人生、東奔西走

自分の人生の備忘録のつもりで作りました。

高橋朋己について

今日の夕方、職場で先輩に「高橋朋己って知っとる?」と声をかけられた。
知っとるもなにも…と思いかけて脳裏によぎった選択肢は3つ。
まず1つ目。育成契約から支配下に上がったか?ということ。確か今年はトレード期限とか支配下契約の期限とかもろもろ延びていたはず。シーズン最終盤のこのタイミングで上位を狙うためのラストピースとして高橋朋己が帰ってくるのか?と
続いて2つ目。なにかしら法に触れるようなことをしてヤフーニュースあたりに上がっているのか?ということ。高橋朋己のイメージに合わなさすぎる。しかし今年はそういうこともあったので一瞬脳裏によぎった。

そして第三の選択肢。口をついて発していた「もしかして、引退っすか」と。

 

news.yahoo.co.jp

 

高橋朋己の引退。育成契約2年目の今年、2軍戦にも姿を見せていないことから頭のなかに一瞬もなかったと言えば嘘になる。それでも復活を信じて待ち続けていたが叶わぬ夢となった。

 

 

ルーキイヤーの2013年からの3年間。獅子奮迅の快投を見せてくれた。

1年目24試合、2年目63試合、3年目62試合。プロ通算160試合の登板のうち149試合が入団から3年間のことだ。今にして思えば…というのは未来人の特権のようで言いたくない。社会人時代から怪我に苦しんでいたのだから、3シーズンも投げられたのだからという言い方もできるのかもしれない…。

が、引退の報を聞いたその時は本音を言えば無理も無茶も承知の上で高橋朋己がメラドで再び投げているところを見たかった…。

 

クロスファイアのストレートを頭の中に思い出しながら、仕事を終えて家に帰ってなにはともかくも高橋朋己の引退会見を見た。

youtu.be

「8月にバッティングピッチャーをしていた際に左肩に激痛があり、投げながら引退を決意した」

「30日に引退試合をやっていただけるが、ホームベースにまで届くかわからない状態なので」

 

今なお満身創痍の状態で戦い続けていたことを知る。

何年間もそうした状況の中で必死に自分との勝負を続けていた選手に対して「無理も無茶も承知で」などとはもう言えない。調子が上がらないとか、打てなくなった抑えられなくなったということに対しては「まだまだ信じて待つよ」と言えるけど、もう投げられないという選手にまだまだ投げてくれ…とはもう言えない。

 

入団からの3年間の間に魅せてくれた素晴らしいストレートを思い出しながら、同時に「ああ優勝の美酒を味あわせてあげたかったなあ」という思いもある。高橋朋己のプロ最終登板は2018年の開幕カードの日本ハム戦。そのシーズン1試合目の登板で左肩を痛めてしまった。2018年、2019年とチームは優勝しているが高橋朋己の登板はその1試合のみだった。そこが少し心残りではあるが…。

同じようにチームの状態が悪い中で登板過多気味だった投手に増田達至と武隈祥太の二人の名前が思い浮かぶ。増田は今日に至るまで元気に投げているが、武隈はここ3年ほど調子を落としがちだ。ただ武隈については昨年開幕時点でなんとローテを回すなどチームの優勝に貢献した働きがあったりする。その二人と比べても高橋朋己が怪我をしたタイミングというのが…やはりすこし心残りではある。

 

高橋朋己が守護神を努めた2年間、チームは5位と4位だった。年々優勝から遠ざかっていくチームの中で、高橋朋己の登板、あのストレートが気持ちよかったのを思い出す。

 

 

ふと思い立ってこのブログに高橋朋己が初めて登場するのがいつだったのか調べてみた。遡ること3年半。ブログ開設から4ヶ月の時点で登場していた。

大石、牧田、シュリッター、武隈、小石、増田、ここに高橋朋己が復活してくれれば…中継ぎ王国の誕生の瞬間は近い…。

そう、そして王国の建国神話は必勝の伝統とともに。ペナントはためかせる秋風にのって、いつの日までも語り継がれる伝説と成るに違いないので…。

2017-4-12 【○L10-5E●】 首位楽天に勝利!この試合のヒーローを挙げるなら君の名前をあげたい、大石達也、君だよ - 人生、東奔西走

 

この時点で高橋朋己は復活を待望される存在だったのか…。怪我との戦いの長さを物語っている。

その3ヶ月後にも

どうです?ライオンズっていいチームなんですよ?なんならこれを機会に…という逆宣伝をかましてもいいくらいに、こういう縁は大事にしていきたいっすよね。
個人的におすすめ死体選手はは今日の先発、野上亮磨投手です。いいピッチャーなんスよ…。新婚だけど…。
あと大石達也…、今日投げなかったけど投げっぷりがいいピッチャーなんすよね。
そして、高橋朋己…、すごいボール投げるから見て欲しい。
最後に、栗山巧…その生き様とプレーを…。うちには栗山巧って侍がいてね…野武士軍団はいまもなお息づいてるんスよね…。

2017-7-4 【○L4-1F●】 中村剛也完全復活 野上亮磨は新婚 そして、パ・リーグの戦いは続く - 人生、東奔西走

 

と野上亮磨、大石達也栗山巧とならんで高橋朋己をこれからプロ野球を観戦するみなさんにおすすめしている。2017年1軍に復帰するのは9月末のこと。この時点では一軍に全くいない選手をひたすらおすすめしていたわけですか…。

2017年にはシーズンの最後の記事でも、

中継ぎ陣についても、ルーキーの平井は新人らしからぬ度胸のあるマウンドさばきを見せてくれた。困ったときに投げまくってくれた武隈。牧田はイニングもまたがせたりしたこともある、シュリッターも久しぶりに活躍してくれた助っ人になった。調子のいいときの増田は守護神という概念を思い出させてくれるし、野田もびっくりするほど成長してくれた。大石ははやく肩を治して欲しい。高橋朋己大石達也の二人がそろったブルペンがみたい。 

2017年 埼玉西武ライオンズを振り返って - 人生、東奔西走

 と大石達也と高橋朋己を熱望している。2017年シーズン3登板の選手に対して、これほど熱をいれていたのか…。

10年ぶりの優勝に湧いた2018年も試合のどこかに高橋朋己がちらついていたこともあった。

 

そして、もうひとつ。この試合はウルフが早期降板したものの、後続の投手陣がよくしのいだということ。緊急降板直後の難しいタイミングでの武隈、その武隈から引き継いだ満塁のピンチを凌いだ増田。2回と1/3をしっかり抑えてくれた小川。そこから平井、相内…。
5月ごろは壊滅していたブルペンが頼もしくなって、先発早期降板のピンチを救ってくれた。
その中には武隈がいて、増田がいて…。苦しい時期のライオンズを支えてくれた功労者たちがこの優勝争いの時期に上で投げてくれている。
高橋朋己も含めて、あの三人には報われてほしい。朋己は怪我で今厳しいけど、せめて武隈・増田は優勝に貢献したという実感を持ってその瞬間を迎えてほしい。

俺も埼玉西武ライオンズをまだまだ信じる - 人生、東奔西走 

 

2019年のキャンプでも高橋朋己の復活について言及していた。

中継ぎだって武隈、増田の復活。野田、平井、マーティン、ヒースらがいる。B班では小川が良かったし、大石も元気にやっとる。高橋朋己も投げられる状態になったら支配下復活という話だし、リリーフ陣の未来も明るいな…。

ポジの春、日本の春 - 人生、東奔西走

 

こうして振り返ってみると高橋朋己復活こそ最大の補強!みたいな向きが常にこのブログには漂っていたんだな…。そんな当ブログの最後の高橋朋己言及記事は今年の年始でした。

最後に。

先ほど述べた野田昇吾のヒーローインタビューで、野田はこんなことを言っていた。

「(5〜8月の2軍生活)苦しくなかったといえば嘘になりますけど、周りを見たらもっと大変なひとがいるなかで、1ヶ月2ヶ月くらいの苦しみでなんで自分がそんなに苦しんでるんだ」と。

その頃のライオンズの2軍には肩肘の手術で1年単位のリハビリ生活を送っている高橋朋己投手や與座海人投手らがいました。プロ野球選手なんてチームには属しているものの個人事業主です。自分の職を奪うのもチームメイト。仲間ではあるけどライバルなんですね。でもそういうチームメイトの苦しみ、辛さに思いをいたす彼の優しさを垣間見たような気がします。野田昇吾について - 人生、東奔西走

※この記事のなかで野田と高橋朋己が2015年にブルペンで共演していると記述していますが、野田の入団は2016年なので誤りです。記憶違い、改ざんでございます。

 

このブログの中に登場する高橋朋己は最初から最後まで怪我と戦っていたんだな…。

 

ただ引退会見を聞いて、高橋朋己に「また投げてくれ!」とはもう言えない。ただひたすらに数年間に渡る怪我との戦いお疲れさまでした。そしてありがとうの気持ちでいっぱいです。

最近野球を見始めた人や数年前の他チームの中継ぎ投手のことはもう覚えてないよという人もいるかもしれません。ちょっと見ていきません?上の記事で言ってたすごいボール。

youtu.be

中でもこの動画の1分10秒あたりからの2015年柳田との勝負。いやー…惚れ惚れするようなストレートだ。肘、肩をともに怪我することになったので結果的には投手生命を削りながら投げていたようなことになるのかもしれない…と思うと、すこし辛いところもあるけれど、当時も今もやはり凄いストレートだと思う。

 

ただ、怪我に苦しんだ5年間。その間も腐らずに取り組んでいたこと。それはガラスの左腕と相反するような鋼の精神力だったのではないか。引退に際して球団からは「リハビリで苦しいなか、変わらずいろんな選手と接してくれてありがとう」という言葉をかけられたそうな。

またそれを象徴するような投手が今ライオンズのブルペンを支えている。

平良海馬。プロ入り3年目の平良にとっては、高橋朋己という先輩は入団したときから怪我と戦い続けていた選手だったかもしれない。それでも兄のように慕っていたといいます。そのあたりに高橋朋己のひたむきさが表れているような気がするのです。

160キロの剛球を放り投げる平良は、今、かつて高橋朋己が登場曲にしていたE-girlsの「Follow me」を登場曲にしてセットアッパーを務めている。たまに球場で嬉しくなるのは平良のその登場曲に合わせて「ともみー」のプリントがされた高橋朋己プレイヤーズタオルが掲げられていることを見ることです。多くのライオンズファンがやはり高橋朋己の復活を待ち望んでいたのだ。

 

例えその望みが今日絶たれたのだとしても…。

同期入団の増田達至は高橋朋己と入れ替わりに2016年からクローザーを務めて、中断をはさみながら2020年の現在も守護神として君臨している。

野田昇吾はおそらく高橋朋己のリハビリ姿にも思いを馳せて奮起した旨を昨年のヒロインで述べている。

トミー・ジョン手術からの復帰という意味では高橋朋己と同じ時期に育成契約で怪我と戦っていた與座海人もまた、その姿から得るものはあったのではないか。

そして弟分の平良海馬はライオンズのセットアッパーとしてフォロミーの音頭とともにマウンドに上がっている。

 

ライオンズが苦しかったあの時期に高橋朋己が投げてくれた160試合はもちろんのこと無駄ではない。そして同時に高橋朋己が怪我と戦っていた5年間は決して無駄ではなかった、と。今はそう思えるしそれを証明していく明日以降の日々にしていくのだ、ライオンズ。

 

 

さて、現時点で高橋朋己の来季については未定である。球団の最近の傾向から言ってなにかしらのポストは用意されるだろう。本人が固辞する可能性もないわけではないが、あくまで個人的な希望から言えばやはり球団に残ってほしい。

ライオンズは3軍制をスタートして日も浅い。現在三軍では田辺元監督や大石達也スタッフが未来のライオンズを背負う若獅子を育てている。…大石達也と高橋朋己が並び立つ、そんな日がもしかしたら自分の予想もしなかった形で実現する日がくるのかもしれない。なんにせよそれは確定していない未来の話なので、続報を楽しみに待つとして…。

 

 

最後に。

高橋朋己投手。素晴らしいストレート、全力プレーの数々をありがとうございました。

あの気持ちの良いストレートを忘れません。

そして、長きに渡る怪我との戦いお疲れさまでした。もう、投げなくても大丈夫です。左肩も左肘も右足首も十分に労ってあげてください。

ライオンズファンを続けていたときに、またどこかでお会いできることがあれば大変嬉しく思います。

本当にお疲れさまでした。