週末に『旅行の世界史 人類はどのように旅をしてきたのか』という本を読んでました。
有史以来の人類の旅の歴史を、古代は叙事詩上の伝説の英雄譚に始まり、アレキサンダー大王や玄奘らの旅から、現代は前園社長の月面旅行に至るまで広く広く暑かった一冊でした。
時代を下るにつれて旅というものが稀代の英雄や宗教上の大偉人にのみ許されるものではなく、徐々に人々の間に広まる様を追っていくと、現代における旅行というものが人類史における地続きの文化なのだと感じられました。
別の本になるけど、『食の世界史』という本で、人類がアフリカから世界中に広がって、農耕を始めるまでの経緯についての章で、人はなぜユーラシア中に移動したのか?ではなくて、なぜ定住するようになったのかというのが正しいと書いてました。「ヒトがもともと移動する動物だ」ということでした。
農耕により、都市により定住するようになったヒトという種は、それでいてしかし、やはり本質的には移動をせずにはいられない種なのかもしれない。
アレキサンダー大王のそれは行軍、玄奘のそれは宗教的な巡礼であって、それを可能にしたのは不世出のカリスマやど根性であったのでしょうが、その後に続くマルコ・ポーロやイブン・バットゥータらの東方旅行、メッカ巡礼には先人らの累積知が大いに活用されていました。
旅と旅行記、航海と航海日誌がセットのものとなり、のちの時代の冒険や航海に生かされていく様。それが北極南極の両極地に行き着く頃には、旅が未知への冒険ではなく、既知への観光として大衆に開かれていく様。
旅というものが人類全般に広がっていく様子を読んで、今日自分が享受している旅行しやすさに改めて想いを馳せるわけでした。
英雄らの伝記から、歴代冒険者たちの冒険譚、一部階級にゆるされた周遊旅行を経て、大衆へのパッケージ旅行が一般化するにあたって最後に大きな寄与を果たしたのが、鉄道、大型客船、飛行船、航空機といった長距離に高速移動できる技術の産物でした。
かつて自分が松山に住んでいた頃、各種遠征を終えたときに、旅路の鉄道会社、高速自動車道などなどに片っ端からお礼のツイートをして終わっていたことを思い出します。
このあたりの技術の進歩についても、オリエント急行、タイタニック号などの具体的事例を取り上げて紹介されていて、かなり読みやすかったですね。
個人的にはあとがきの文章も好きだった。
筆者はドイツ文学者なのだけど、旅行について「海外旅行でなくとも良い」「パッケージ旅行であっても良い」「自動翻訳機を使おうとも良い」と旅行の形式にはこだわっていない。ともかく旅に出て、その記録を残すことを良しとしている。
そのあとがきの結びの文
「そのようにして、人類は旅に出てきたし、旅はまだこれからもつづくのだ。」
ギルガメシュ叙事詩における旅、キャプテン・クックの冒険航海、飛行船グラーフ・ツェッペリン号の世界一周。これらの旅の延長線上に現代の旅があり、そして明日からも次の旅が続くのです…。
くぅー…旅に行きてえぜ…。
今年最後の首都圏外遠征になるであろう広島遠征を終えてしまった今となっては、次の旅の予定は未定なのです。早く旅行の計画を再び練られるように、根性入れて丁寧な生活だ。
その時には、気合い入れてこのブログに旅行記事残しましょうかね。これまでの旅と同じように。
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