人生、東奔西走

自分の人生の備忘録のつもりで作りました。

人の人生に干渉したくないという話

昨日更新の1000本メモリアル更新の中で、このブログは自分の人生の備忘録としての側面が強いって話を延々しておりました。

一方で、本当に自分の人生のことばかり書いているので、誰か他の人の人生についてはほとんど参照できないのです。まあ、自分の日記なので当然ですがね。

 

さて、そんな中で今日は急遽人の人生に干渉しかねないような出来事に出くわしました。

まあ、親族の今後の人生に関する相談ごとを受けていたのですが。

いや、実際はもう相談も何もへったくれもあったもんじゃないという状況にまで陥ってからの話し合いだったので、自分にできることは一般的な助言というか、制度面とか救援案の話とかそういうことになりました。幸い今の住まいには一部屋空き部屋が在るので、そういう手を打つことはできるのです。

 

まあ抽象的ですみませんが、そういう話をしてきて…。

話をしていて本当に嫌だなあと思ったのが、自分が何を言うにしろ、なにか具体的な助力を出すにしろ、それがその人の人生に大きく影響を与えかねないタイミングだなあ…というところです。

その舵切りによってその人の人生が大きく変わったとして、それについて後の世でなにか言われるのが嫌なんですよね。なので、自分は人の人生に干渉したくない。

いくら選択に関する諸要素を与えたとて、決めたのは彼の人になるのだから…とは思っていても、将来的に「あのときあんなこと言われなきゃ…」というリスクを負いたくないのです。いや、これに関しては「この人は先の時間軸でそういうことを平気で言う」という実績と経験に基づいたリスク管理でもあります。

それに対して、うるせえ!黙らっしゃい!と言えたなら長兄たる貫禄も見せられるのでしょうが、啖呵を切ったあとに切ることのできるカード、例えば本当に生活の面倒をみるとかそういったものが手元にないのも事実なのです。立てることのできる面子がないので、見栄も切らないというそういう選択肢。

 

諸々の決断について、その時点の自分がその時点で与えられた材料や判断基準で選択をする。

それをしておくことで、将来的にその決断が間違いだったとしても「まあ、それは未来人の自分からみたことだから…」と自分の中の納得を得られることができる。そうやって生きてきたつもりではあります。

そうやって自分の範囲で生きてきたつもりなのに、ここにきて実家にしろ、親族にしろ、諸々の自分の範囲外の諸々に影響を受けて、以下に生べきか…となっているのは…。おそらくいらぬ手間なのだと思います。現時点でもそう思っているので、未来においてはもっとそうなるでしょう。

 

そうはいっても…親とライオンズ、親族と泰葉、どちらかを天秤に載せたときに、左に振れるほど右に載せている彼彼女らは軽くはない。一方で、テコの原理で左の重しがすっとんでいくほど、血縁というものは軽くはないのです。…今、右に振れているって自白したのと同じことか。

 

2023年がそういう意味でタフゲームになるってのは予想していたことなんですが、今日の一撃は完全に意識外からの一発だった。…ブログなのでかなりボカして書いていますが、将来の自分が読んだときにはなんのことかわかるようになっています。

そういうわけなのであしからず。

 

明日からはまた明々白々、抱腹絶倒、余人立ち止まらざるを得ない、そんなブログ記事に戻ることを目指して…。

 

122.0