人生、東奔西走

自分の人生の備忘録のつもりで作りました。

あり得たかもしれない明日の話

(本記事は3月13日公開のこの記事(俺たちのコマンド入力には意味があった)の後に公開するつもりで半分くらいまで書いていたものを、今最後まで書ききったものとなります)

 

昨日の続きみたいな話になるんだけど、同じくブルアカ最終章のストーリーの話から、そういえば…で想起した話。

 

(以下、ブルーアーカイブの最終章までのストーリーのネタバレとTVシリーズウルトラマンデッカーと映画『ふたつの昨日と僕の未来』のネタバレがあります。ご容赦を)

 

 

 

ブルアカ最終章の対戦相手が別の時間軸…というか平行世界のプレイヤーということだったんですが、つまるところこれってマルチバース俺ってことなんですか?

いや…これってプレイヤーキャラクターはプレイヤーそのものというよりもそれ自体を一個のキャラクターとして見たほうがいいのでは?という気もしてきたな…。

近しいところでかつて提督として自己を没入させてハマりまくった艦これのことを思い出すが、あちらに比べるとこちらの作中の先生は作中要所要所でしっかり明確なセリフがあるし、プレイヤーであるというよりも一人称視点で見ているだけで、キャラクター「先生」として見るべきなのか…?まあ、その辺りは自分のプレイのモチベーションにも関わってくるところなので、急いで結論を出さずに、今日は平行世界存在の話。

 

あり得たかもしれない別の世界線、時間軸の自分の姿を目の当たりにして、しかしその通底する信念は揺らがなかった…。そういう物語っていうと、実は最近だとウルトラマンデッカーのストーリーを思い出します。

 

 

作中、ウルトラマンデッカーに変身するアスミカナタは、なぜ戦うのかの問に対して「守れるものは守りたい」という自分なりの答えを見つけます。

この世界では人類はスフィアという宇宙の概念的な敵に対抗していく。

そして、そのスフィアだけではなく作品中盤から終盤にかけて敵役として立ちふさがったのはパズド星人アガムス。

彼は異星人であるとともに数百年後の未来からやってきた未来人でもある。彼の故郷はスフィアと戦い続ける地球人に善意から手を貸したことで、戦火に燃え上がるという未来をたどります。

その最中で最愛の妻も亡くしたことで、地球人に対する復讐心が芽生え、過去にやってきて地球人が外宇宙に進出する前にスフィアによって滅亡するように仕向けるという行動に出るわけです。

 

かつてアガムスが地球人を救おうとしたのも純粋な善意でした。優れた科学力を持つパズド星が快く地球人への援助を申し出たそれは、「守れるものは守りたい」というカナタの純粋な願いにも重なるものがあります。

守れるものなら守りたいと進んだ先にあったのは破滅だった…というアガムスの姿は、カナタの「あったかもしれない未来」なのかもしれないと作品を見ながら感じていたんですね。

 

 

もう一つ、「あったかもしれない時間軸の自分」というので思い出す作品が『ふたつの昨日と僕の未来』という映画。

ちょっとこれは上映エリアにかなり偏りがあって新居浜市制80周年記念作ということで、愛媛では6館やってるのに、関東全域で上映館4館という映画でした。よってあらすじを以下に。

 

ラソンランナーとしてオリンピックを目指していた海斗(佐野岳)。しかし、怪我を理由に現役を断念する。その後は市役所に勤め、無気力な日々を過ごしてきたが、とうとう彼女の真里乃(相楽樹)にも見放される。そんなある日、観光案内で訪れた山の中で大雨に見舞われ、逃げ込んだ先に不思議な坑道を見つける。雨を避けようと中へ入ったはずが、なぜか坑道の外へ。そこは、同じ場所だが雨が止んでいる。その瞬間、経験したことがないはずの記憶が駆け巡った。交差する記憶に混乱しながら街に戻ると、喧嘩していたはずの真里乃とは順調に交際し、オリンピックの金メダリストとして街の英雄に!?市役所では、事故で亡くなったはずの父・悟が上司として働いていた。家に帰ると、生きていたはずの祖母・智恵子の遺影があり、とっくに亡くなったはずの祖父・哲夫が現れる。訳が分からない海斗に哲夫から驚きの事実を告げられる。2つの世界の狭間で揺れ動く海斗。果たして彼が進む未来は?

映画「ふたつの昨日と僕の未来」ストーリーより)

 

これについては「あったかもしれない時間軸の自分」がもっと直接的に我が身に降り掛かってくるというもの。

しかも先のアガムスが最悪の展開を迎えたカナタのifルートだとしたら、この映画で海斗に手渡されたのは最高の展開となったifルート自分。

そして、この作中ではその二択のどちらかを選べという選択を強いられることに。

この選択の肝は明らかに今より良い状況の自分にデメリットなく入れそう(代わりに消される自分存在というものが作中描写されない)だけどどうする?ってとこでしょうか。考慮の材料はそのに至る経緯・記憶・実感が無いということ。

最終的に主人公海斗は金メダリストにもなれず、仕事もなかなかうまく行っていない最初にいた自分の世界に戻ります。去り際に、こちらの世界では生きている父親に「俺、頑張るけん」と告げて戻るのです。

用意された栄光より、実感ある苦境を切り拓く道を選んだか…。この映画のストーリーわかりやすくも結構好きなんですよ。

感慨に浸っていると流れるED、水樹奈々さん(新居浜出身)の『サーチライト』の歌詞「何もない何もない闇の中で知った 後悔は未来でしか消せないこと」と。

上手くいかない何事かをなかったことにしてしまうんではなく抗って、頑張っていく…。ifの自分という選択肢への問いとしては非常に好きな解です。

 

 

いろいろなifルート自分の物語を考えていたら、ふと自分についてもifルート、人生の分岐点的なものがどこにあったのか色々考えてしまうのです。多分それは進路や就職のそれではなくて、もっとターニングポイントになる二択、三択があった…。

その時歴史が動いた、という自分史のifをもし反対方向に倒れていたら、別方向に動いていたら、またタイミングが少しずれていたら…。

そんな仮想の話をそのうちやってみたいなと思っています。ま、最近の記事のつまり具合だといつのことになるのやら…ですが。

 

 

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