この前特撮解説系の動画を見漁っていたときに、興味深い説を見つけました。
それが「その世界に円谷英二がいるかどうかを判別する方法」というもの。
その方法というのが「怪獣」というワードが世間一般に浸透しているかどうかというものでした。
『シン・ゴジラ』がではゴジラを指して「巨大不明生物」という名称を使用していました。
作中のリアリティディザスター路線とマッチしていたというのがあるのでしょうが、これに対して、作中世界における理由付けとして「あの世界では円谷英二監督が存在しない」という考え方があり、これには唸ったものです。
なるほど、円谷特技監督がいなければ、ゴジラ・ラドン・モスラなどの東宝怪獣映画群、またウルトラシリーズに始まる怪獣ブームが起きなかったから怪獣というワードが日本文化において根付くことはなかった…というのは筋が通っているような気もしています。
怪獣という2文字の単語自体はもっと古いものだそうですが、世間一般に広まったのはゴジラシリーズ、ウルトラシリーズによるところが大きいというらしい。
怪獣というワードがゴジラ以降というこの言説に引っ張られて、昔の自分はしばらくハリーハウゼン監督の『原子怪獣現る』の邦題を『原始恐竜現る』と誤解していたというようなことさえありました。
まあ、円谷監督の実在不在を「怪獣」というワードの有無によって見分けるというのはすべての作品に当てはまるものではないでしょうが、一旦その実在不在を以下のようにまとめました。
ウルトラマンティガでは第49話『ウルトラの星』に1965年の円谷英二監督が登場していてウルトラマン誕生秘話を描くという回があるので、上の表ではⅠのエリアに。
前述の『シン・ゴジラ』は円谷英二のいないが実際にゴジラは登場したⅡのエリアへ。
円谷英二もいない、怪獣も実在しない世界線…。これ、ぱっと思い浮かばなかったので…。
「怪獣」ワードの有無で判定するにしろ、その単語が出てこないことを証明するのって結構難しい。例えば、今ぱっと思いついた創作作品ってことで『星野君の二塁打』が思い浮かんだんですが、この作品中には「怪獣」というワードは出てこない。が、シンプルに怪獣ってワードを出すタイミングが存在しないだけでもある。
「怪獣」というワードが存在するかどうかを判定する一番いい方法は、その人の眼の前に怪獣に類する存在が出現することなんだけど、そうした瞬間にⅡの象限に移動していく。いないことの存在って難しいですよね…。
単語からして当然に一般的なものではなく、作品の普及とともに広がったという歴史を思うと今こうして怪獣作品を楽しめているのもありがたいもので…。
冒頭の説ではわかりやすく円谷英二一人を挙げているけど、実際には本多監督、田中プロデューサー、脚本家の金城氏やアクターの中島春雄さん、古谷敏さん…。
どこかで歴史のボタンが一つかけ違えていたら、こういうふうにはなっていないかもしれない。蛇倉隊長の言葉を借りるならば「偉大な先人たちだ…」となりましょう。
国内で着ぐるみミニチュア特撮が生まれて70年目の今年。姿、様式を変えて、無いものをあるように見せる特殊撮影は世界最高峰の賞に挑むに至っている…。
しかしここまでさんざっぱらⅣの世界に生きていると断言していましたが、ある日突然Ⅰの世界になってしまう可能性は常に内包しているのか。無いということを断言するのは難しい…
120.8