人生、東奔西走

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『ゴジラ -1.0』感想 ゴジラシリーズ70年の歴史に必要な一作だった

1954年に『ゴジラ』が公開された11月3日。2023年の同日、ゴジラシリーズ70周年記念作品である『ゴジラ -1.0』が公開されました。

皆さんは、もうご覧になりましたでしょうか?私はゴジラシリーズに関しては大ファンでして…。その最新作バッチリ見てきましたので感想記事です。

例によって、以下本筋ストーリーについてガッツリ話しますので、映画見に行く予定の人は鑑賞前に読まないことをおすすめします。

 

 

それではいってみましょう。

 

 

 

 

 

 

 

2時間に渡る『ゴジラ・ザ・ライド』だったのか?というゴジラ存在への没入感

 

結論、私はこの新作『ゴジラ -1.0』に関しては大満足でした。

いくつかの評価軸においてそう感じたのですが、順に話します。

 

まず一つに、これは公開前に監督やキャストのみなさんも語っていたことなのですが、「ゴジラを体感する」という感覚。

今作、ゴジラの登場は冒頭早いタイミングでして、大戦末期に大戸島(!)守備隊をゴジラが襲撃するというところでした。

ここで主人公・敷島 浩一(神木隆之介)もゴジラとの初遭遇をするのですが、主とする視点はこの敷島や守備隊の視点、つまり人間の目線で見上げる形でゴジラを書いているんですよね。

こちらに向かってくる、上から噛みつく、踏みつけてくる…。

冒頭数分でのゴジラ登場に「出し惜しみなしかよ!!」とテンションが上がっていたのもつかの間、この襲撃してくるゴジラが確実にこちらを狙っているという恐怖の感覚ですね。

そもゴジラという怪獣が人間一個体を狙って襲うということは、シーンとしてあまり描かれてたことはないんです。基本的には人間なんて極小生物を気にしない、怪獣の進撃、戦闘の余波で巻き込まれて死んじゃうことはあったとしても…。

特にこの上からの噛み付いて、人の上半身加えてそのまま遠くに放り投げるってシーンはかなり衝撃的でしたね、これまでのゴジラのそういう性質上。

画としては画面上部からゴジラの口だけがガッとでてきて守備隊員を加えて放り投げる…。画面越しにもこちらに襲いかかってくるのかというような、こちらへの敵意…これは今作の特徴的なところかなとも思います。

 

その後も、ゴジラ東京上陸を阻止すべく、重巡高雄到着までの時間稼ぎを敷島たちが行うシーン。

ここも木造の小船である新生丸にゴジラが追走してくる。ジョーズ見てんじゃないんだぞというような…。

大戸島襲撃シーンも、ここでの最初のゴジラ海上戦もなかなかアトラクションチックではありますよね。ここは山崎監督の『ゴジラ・ザ・ライド』の経験が活きている…というかそういう作りが好きなのかなとも思いました。

新生丸でゴジラから逃げるシーンに関しては、ゴジラが顔を水上に出して目線をこちらに向けて追ってくるのが恐ろしかったっすね…。これまでのゴジラ遊泳シーンは着ぐるみの特性上直立姿勢。そうでなければ背びれだけが海上に見えて顔は水中という事が多かったですから。ハリウッドのゴジラもこのうち後者の泳法を踏襲しているように思います。

だから、顔が水面より上に見えた状態で巨大なゴジラが追ってくるというの…怖かったっすね…。

なので、高雄到着して20.3cm弾が直撃したときは見てるこちらとしても「た、助かった…」となる。

ここの対ゴジラ砲撃戦は見応えありましたね…。艦船との肉弾戦とでも表現すべき接近戦は映像として満足度高かったです。その後の今作でのゴジラ熱線の一発目も含めて。

 

 

戦争の象徴としての『ゴジラ

 

みたびゴジラを体感する銀座シーンの前に、敷島たちのストーリーも振り返ってみましょう。

作品冒頭、大戸島に向かう零戦の映像から始まります。

 

機体不良のため大戸島飛行場に着陸した敷島。そこの整備隊長である橘 宗作(青木崇高)に不良なんて見つからなかったと言われる、特攻隊員の敷島…。そう、敷島は特攻隊員だったんですね。

事前情報では戦争帰りとしか表現されていなかったのですが、特攻隊員だったのか、と上映時にここで驚いていました。

 

敷島はここでゴジラと相対し、自分が零戦機銃の引き金を引けなかったために、大戸島守備隊は橘を除いて全滅。

その後二人は復員船で本土に引き上げますが、帰ってきた東京では東京大空襲のために敷島の両親は亡くなっていて、ご近所さんの太田 澄子(安藤サクラ)に生きて帰ってきたことを詰られ。

その後、闇市と思われる雑踏で敷島と出くわした大石 典子(浜辺美波)と彼女が連れていた戦災孤児である赤ん坊の明子となし崩しに住まいをともにする敷島。

二人を養うためにも仕事を見つけないといけない…という中で舞い込んできた機雷除去の危険な仕事。機雷除去の特別誂え船、新生丸で任務をともにするのが、秋津 淸治(佐々木蔵之介)、野田 健治(吉岡秀隆)、水島 四郎(山田裕貴)の面々。

 

このあたりのストーリーラインに関しては、ゴジラ映画というよりは戦争映画を見ているというのが正しい向きな気もします。いや、昭和のその時期を描いた映画…というべきか。

1954年以前を描いたことのないゴジラシリーズは、良くも悪くも戦争に関する直接的描写に関してはあまりなかったものですから。

 

それをやれた作品があったとしたら1954年の初代ゴジラだったでしょう。

その監督である本多猪四郎は過去のインタビューにてそういう描写を入れることについて「現実感」の観点から入れなかったと述べています。

脚本段階ではビキニ水爆実験で被爆した第五福竜丸が登場したりもしていたそうですがそこをやらなかった。また、核の酷さとして広島・長崎のことを直接的描写で入れることについてもそれはやらなかったと述べていました。

1950年代当時において、水爆実験が世界の何処かで行われ続ける冷戦下の情勢の中で第五福竜丸を出してしまうと、そこは現実の世界と地続きになって、そこにこれまで現実の観客が見たことのない浮いた存在である怪獣を入れてしまうと対比で浮いてしまう。

また、本多監督自身は当時において向こう数十年は草木も生えないといわれていた広島を中国からの復員の途中で通っています。そうした現実の光景に、当時の特撮技術はどうやったって表現しきれるものでもないと。

こういった趣旨のインタビューを読んだ記憶があります。

 

そういう点で今作はそこに真っ向勝負をしている気もしています。

 

というのが、まず先に述べた対ゴジラ海上戦闘で高雄という現実に1947年に存在していた重巡を引っ張り出してきたこと。この後に出てくる艦船も現実に残存していた艦船が出てくるんですが、そういう点でバリバリに史実と接点を持たせようとしてくる。

 

そして、銀座での熱線シーン。ここの爆発の描写は予告シーンでも流れていたのですが、この爆風で辺り一帯が更地になっていくシーン…。

怪獣映画でここまでの描写をしていいものかと、予告の段階で姿勢を正して見ることになる作品だなと感じるシーンでした。逆に予告で入れることではっきりとそういう災禍のシーンを描写しますよという宣言でもあるのか。

本編ではこのあとさらに、爆心地からきのこ雲が上がり、ゴジラに向かって慟哭する敷島に黒い雨が降ってきます。爆風、きのこ雲、黒い雨の描写はどうしたって核爆弾の被害を連想させます。

 

70年前本多監督がやらなかったことをとうとうやるに至ったとも思っています。それを可能にしたのが、VFXに代表される映像表現の進化と歳月の経過なのかもしれない。

 

海上前線を突破したゴジラという災禍は、銃後の人々にも降りかかる。

今作におけるゴジラ存在が、ゴジラの持つ他のモチーフを削ぎ落として戦争そのものを意図しているように感じたのはこのあたりからでした。

ゴジラが原点に持つモチーフの一つをこうして過去にない深度にまで掘り下げて描写する。そういう意味で、この『ゴジラ -1.0』はゴジラシリーズ70年の歴史の中で、必要な作品であるとも感じています。

 

 

もう一つ、これは『シン・ゴジラ』と意図的に対比させているのかもと思ったのですが、今作では日本政府やGHQという統治機構の話はほぼほぼ出てきません。

物語は常に敷島の周囲の視点で進みます。個人的にはこれは2時間の枠の中で話をしっちゃかめっちゃかにしないという意味で好印象です。

高雄や雪風、響の登場で現実との接点を…って話をしましたけど、これが吉田茂なりマッカーサーなりを似た風体に仕上げて登場させてしまうと、一気にそこの現実感とのバランスが崩れてしまう気がする。一気に歴史シミュレーションみたくなってしまう。

なので、その辺りの政府描写は全部映像カットと字幕、ナレーションで処理したのは個人的には好印象ですね。

ま、それはそれで説明不足とか、ご都合がよろしすぎる…とか受け取られかねないけど、この映画は一個人の目線でゴジラという災禍を体感する。そこに振り切った作りなのだと受け取れば。私は何事につけ思いっきり振り切ったやり口は好きだ。

 

そして、国に頼れない敷島たちの最後の作戦がスタートするわけです。

 

 

「海神作戦」史上最も貧相な戦力での対ゴジラ決戦

 

ゴジラの銀座蹂躙で典子を喪った敷島は、その葬儀の席で野田から「民間主導のゴジラ撃退作戦がある」と参加の提案を受けます。

 

この映画がゴジラ映画である以上、ここまでやってくれちゃった今作のゴジラは退治・撃退・抹殺しなければ映画としての幕引きはできません。

 

これは予告で1954年以前をやるって発表されてから結構盛り上がっていたところなんですが、「今作ゴジラどうやって倒すの?」問題。

シン・ゴジラ』を例に出すまでもなく、ゴジラシリーズにおいては最後は自衛隊、ないしはGフォースでのGグラスパーでもなんでもいいですが、ともかくそういう武力を行使できる存在がなんとかしてきました。

予告の時点では警察予備隊GHQ?とかそういう存在が候補には上がったものの、実際のところGHQは対ソ冷戦下でソ連軍を刺激しないために軍事行動は行わないという判断。…ええ?東京壊滅する段になってもそうなんすか?とは思ったけども。

 

そこで吉岡さん演じる野田が立案したそんな環境下での対ゴジラ撃滅作戦。

フロンガスの泡でゴジラを包むと浮力がなくなるので、それで海底まで急速潜航させて加圧で殺す!ダメなら浮袋を展開して急浮上させて減圧で殺す!というもの。

海の力でゴジラを殺す…、以て「海神(わだつみ)作戦」


ええい!もうやるっきゃねえ!

元海軍軍属の面々が覚悟を固める中で、敷島は野田に「航空機の宛はないか」と尋ねます。

 

そして、見つけ出してきたのが幻の局地戦闘機震電

おお…。正直これは機体が見えたときテンションは上がってました。震電VSゴジラってなんだ、ファンメイドのそういう作品か?というようなマッチアップ。

 

さて、ここに駆逐艦4隻と敷島の駆る震電1機という海神作戦の戦力が揃い踏みです。

これ史上最も戦力に乏しい対ゴジラ決戦ではないか…?

ま、主兵装は水圧。そう考えると母なる海を戦力として換算して史上最高戦力とも言うことはできるが。

 

敷島はここで震電を動ける状態にできる整備兵として大戸島守備隊の生き残りである橘を探し出します。

その方法が結構めちゃくちゃで、ここらへんの敷島はもう「ゴジラを殺す」この一点にすべてを駆けている。それを狂気混じりの執念…ということもできるだろうけど、簡単にそう表現するべきものでもないかもなとも。そりゃ…そうもなるよな…とも。

ここらへんの神木くんの演技は真に迫っていて…。予告で流れていた「あの怪物は許しちゃくれない…」のカット、実際は橘さんに「ゴジラは中からなら殺せる!あなたの戦争も終わってないですよね!そうですよねえ!」と迫るところだったのも、いい意味で裏切られてよかった。

そんなこんなで橘さんが整備をしてくれることとなり、迎える対ゴジラ決戦。

 

出撃直前に橘さんから説明を受ける敷島。そこには特攻機として機体内部に爆弾を抱えている震電

敷島が橘を指名した理由、それは震電特攻機として換装してもらうためでもあったんですね。橘に「今から大事なことを言うぞ」と説明を受ける。曰く、このレバーを引けば爆弾の安全装置が外れる。ゴジラに突っ込む直前に引け、と。

 

このとき自分は「ああ…、これこのレバーが実は脱出装置のそれになってて敷島助かるんだな」というのが見えたんですよ。直前に野田さんが「この作戦では一人の犠牲も出さない」というシーンがあったのもあって。敷島が最後ゴジラに特攻して倒しておしまい!にはしないだろうなと。

この予想が…まぁ、裏切られるんですが。作中の時間を進めよう。

 

ゴジラが再び東京に向かってきているという中で、海神作戦が開始される。

敷島の震電が上陸したゴジラを再び海上に誘導して、作戦決行!!

 

無人駆逐艦2隻に熱線を撃つよう誘導してその間に雪風と響がゴジラの周囲を展開して、ガスボンベを巻き付けていく。

ゴジラがポンポン熱線を撃てないという設定なのもよかったですね。そもそもゴジラの熱線に関しては生得的なものではなくて、水爆実験による影響で後天的に得てしまったものなので、一発撃つごとにゴジラもダメージを受けるというのが。

ガスボンベの起動が先か、ゴジラの2発目が先か…。ここの緊迫感がいいね。ゴジラがずっと怖えのよ。今回。

 

ガスボンベが起動して、相模湾海底に引きずり込まれるゴジラ。「やったか…!?」と思ったのもつかの間まだ生きている。

そこで今度は浮上させて減圧で殺す!とプランBに移行。

が、途中で止まって上がってこない!浮袋を食い破っているらしい。ここで雪風艦長がすぐさま響に連絡し駆逐艦2隻の推進力でゴジラを引っ張り上げようとする。「やれることは全部やるんだ!」と。

ここの判断力の素早さの描写、歴戦の船乗りって感じがあってよかったですね…。

馬力が足りねえってなってる最中で、無線が入って今作戦に同行させなかった水島が横浜やら横須賀やらから、民間船を大挙して駆けつけるシーン。

…えー…実はここで私感極まっていたのですが、その理由の一つ。ここで読み上げられる船名、よーく聞いてください。栄光丸の船名ありましたよね?

栄光丸…54年ゴジラにおいて最初の犠牲となった貨物船の名前ですよね?

シン・ゴジラ』のラストで無人新幹線爆弾、無人在来線爆弾がこれまで蹂躙されてきた鉄道車両の無念を晴らすんじゃ!とファン界隈で盛り上がってましたが、それの海上版…。数多沈められてきた民間船が、最後ゴジラを引っ張り上げて殺すために大挙している…。

 

ここは雪風、響という軍属の艦船だけでなくて、民間船も寄ってたかって力を合わせているというシーン。画的には大きなかぶ的にも見えてちょっと面白さもあったけど、いいシーンだな…って思いましたね…。

そして、作戦は最終局面へ。

 

 

 

「生きて、抗え」

 

浮上してきたゴジラはボロボロになってはいたもののまだ生きていて、もうダメか!ってなったとき。敷島の震電が突っ込んできてゴジラの口に突っ込む!!

ゴジラの頭部が吹っ飛んで、敷島はどうなった…!?ってなっていると、パラシュートが開いていて、敷島は生きている、と。

 

「な?予想当たったじゃんね」と思うもつかの間。出撃前の回想シーンに戻って、立花さんが続けて説明している。「こっちのレバーは脱出装置だ」と。

ここはいい意味で予想を裏切られましたねえ!

つまるところ、ここで選択権は敷島にあったんですよね。

典子もいない世界、いいじゃないかもう…あの日に大戸島で死んだ守備隊にもこれで顔向けができる、悪夢に苛まれることもない、ここで一死を以てゴジラを倒して日本救って…ケリをつけてもいいじゃないかという択と、そんな色々な「それでも」を踏み越えて明子や皆のいる世界で生きていくというもう一択と。

瞬間、敷島は脱出装置のレバーを引いていた。死なば諸共ではなくて、懊悩する世界でも生きていくことを自ら選んだのだと。

 

この作品のキャッチコピーは「生きて、抗え」

ここにもかかってくるのか…。

そして、ここで敷島生存の報を受けた橘さんの表情というか脱力というか…感情の発露もいいんですよ。そうだよな…整備兵なんて本来は生きて帰ってこさせるための役職で。死を前提とした作戦のために、戻ってこない機体のために整備をするもんじゃないもんな…。橘さんの戦争もここで終わったんだなって…。

 

 

ゴジラを葬って帰投した敷島たちのところに明子を伴って澄子さんがやってきて、一通の電報を渡す。

それを読んだ敷島は明子を抱えて急いである病院に向かう。するとそこには死んだと思っていた典子がベッドに起き上がっていて、敷島を見ながら「浩一さんの戦争は終わりましたか?」と告げて、敷島は再会の喜びに泣き縋って劇終。

 

…いやあ!生きてましたね典子さん!良かったねえ…。良かった…。

いや、だって…助かってないと思ってましたもん…。あんな吹っ飛び方したら…。

これが自分の感想として「ご都合主義的ハッピーエンド」とはみなさずに、心底生きてて良かったなあ…って思えたのは、敷島たち登場人物に感情移入をしていたからなんでしょうね。

 

そして、敷島が直前で「生きて生きて生き抜く」選択をした先の未来でここにつながったのがよかった。

レバーのシーンで自分が予想していた橘さんが爆弾の安全解除装置と脱出装置のレバーを偽って、刺し違えてでもゴジラを倒すつもりで引いたレバーが実は…というパターンだった場合は、橘さんのお陰で生きながらえた敷島がこの未来にたどり着く。

選んだ未来の先に、そのハッピーエンドがあったのだから、そこはもう一観客としての自分の目線は「お前さん本当によかったな…達者で暮らせよ…」となったわけですね。

 

そして、ゴジラのメインテーマが流れスタッフロール。

 

今回感想を書くにあたって、振り返ってみるとちょいちょいここはちょっと微妙かも…と思った箇所もあったりしたんですが。

それでも、劇場で見終わったときのあの感動と満足感。

そして、感想書き終わってもトータルでの充実感と満足感。

これは…いい作品を見させてもらいました。つまるところ私は大満足をしているということです。

 

ぜひとも多くの人に見てもらって、感想話したいなとも思える作品ですね。面白かったのよ…シンプルに娯楽作品としても。

11月1日に東京国際映画祭のクロージングイベントで封切りより一足先に見せてもらったので、公開日の今日までうっかり中身言わないように気をつけていたんですが、ようやくその鎖もおしまいです。長かった…、こんなに長い40時間はなかったってくらい。

まだまだ語りきれてない好きなシーンはたくさんあるので、それはもう後日箇条書きみたいな形でやっていこうかな。

 

というわけで本日11月3日から『ゴジラ -1.0』公開中です!

多分日本のどこでもやってるでしょう!シリーズのファンとしても結構な自信をもっておすすめできる作品でした!3連休いかがでしょうかね!