人生、東奔西走

自分の人生の備忘録のつもりで作りました。

外野から爆弾を投げ入れていく生き方

誤解しか招かねえタイトルだ…。

 

一ヶ月ほど前30歳の誕生日を迎えまして、これにて私もいよいよ三十路の大台にステップアップを果たしました。いぇーい。

三十路タカボン、略してみそボン。古式ゆかしいボンバーマンにおける序盤敗退者救済制度を思い出すね。いや、この略称、2022年の東山さんの誕生日イベのグッズに由来を持つのでパクリであることは先に自供しておきます。

しかしタカボンというニックネームをいただいたのは高一のときなので、もう人生の半分をタカボンで過ごしていることになるのか。

しかし30になるってもっと劇的な何かを感じたりするもんかな…と思っていましたが、実際のところ何か劇的に変わったりすることはないですね。いや、当然の話ですけど。

 

どっこい、10年に一回しかやって来ないタイミングでもあるのでなんかしたいな…とは思ってました。

そんな私にちょうど良いイベントが。お笑い芸人あさりど堀口文宏さん主催の野球トークイベントにライオンズの辻前監督がやってくるというではないですか。

しかもそれはわたしの誕生日ど当日。これはもう今年一年の死に物狂い現地通いに神様が何かしらの報いをくれたのだと判断して、発売後すぐチケット購入を試みましたよ。

 

その後イベント前日に実はチケットが買えてないことが判明して、当日券チャレンジに挑む羽目になるなど紆余曲折はあったものの、非常に楽しいイベントでございました。

えー…内容についてはここだけの話ということが多く、門外不出と約束しましたから。男子の一言の如きは守らねばならない。しかしそのくらいに踏み込んだ話もあり、やはりノー配信直接対決イベントは面白い。

次は1月13日に源田選手とのノー配信直接対面トークショーがあるので、そちらも楽しみですね。

 

 

さて、この辻前監督イベント参加直前にふと、過去の10歳区切り後の初出来事は何だったのか思い返していたら…なかなか面白いことになりました。ちょっと振り返ってみます。

 

まず20歳。

2012年12月の中旬にかけては思い当たる節があって記録を探していました。予感は的中、時に2012年12月15日で場所は東京ドームシティ。

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山崎はるかさん演じる水蓮寺ルカのデビューイベントに参戦しておりました。

実はこのイベント、私の人生において楽曲披露を伴う初のイベントでした。東京ドーム水蓮寺ルカリリイベ→パシフィコ横浜ハヤテ神のみジョイントコンサート→舞浜アンフィ中川かのん2ndコンサートは一連の流れとして、自分史の中で大きなストリームでありまして…。

20歳を迎えた直後にそのスタートラインに立っていたのは今にして思うと、結構象徴的な出来事なような気もするのです。このイベント以後、プリンスドームや沖縄、大阪、武道館で得られた大きな情動は20代の自分にとって常時大きな燃料をくべていたのです。

 

 

であれば10歳を迎えたときはどうだったのか…。

こちらについてはまだiPhoneも持つ前で、Twitterも始めてなくて…要するに記憶以外のログがないという状態なのです。

10歳の誕生日を迎えた2002年12月の初旬…。しかし、カレンダーで日のめぐりを見るとおそらくこれをしていたに違いないという一つのイベントが有るのです。

10歳の誕生日を迎えて最初の週末は2002年12月14日。この日は「ゴジラ×メカゴジラ」の公開日。おそらく間違いなくこれを見に今治シネマサンシャインに行っているはず。

ゴジラシリーズに傾倒していたのは昨日の記事の通りでもあるんですが、もう一つ。

この作品でいうメカゴジラ、三式機龍という存在は自分が「人ならざるもの人格」に思い入れを持つようになるそのスタートラインだったような気もしています。

三式機龍への執着が後に長門有希はやぶさカローラフィールダーへ持つ執着の原点だったと。

 

 

こうして考えてみると10,20を迎えて最初の出来事(イベント)は後になって振り返ってみると、何かしらの意味があった…と言えなくもないわけです。

では、30の区切りに打ち込まれたこの楔は将来的に何の意味を持つのだろうか…。

辻監督、ライオンズにかかる何事かが、今の自分にとってなにかのスタートラインになるとは思ってないので、これは三式機龍→長門有希にあったような、すごく遠回りな何かを与えてくれるんじゃないだろうか。

 

 

話を自分のことに戻します。30を迎える前後、自分自身について感じる変化は色々とありました。

まずひとつ、先日のぎっくり腰案件でもわかったように、そもそも大して鍛えていない自分について肉体的な無茶は効かなくなってきたということ。

 

もうひとつ、精神面においても良くない変化を感じることがあります。昨年実施した国道1号走破の旅、その道中において自分は2度声を荒らげてしまった。

このことが一番端的な事例になるのですが、気難しさ、メンタルの柔軟性を失っていることを実感しています。いついかなるときであってもヘラヘラとする精神性でいたい。

加齢とともに気難しさを増していく、そういう見たくもない自分にはなりたくないとは思っています。そのための手法を確立できてはいないのだけど。

 

さて、この記事を10年後の自分が振り返ったとき、どうなっているでしょうね。

四十路ということは、しそボン。大葉のような清涼感の持つベテラン選手になれていれば幸いです。

 

122.0