ホグワーツレガシーが流行っているようですね。
ハリー・ポッター世界観のオープンワールドゲームが人気を博しているというニュースを見ながら、シリーズラストシーンに思いを馳せていました。あのシーン好きなんですよね。
(以下、ハリーポッター死の秘宝までのネタバレ注意)
ハリーたちがホグワーツ城の戦いでの決戦を終えて十年二十年後…。
キングズクロス駅でハリーたちの子ども世代がホグワーツ城に向かって旅立ちの時。
一年目のハリーの息子が「スリザリンにぶちこまれたらどうしよう」と不安を口にすると「いいかい、アルバス・セブルス・ポッター。」と二人の偉大な校長から名前をもらったという説明をして、そのうち1人はスリザリン出身だが、自分が知る上で最も勇敢な人だった…と告げる。
このシーン!いやあ…私好きなんですよね…。
さて…ハリーは自分の息子に二人の校長先生、もっというと二人の恩人の名前から由来をもらっていますが…。こういうの好きなんですよね。
と同時に、自分がこの恩人由来ネーミングやろうとすると、少し面倒なことになるのです。
日本の姓名においてだと漢字を一文字もらったりというのがメジャーな方法かなと思うのですが、自分の場合男の子が生まれたときに、恩人二人から名前をもらうと…。「文矢」と「鉄也」になるんですよね。音においては丸パクリになっちゃう…。
あとシンプルに文矢は、矢文とごっちゃになってしまう。多感な時期に、初恋の相手へのラブレターをひいふっと射切ってしまったら、地元の中学で伝説を残してしまう。
ない話をしている自覚があると、一言申し添えて続けます。
これに限らず、自分が将来自分の子供に名付けを行う際。友人らに「子どもが生まれました」便りなどを送ったときに、受け取った人が「こいつ…やったな?」と思われるパターンを避けようとしてしまう心の働きはあるのかもしれない。
例えば、上記の文矢にかぎらずですが、名前に「文」の字が入っていたときに「こいつー」と。それが希、音、葉、光、壮、剛、斗あたりの字も同様か。
いや、別に良いんだけどね。著名人なり、自分の思い入れから一文字もらう。自分のルーツ足り得るなにかから、願いを込めて、祈りを込めて名付けをする。そこにあるのは純粋な子への、幸多からんという情でしょう。
かくいう私の本名も、そういう著名人から一文字頂いた由来を持つ名付けなのです。偉大な力士から一文字いただきました。
大体小学校低学年くらいの頃に、学校の授業で親御さんに名前の由来を聞いてきましょーのコーナーあるじゃないですか。あれで発覚しました。
まぁ、自分の両親に一言言わせてもらうと、その由来はわかったがそこからくる狙いとはなんぞやってのはもう一声ほしかったですね。
「当時のブームと画数」から取ったしか教えてもらってないので、嘘でもなんでもいいから「心技体の揃った人間に」でもなんでも言ってくれりゃよかったのに。自分の記憶にない生まれる直前のフィーバーと画数では自分の由来として、当時あんまり腹落ちしてなかった気がしています。
待て待て、文の字をつけるってのは同じことを我が子にするのか?ってことなんですが、いや簡単な話で、その一文字をもらったときに重い願いを乗っけりゃいいんですよ。
20XX年。子どもが小学校の宿題と名前の由来を教えてとやってくる。「お父さんはなぜ、ぼくに文彦と名付けたの?」と聞かれたら、「話すときが…来たのかもしれないな…」とやおら立ち上がり自室から1枚のDVDを取り出すわけです。
「文の字は、この人からもらったんだ。幾度のあと一人にめげず、挫けず、ここで勝たなければ意味がないと勝利を積み重ねたその半生がここにある」とDVDを再生して未sるわけです。
2時間後、目をキラキラさせた我が子が「ぼくも文の一族に恥じない人間になる」と決意し、シャドーピッチングを始めるんですね。わかります。それを見ながら、長男文久(ふみひさ)、次男文章(ふみあき)が「また親父の語りがはじまったよ」とロードワーク後のプロテイン飲みながら方をすくめているんですね。わかります。
文久の名前を見て思い出した。
ない話と申していましたが、パワプロのマイライフモードでは自分の子どもの名前をつけるときもありますよね。過去、マイライフの最長期間まで遊び倒したあるときは、自分の子どもの名前を長男文久(ふみひさ)次男修也(しゅうや)長女雷奈(らいな)と名付けたことがありますね。前者はライオンズの歴代エースから、後者はマスコットキャラからもらいました。
名前に関するシーンというと、わたしはやはり金八先生の最終回を思い出しますね。
第5シリーズ以降かな。最終回には3Bひとりひとりに文字・メッセージを送る長尺が用意されています。この30分弱にもなろうかという大シーンの台本には一行「武田さんにおまかせします」と書かれているとかいないとか…。
第5シリーズの最終回、一人ひとりに送るのは、自分の名前についてのメッセージ。
先日話した兼末健次郎が「「健」という字は、ニンベンに建てると書きます。自分という人間を、しっかり地面に打ち建ててください。」と送られたというあれですね。
このパターンもいいなあ…。自分の子ども卒業式後の最後のHRでそういうシーンを廊下から見るのも…。
先生「はい、雷奈!」
と呼ばれて前にでると、みつをフォントで書かれた雷の文字の色紙を渡される。
先生「雨冠に田で雷という漢字ができました。田んぼに降る雨は収穫への恵みの雨です。そんな恵みの到来を大きな音を鳴らして人々に知らせる、共に分かつことのできる、そんな人になってください」
と。いいかも…。末子もとうとう中学校卒業か…。この一年、特に10月からの半年間はクラスのなかに逮捕者が出たり、学校に週刊誌記者が張り込んだり、他校に乗り込んで放送室占領する生徒がでたり、文科省に内申点って意味在るんかと乗り込んでいった生徒がいたり…といろいろ起きたけど、無事に卒業出来てよかったな…、ほろり…。
いや、ない未来の話に架空の人物登場させて、ない記憶の走馬灯見始めたらいよいよ終わりよ。もうこのあたりにしよう。
ちなみに過去、なにかの心理テストかアンケートか何かで自分の子どもになんて名付けますか?と聞かれたときは優子って答えていた気がします。
優とは人を憂うと書く、そんな気持ちを一生涯忘れることのない人になって欲しい…。
そして…優子の優は優勝の優じゃあ~~~!!勝つぞ!ライオンズ!
こんなやつ、人の親になってはいけないことが判明したところで、ほんとうにおしまい。
124.8