まずは何をさておき、アイドルマスターシンデレラガールズ10周年おめでとうございます。
10年間のその全ての歩みを共に歩んできたわけではないけれど、振り返ってみるともう片手では余るくらいの年数をシンデレラガールズに楽しませてもらっていた。ここらで一つ、自分のデレPとしての半生を振り返ってみたくこんな記事を書いている。
コンテンツとしての歴史を振り返るのではなく、自分という1ファン、1ユーザー、1プロデューサーの歩みを振り返るという…ジャンルとしては自分史以上のものにはならんだろうけど、一つのサンプルとして記事を書いてみる。
- モバマスとの出会い(2013年1月7日)
- 後の担当との出会い(2013年3月~5月)
- 初の現地イベへ(2014年2月)
- シンデレラにおける一人目の担当アイドルを自覚(2014年12月31日)
- アニメシンデレラガールズ放送とアイマス10thライブ(2015年1月~9月)
- 「泰葉の木材」との出会い(2015年12月)
モバマスとの出会い(2013年1月7日)
自分にとってアイマスとの出会いはアニマスがきっかけだった。それも本放送終了後の2012年3月というなんだか変なタイミングだった。四条貴音に一目惚れして始まったタカボンPとしてのプロデューサー人生。
デレマスのサービス開始は2011年11月なのだから、その時点でデレマスは存在していたのだけど、正直ベースな話をすると当時ソシャゲに対して持っていたネガティブイメージもあり始めるつもりはなかった。
しかし、鏡花水月四条貴音[SR]が欲しい…そういう思いが強くなり怪盗ロワイヤルを辞めて以降休眠状態だったモバゲーアカウントが動き出す。
自分の記録にデレマス…いやモバマスが初めて登場するのは2013年1月7日のiPhoneのスクリーンショット。上条春菜の親愛度アップ台詞のものだった。今も昔も眼鏡っ子好きだったのだな、と思い返す。
2013年1月7日、0時57分。俺の人生にシンデレラガールズ登場。3G回線の表示に懐かしさを感じる。そしてこの2日後、湯治先の熱海のコンビニで人生で初めてのモバコインカード購入からの課金。その甲斐もあってなのか、その2日後1月9日には貴音のSRカードを獲得しているようだ。
この頃のスクショを見ていると当時は貴音を筆頭に765プロメンバーを中心に育成していた様子がある。しかし、その中でも新春アイプロイベの菜々さんパフェコミュを一心不乱にスクショしていたりとハマり始めている様子が伺える。
こうして徐々にシンデレラガールズのその沼にハマりつつあるタカボンPであった。
後の担当との出会い(2013年3月~5月)
モバマスを始めて1ヶ月半後の頃の自分のフロントメンバーはこのような感じであった。
四条貴音、如月千早、天海春香と並んで川島瑞樹その人が並んでいる。
実のところ川島さんのシンデレラマスターの発売日が2013年1月23日であり、自分がモバマスを始めて程なくのことであったのだ。
ここは記憶が曖昧であり…、東山さんファンである自分が「東山さんの新規キャラソンが聞けるゲームだし始めてみるか」と始めた可能性は状況証拠としては有り得る話。でも、自分の認識としては長らく「鏡花水月四条貴音」がモバマススタートの動機であるので、ここは鏡花水月説をもとに進めていきたい。
記憶といえばこの頃に忘れ得ぬ記憶がある。岡崎泰葉と出会ったのはこのあたりの季節なはずだ。ひな祭りイベントであることは覚えている。
しっかりとiPhoneで画像保存していて記録に残っていた。
2013年3月5日9時47分、その時歴史が動いた。
…というのは実は早計。これはあくまでも岡崎泰葉の自分の人生における初出。
この時点ですぐさま「担当アイドルじゃー!」となったわけではない。
事実この2ヶ月後くらいのスマホのメモ帳にその記録が残っている。
ちょっと上下のメモ個人情報入っていたのでスクショのさらに切り抜きではあるが、2013年5月23日のメモ。シンデレラガールズアイドル5名の名前を並べたこのメモが何かというと、当時有志が作っていた比較ツールを使って調べたシンデレラガールズ好きなアイドルTOP5ですな。誰々と誰々どちらが好き?を延々繰り返して順位を決めていくというアレ。
2013年5月時点において、ナンバーワンモバマスアイドルは薫ちゃんだった。薫ちゃんは今でも、私的好きなパッションアイドル5人並べてみたユニットに入っているほどなので、こうしてみるとかなり長いことトップ層で好きなデレアイドルということだ。もちろん同郷というのもあるにしろ。
このメモ帳の一番の違和感は岡崎ちゃんという謎の呼び方。今から見ると変な呼び方で始まった岡崎泰葉という後の担当との出会い。その呼び方の顛末はもう少し先に…。
ちなみに「サミダレがーるず」という今日に至るまで、私的『好きなCool属性アイドル5人並べただけユニット』のユニット名となっているものがあるが、それが誕生したのもこの2013年の5月のこと。
構成メンバーは岡崎泰葉、川島瑞樹、北条加蓮、神谷奈緒、そして鷺沢文香の5名。今書いていて納得したのだけど、鷺沢さんがエリア「愛媛」で登場したのがまさにこの2013年5月。
つまるところ後の担当を含め、後々のデレマスPとしての自分は案外早々に固まりつつあったのだということがわかった。
※ちなみに当初「サミダレがーるず」という名称は一過性のもので6月には「ツユゾラみっどないと」という具合に8月まで毎月雨由来のユニット名に変わっている。が、あんまりしっくりこなかったのか9月以降はサミダレがーるずに戻っている。
なお、当初上記の5人は好きなCoolアイドルトップ5という位置づけではなく「この子らが来たら課金やむなし」という一種の課金抑制の仕組みであったことも申し添えたい。
当初からこの5人がCoolトップ5とすると上記のメモ帳との整合性が取れなくなるためあくまで課金抑制の仕組みであったという理解は概ね間違っていないだろう。ただ、課金してまでほしいという上位5人が好きな5人ってことなんじゃないの?という理屈も一本筋は通っているが…。
初の現地イベへ(2014年2月)
モバマスを始めて1年と少しというタイミングで、初めての現地イベであるMOIW2014を迎えることとなった。
自分にとって初めてのアイマス現地イベは2013年夏の8thツアーだった。シンデレラ初の現地イベはその7ヶ月後。
結果的に言えばMOIW以降、シンデレラ楽曲を聴く機会というのが格段に増えている。イベント参加時点で、iTunesに入っていたのは川島さんと友人に借りた楓さんのCM、さらにこのイベントの参加申し込みシリアルが封入されていたアタポンCDだった。
流石にそれだけしか楽曲を知らないというわけではなかったと思うけど、今にして思うと隔世の感がある。
このライブの2週間後に、杏、みりあ、莉嘉の3人のCMを購入しており、さらにその数ヶ月後にはiTunesで単曲発売が始まったためか、いくつかのシンデレラマスターを追加している。
当時は大学生の身空ということもあり、一曲一曲の追加がやたら慎重だ。金銭的余裕が出てくる社会人以降はダウンロードもCDも購入のハードルは下がっているが…。
なんにせよ、このMOIWを機に自分がシンデレラガールズ楽曲に強く惹きつけられるようになった第一段階であった。そのくらいに、このMOIWは楽しかった。この数年後再び同じ会場で勝負をすることになることを、その当時の自分はまだ知らない…
シンデレラにおける一人目の担当アイドルを自覚(2014年12月31日)
ゲームも始めた、楽曲も聴き始めた。
最後に、「これで君もデレPだ!」…となるためのラストピース。じゃあ君は誰の担当なんだい。という問いに俺はいつから明確に答えられるようになったのか。
岡崎泰葉その人が俺のシンデレラガールズ最初の担当アイドルであることは間違いないが、それはいつからのことなのか。
前述のプレイスタート期においては、岡崎ちゃんなる謎の呼び方で全体4位に位置づいていた岡崎ちゃんがいつから自分にとっての担当アイドルになったのか。
ここに一つの担当襲名神話がある。
「帰省から都留に戻る車中、混雑して座席もない特急あずさのデッキで、『さぁ泰葉』と頭の中で思った。その時自分が岡崎先輩ではなく、泰葉と呼んでいることに気が付き、担当アイドルやな…という自覚を得た」というもの。
永らくこの自覚のもとで泰葉Pをやっていた。本当にこの自覚は正しいのだろうか…。ブログ記事にしようとしているこんな時でもないと調べ直さないから調べてみようと思う。
そして見つけた当時のツイログ。
上記ツイログは「岡崎」というワードで検索したもの。
このツイログの中に一つの決定的ツイートを見つけた。
岡崎先輩…いや、泰葉!
— タカボン (@existhope) 2014年12月31日
このツイート以降、泰葉呼びが定着していく。実際にはこの3週間前くらいに初めて泰葉呼びをしているツイートはあるのだけど、完全に入れ替わるのはこのツイート以降のこと。
このときやってきていたのは新春かくし芸イベだったと記憶しているが、このときをきっかけに自分を岡崎泰葉担当Pだと自覚したのだというのは間違いない。かくのごとく、呼称、呼び方というのは大切なファクターなのだと実感する。
こうして2014年末デレマスと出会い、モバマスプレイ開始から丸2年を経過して岡崎泰葉PとなったタカボンPが誕生した。
※なお、担当襲名神話の中で「帰省から戻る特急あずさの車内で泰葉担当の自覚を得る」とあるが、これは時系列の上で正しくない。2014年末~2015年始にかけて実家愛媛に帰省しており、上記ツイート2014年大晦日に都留に戻るあずさ車内にいることはありえないためである。おそらく帰省から都留に戻る車中で、帰省の思い出を振り返っている中、泰葉のことが強く思い起こされたため、上記のような神話が生まれたものだと推察される。
アニメシンデレラガールズ放送とアイマス10thライブ(2015年1月~9月)
そして2015年1月にアニメアイドルマスターシンデレラガールズが放送される。
分割2クールのため2015年9月まで放送は続く。
この時期の自分は、大学卒業、労働開始というタイミングを生きていた。おそらく多くの人にとって人生において最も落差のある一時期であろう。
大学のある山梨で見て、実家のある愛媛、研修先のホテルのBS11で…と容赦容赦で思い出に残っている。
そして、この時期の自分にとってシンデレラ関連で一番思い出に残っているのはやはりアイマス10thライブのこと。day2で歌われたGOIN'!!がめっちゃ思い出深く…。その時に聞いたミリオンのWelcome!!と二つ並べていたく感動していて「あぁ、俺はカウントアップ(ダウン)する曲に弱いんだ…」という実感を得ました。
この10thライブ、アニメシンデレラガールズの時期に俺のiTunesにシンデレラガールズ楽曲がバク増している。
2014年のMOIW以来9ヶ月ぶりのデレマス楽曲『TwilightSky』を皮切りにANIMATION PROJECTシリーズに加え、買っていなかったシンデレラマスターシリーズがインポートされている。
さらに、この年の9月にスターライトステージがサービス開始して、楽曲を通じてデレマスに入り込んでいくという仕組みがより確固たるものとなったような気がしている。
楽曲とくればライブであるが、シンデレラガールズのライブ現地参戦にはまだしばらくの時を待たねばならない。時間は少し先に進み、年の瀬を迎える。
「泰葉の木材」との出会い(2015年12月)
この辺りで先に断っておこうかな…。
今回のこの記事、これまで「言わないほうがいいだろうな…」で言わなかったこと、そのハードルを地面に埋めて臨んでいます。ここから先は少し俺が執着に生きていた時代の話が混ざってくる。
そして、もう一つ断っておくとそれを書く踏ん切りがついたってのは自分の中でもう大丈夫だなと思うこともあったから。前置きはこのくらいで2015年の暮れの話に進もう。
この年の暮れ、俺は再び東京に降り立ち東急ハンズにいた。
シンデレラガールズ東急ハンズコラボ。多種多様なアイドルたちが多種多様なアイテムをお勧めするというシンデレラガールズの数の力との相性の良いことこの上ない。そしてこの東急ハンズで後のデレPボンにとって不可欠なアイテムと出会うことになる。そう、岡崎泰葉の木材である。
ここで改めて話すと長くなるので詳細は省くが、要は泰葉のオススメしていた木材片手にいろんなところに泰葉のCMを祈願しに行く旅の始まりだった。
…今書いてもよくわからん事象だが、そういうことが始まったのだった。
オススメされたから買ったものの加工技術を持たない自分が、「じゃあ何をしようか。」→「そうだこの木材にパワー貯め込んでいこう!」という謎の発想に至ったのは購入してしばらくだろうが、少なくとも2016年4月には木材を持って鳥取大山に登っているから、そう時間を要していない。
そして、運命の2016年総選挙が程なくやってくるのであった…。
というわけで、ここまで書いていて文字数が結構なことになりそうなので、ここで区切ります。
後半は2016年以降のできごと。
主戦場を総選挙へ。そして「泰葉のCMを聞くまでは死ねない」という執着が始まって以降の話。
ただ後半戦も「俺デレPと泰葉の物語」にはなりそうにない。それは書く内容を考えいて気がついたことでもあるが、要所要所で多くのアイドルに救われていたということがわかってきた。だからこそ、この備忘録をまとめようとも思ったわけだけど。
さあ、なんとか明日中には書いて、過去を清算して名古屋に向かいたい。なぜって未来に向かった話をするために。
後半戦、明日あげられたら明日あげます。がんばります。