになるような…。

前傾姿勢で真下に落ちそうになったインパクトの瞬間、あとになって振り返ってみると重力系異能力を行使されたときってこういう感じなのかもしれないですね。

擬音にするとミキッ…とでもいうような感じでしょうか。とにもかくにも立っていられなくなり脇にあったソファに倒れ込みました。が、もんどりうって苦しむみたいなことをしようとするとその動き自体が痛みに繋がる。じっ…と落ち着くまで耐える時間帯でした。

 

思えばこの日は朝から駅から免許センターまで歩いてみたり、その後ゲーマーズ本店のヤマノススメ展のために階段7階まで階段登ったり、甜花ちゃん誕生日だからって池袋線沿線の和菓子屋さんを巡っていちご大福をかき集めたり…。足腰への負荷をかけた一日でありました。

1日の歩数としては2022年年間中3位の歩数を叩き出していたのでした。僅差の1位2位が立山大峰山登山時の歩数であることを考えると、普段ぐらしでは2022年で最も歩いた日だったのもあるのでしょう。距離にして18キロ弱歩いていました。

 

痛みに耐えながらソファに座って、さて…と息をついているとこみ上げてくるのは、惨めったらしさというものです。齢30を超えた直後というのもあったんでしょうね。

もう無理のできる年齢層ではないのかもしれないという。少なくとも昔みたく動きたいのであれば努力しないといけないんだなあという。

 

ぎっくり腰というものをやったことがなかったので、すぐさまTwitterで「有識者おらんか…」と呼びかけたところ、相互フォローのプロデューサーさんが教えてくれました。曰く、「寝て起きてからが本番」とのことでした。

今がピークじゃないのか…と驚いて、戦々恐々としながら寝て翌朝を迎えます。

寝て…と簡単に書いてますけど、仰向けになると痛くて、痛くない姿勢を探すところからでしたね。

試行錯誤の末、いわゆる回復体位が痛みがほとんどないことに気が付き、右半身を下にした回復体位で眠りにつきました。そして翌朝…。

 

酷くなっとる…。寝て起きてどうか、というのはこういうことかとガーンとくらいながらも動けないということはなかったので仕事にはいかねばならぬ。

何に苦労するって、着替えですよ。スラックスを履こうにも前かがみになれないからだいぶ苦労しました。靴下はくにも椅子に座って足を組んで片足ずつおっかなびっくりと。

そしてシンプルに通勤が辛い。駅までそれなりに距離があるんですが、歩くより自転車のほうが楽そうだなと思って自転車で向かいます。その判断自体は間違ってなさそうなんですが、段差を車輪が越えるたびに腰に響く。

そしてなにより満員電車の座れなさ。このときばかりは優先座席が空いたらば座ろうと、そう思ってたんですがそもそも空かなかったですね。

ひどい顔をしていたと思いますよ。

職場についてさえしまえば動くことのほとんどないデスクワークなのでなんとかなる…そう思っていたんですが、姿勢よく座っていても常時スリップダメージの痛みがあります。動くとか動かないとかではなく、常時痛い。結局これが2日続きました。

 

日曜日夜にやらかして、一番ひどかったのが火曜朝起きたとき。

その後火曜夜くらいから徐々に楽になっていっていきました。年末年始にゆっくり安静にすごしたこともあり、今はもうほとんどなんともありません。

ただ、物持ったりするとき怖いですね。腰で持たずに膝で持つように心がけています。

 

シンプルに老いってのもあるでしょうけど、現在人生通算でもマックスに近い体重のレコードを記録しているのでそれもあったんでしょうね。何にせよ、あの惨めったらしい気持ちはもうしばらく味わいたくないので、足腰大切に過ごしていきたいと思います。

いや、ホントこれ平地で自宅でやったので良かったですよ。

…山登ってる最中とかにやって動けなくなったらほとんど遭難じゃないですか?気をつけよう。

 

121.0

あけましておめでとうございます② 2023年の諸枠組み

皆様、新年あけましておめでとうございます。

というわけで新年記事二本目です。

 

昨日2022年の積み残しを数え上げて行ったので、今日は2023年の過ごし方についての話を。

まず2022年の年初にぶち上げた目標の達成状況を見てみましょう。

keepbeats.hatenablog.com

 

目標は

パ・リーグ制覇、そして日本一になって辻監督を胴上げする(ところを見る)」←未達成

「泰葉の木材七霊山チャレンジを完遂させる」←達成

「2022年の1年間の総食費を50万円以下に抑える」←未達成

 

ということで達成状況1/3。表記を変えると.333ということになりました。

最後の食費チャレンジなんですがブログ記事としては2月までしか上げてないんですが、集計自体は9月途中までやってました。どっこい、8月末時点での残が108,041円。

実際その後、自炊も頑張りましたが9~12月の4ヶ月が食費10万で済んだ感触がないので目標未達。

 

これを受けて今年の目標…というか2023年に関しては明確に生活への縛りの宣言になります。

2021年8月の所沢移転以降、17ヶ月に渡って野放図に自分の欲望に忠実に遠征!野球!イベント!と走り倒した日々でした。その結果として財政が火の車なのでここを引き締めていく必要があるというのは下の記事の通り。

keepbeats.hatenablog.com

 

この記事で書いた案に改良を加えた以下の2点を2023年の縛りとしたいと思います。

 

①年間食費+諸々チケット代の合計額を年間50万円以内に

②首都圏外遠征の禁止

 

まず①について、これは昨年の2022年食費チャレンジの改良版にもなります。

昨年食費50万チャレンジ失敗したのに、条件厳しくして再チャレンジしてんじゃねーよ!はそのとおりなんですが。

去年やってみた結果、食費を節制することに対してのリターンがないことでモチベーションが上がらなかったってのはあるんですよね。月間4万以下に抑えつつ、抑えつつ…、それだけ?っていう。食費の節制と減量が直接的に繋がるものではなかったというのも誤算でした。

今年のこの枠組なら、節制した分だけ一試合追加できる、一公演見に行けるというモチベーションにつながります。さらに昨年の野放図なベルド通いを食費という上蓋で抑制するってのも可能になります。

思いついたときは「これは妙案だ!」とテンション上がってましたね。

食費については体制を整えるこの3連休明けから。チケット代については現在支払済の東京ドーム合同、源田トークショーについては計上せず、本日以降のものから計上していくこととします。恣意的…とか言わない。

 

 

②については上の記事の中で書いた通り。

そもそも遠征しなくて済むように関東にきたのに、関東からあっちこっち遠征してたら世話ないぜっていう。

今年は首都圏(関東+山梨)内で過ごします。ただこの②は例外規定を2つだけ設けておこうと思いまして。

一つにはライオンズの優勝がビジター球場で迎えそうになった場合。この場合には北広島だろうが、博多だろうが向かいます。

もう一つは、岡崎泰葉のボイス実装が叶った後に出演公演が首都圏外で行われる場合。これもセキスイハイムスーパーアリーナだろうが、沖縄アリーナだろうが、チトセピアホールだろうが向かいます。

この2点を首都圏脱出の例外規定とします。

 

 

しかし、①も②も目標というか縛りだけどな、これら。

まあ仕方ない2024年に遠慮なく北海道一周をするための一年のしゃがみ込み期間。やったるぞやったるぞ…ってな具合で。

 

しかし、目標2つだとなんかバランス悪いな…。というわけで1つ追加

 

③47都道府県踏破、七霊山の旅の後継チャレンジを見つける

 

2021年に北海道に初上陸し47都道府県踏破を達成、2022年に立山登って日本七霊山を踏破。これらを終えて燃え尽き症候群じみているのはずっとそう。

自分にとって甲斐のあるチャレンジをなにか見つけたい…。2024年の年初に2023年の目標を振り返ったとき、今これやってます!と言えるなにかを…。

いわばこれは…自分だけの宝探し…。最近やってるゲームに影響され過ぎでは?って感じもありますが。言い方変えたらクイズ正解は一年後!みたいなこととも言える。

 

そんなわけで、2023年、やっていきたいと思います。よーし。

 

 

121.0

あけましておめでとうございます① 2022積み残し計上

皆様、新年明けましておめでとうございます。

本年もよろしくお願いいたします。

 

実に一ヶ月半ぶりのブログ更新ですね。

どういうわけか11月末から年末にかけてタフな日々が続いておりました。原因の8割は寒さかなと思います。部屋が寒いと何もかも気力を奪われる…。最近は暖房に躊躇しないことでしのいでおります。

 

さて、当ブログにとっての2022年を振り返ってみますと年間の更新数38ということで2017年の開設以来、最も更新数の少ない一年となっていました。

例年だと12月には1年のまとめ記事をあげることをしているんですが、とうとう12月の更新は0という自体に。

原因は結構明確でブログ更新する間もなく、イベントを詰め込みまくっていたからですね。過去最高頻度での登山、年間48試合現地観戦、シンデレラガールズの現地ライブの1年通し…。3月~8月にかけてはすべての土日でなにかの遠征、観戦とぶちこむことで150日連続稼働なんてこともありました。

そのためにブログを書く間もないという一年だったんだなと振り返っています。

それはそれで充実の証だとは思うんですが、将来振り返ったときにこの一年の備忘録が存在しないことが懸念として残ってしまいました。

 

そこで新年一発目として、昨年更新しよう更新しようと思って心構えていた出来事、トピックを計上しとこうと思います。

向こうしばらく、目標としては年度内を目処に残備忘録を潰していこうかなとも。

 

それではいってみましょう。

 

  • 2022年5月GW北陸・中国・近畿・中部遠征旅行記(7記事)
  • 2022年5月~7月日本七霊山の旅(4記事)
  • 2022年3月~8月150日間連続稼働(1記事)
  • 2022年7月3連休ドキュメント72(1記事)
  • 2022年シーズン現地観戦記(1記事)
  • その他・単発記事(4記事)
  • 2022年まとめ記事(5記事)
  • 2018年11月~2022年10月マイカー遠征備忘録(1記事)
続きを読む

なぜ私は森友哉FA移籍に心を乱していないのか

昨日スポニチからオリックス森誕生決定的って報道が出て、本日各紙からオリックス入団って報道がなされましたね。

 

いやー、今年もこの季節が来たかー。たはは、参っちゃうね。

ま、冗談はさておき。

 

今回自分でも不思議なもんなんですが、野上移籍の時に感じた「どうすりゃいいんだ…」感、浅村移籍の時に感じた「馬鹿にしやがって!」という怒り、秋山帰国失敗の時に感じた「……」という感情の喪失、誰も起きていなくて。第一報を見たあと「いやー、仕事休もっかな」などと、冗談めかしてツイートしており、本当に休むでもなくフルタイム働いたりして。

 

そらこそ今年の話秋山が帰ってこなかった時など3週間弱に渡ってTwitterに復帰できなかったりみたいなのと比べると、ノーダメージが過ぎる。

DELTAをして「今年のFAの目玉ではないFA史上最大の目玉」とまで評された選手の流出に際してなぜこうも平静を保っているのか…。

 

いくつかの理由が考えられるので順に挙げていきましょうかね。

まず一つ、今年のFA戦線で最悪の結果となる外崎森が両方とも出ていっちゃうという結末を回避していること。その点において外崎の残留、そこからの生涯ライオンズ宣言は私にとっては大変ありがたいものでした。いやー、外崎さんには足を向けて寝られないでございますね。

 

二つ目に、実はとっくに覚悟していたかもしれない事象だったということ。

個人的には今シーズンベルド最終戦で森の登場曲が歴代登場曲のメドレーだったとこですかね。あの日ヘラヘラしながらベイビーシャークの手拍子を打っていたけど、いろいろ察するものはありましたよね。

その後のFA戦線もジャイアンツがとっとと離脱したりと「あー、なんかもう早く決まるかもな」みたいに。時間をかけて腹を括る時間があった。諦観ではなくて、なんか冷静にその辺りの行動や報道を拾っていくと「ま、さもありなんだよね」というのを、昨日の朝の前段階で既に覚悟していたのかもしれない。

 

三つ目。これはもう森だったからとかという問題ではないんですけど。「じゃああなたこれを以てライオンズファン辞めますか?」という問いにノーを返すだけという腹はとっくに固まってるってこと。

例の秋山の時にも考えたし、なんなら昨年の最下位の時には思考実験として一旦考えてもみた。けどまぁ、辞められるわけはないので。決まりきった結論に向かって意味のないことを考えるのは時間の無駄だ。

このブログや自分のTwitterフォローしてる人はご存知かもしれませんが、私は昨年郷里の四国から所沢に転居しています。転職に伴って一都三県ならどこでも良かった居住地を所沢に決めたのは、そこにライオンズがあるからでしたね。地元を捨ててまで所沢に来た以上…、俺の後退のギアはとっくにどこかで壊れてしまっているので。

 

以上三つが今回割と落ち着いてFA流出を眺めている原因なんでしょうかね。

 

森流出の記事なのに、森の話を全然してなかった。

まずもって2018年、2019年の連覇の際にはよくやってくれましたし、銀仁朗以降のライオンズの正捕手として数年間よくやってくれたなと思います。どうもお世話になりました。

ライオンズ最終年にはチームとしてリーグ防御率1位を達成できたのも良かったと思います。来シーズン、同一リーグを戦う相手になるので、あっちいっても頑張れとはどうしても言えない向きはありますが、怪我とかはすることなく。こちらは抑え、また打ち込み勝っていかねばならないので。まぁまたベルドで見ることもあるでしょう。その時はまぁ勝負しましょうかね。

 

以上。え?野上の時のあのお気持ち表明はどうしたって?まぁ、選手にあんまりウェットな気持ちを向けるもんじゃないんですかね。正しく言うならばライオンズの選手ではなくなるわけなので、今俺があんまりウェットな感想語っても、オリックスファンが「うちの子に向かって」云々と怒るかもしれないですからね。はい。

 

まぁ…、ドラフト時に身長のハンデは跳ね返せるとライオンズだけが信じて指名しての単独1位指名だったのが、その結果を見た数年後にあとから持っていかれることへのやるせなさみたいなのは感じてますね。

まぁ、あんまり気にしても仕方のないことなんで。

 

さて、ここまで書いてもうそろそろ書くべきことは書いたかなというところ。

西武池袋線に乗りながらこの記事を書いてたが、池袋駅に到着したらライオンズのラッピング電車が向かいのホームに止まっていた。どうせ俺はライオンズから逃げられやしないのだ。意味のない錯乱はしない。

 

主観では心を乱していない自分なのだけど、果たして客観的に見た時にどうなんだろう。わかりやすく「うわーん!何故だぬおおおん!」と騒いでた方がわかりやすくて怖くないという意見が多ければそうしますけど…いやまぁ無い感情を表出させるのは無理な話だからその時は演じるわけになるけど。

ま、なんにせよ。思ったよりへーきへーき!ぜーんぜんなーんとも食らってないんだ!と思ってますわ。という話。ははは。