末の弟が実家に帰るということで、東京にいるうちにということで今日飲みに行っていました。
まぁ、別に仕事を辞めようが何しようが、やり直しも立て直しも効く年齢なのでそこらへんは別にどうでも良くて。
話を聞いていると「あの時こうしておけば」「この選択は失敗だった」という後悔の話が結構あって、そこから自己批判に向いていく。
そのメソッドでばかり話を組み立てていくこと、結構しんどいんではないかなと思います。そうは言ってもIFルートの自分に光明を見出す気持ちもわかるんですけどね。
ただ、どこかでやはり納得のいく選択をしないといけなくて。それは最善とか最良の選択をするという意味ではなくて、どこかで落とし所、自分のなかで腹落ちする落とし所を見つけるという話だと思っています。
なんというか話を聞いていると次の就職に向かってもかなり前のめりでやろうとしている節を感じたので、そこはもう実家に帰って衣食住の心配をすることがなくなったのだから、一回ゆっくりするのも選択肢では?みたいな話もしました。
あんまり焦って選ぶものでもないですからね。
そんな話の中で「何者かになりたい」という話題になって、自分に話が振られました。曰く、「昔は映画監督やアナウンサーになりたいと言っていたのに、いつから、何故そういう何者かになりたいという欲を捨てられたのか」という話。
その辺り、たしかに昔なりたい職業としてそういうものを上げていた。実際アナウンサーになりたくて高校も放送部に入って、当時FM局やローカル局のアナウンサーの方と話す機会もあって、いいなあ…とその欲求が高まっていた時期があるのは間違いない。
そういうのをどこで諦めたのか…。諦めたっていう言い方すら正しくない気がしている。
所沢のしがないライオンズファン、この属性が今の俺を規定していて、そうなるためにいろいろな決断を経ている。そういう意味では今の自分は一つの納得をもって何者かになっている…。
というような話をしたんだけど、まずもってうちの家族は俺のライオンズファンとしての度合いを測り間違えているってのはずっと言ってるから…。まあ…、彼がこの話を真実と受け取ったかは微妙なところかもしれませんね。
ま、ともかくも実はこれで弟が愛媛に戻ることにより、年初来自分の腹の中にあった「誰かしら愛媛に帰るべきタイミングなのでは…」論は一旦結末を見て、俺が所沢から離れるということは一旦当面大丈夫そうではあります。
一安心して、3度目の所沢の夏に入る。
115.0