今朝のこと、朝食を食べながら愛媛新聞の一面を眺めていると、しまなみ海道開通20周年の記事があった。
しまなみ海道開通に向けての最終盤であった1998年、その南端にあたる今治と大島を結ぶ来島海峡大橋の工事中に橋桁を設置する馬島にて落下事故が発生し7名が亡くなるという事故が起きており、その事故についての記事だった。
7名を救えなかった当時の今治の救急隊員の無念の言葉が掲載されていた。その末尾の言葉が忘れられない。あなた達が架けてくれた橋のおかげで今は多くの命が救われている、と。
来島海峡大橋の完成は1999年5月。当時自分は6歳だった。
思えば、小さい頃は両親や祖母につれられて来島の展望台で工事中の来島海峡大橋を見に行っていたことを思い出す。
完成して程なく、父の運転する車で尾道まで行ったことを思い出す。車の後部座席を回転させて、後部2シートを向かい合わせにして、半ばお祭り騒ぎの様相だった。尾道からの帰り道の記憶がないのは、すっかり眠ってしまったからだろう。
構想段階では瀬戸内海大橋と呼ばれていた来島海峡大橋。当時を知らないけども、今治尾道のみならず、広島、愛媛両県民の悲願だったんだろうなあ…。当時、両親が開通してほどなく尾道まで車で行ってみたのもよくわかる。
さて、ここからは反省の弁です。
しまなみ海道、瀬戸大橋、鳴門明石ルートの3ルートを比較して、しまなみ海道が一番使いにくいな…などと申し上げておりましたが、それはひとえに俺が基本東方面にしか遠征をしない人間だからなんですね。
もし、九州、広島山口方面に行く機会が多ければ、しまなみ海道の有用性を実感するだろうし、そうでなくとも、過去人生において「しまなみ海道がなければやばかった」という経験はある。そのことも忘れて、生意気な記事を書いてしまい、申し訳ありませんでした。
人間…と主語を大きくすると他の人類に怒られてしまう。俺というものは、そこにあるのが当たり前になると感謝を忘れてしまう悪癖があるのかもしれない。かつて遠征のたびに利用した交通手段全てに感謝を口にしていた頃の気持ちを忘れずにいたい。
改めて開通20周年のしまなみ海道に感謝を。
この海の道がなければ、広がらなかった俺の世界がある。行けなかった場所がある。
そして、現在もこの道の維持管理をされている多くの方に感謝の念を忘れずに、また走りに行きたいと思う。
102.2