「なぜ走る?なぜ泳ぐ?」
現在放送中の大河ドラマ「いだてん」での一幕。
1940年東京オリンピック返上案について、選手の立場に立つ第一部主人公に対して、開催実行側の立場にある第二部主人公が言い放つ。
その場に居合わせた周囲の人間に対しても「なぜ走る!?なぜ泳ぐ!?」と問いかける。
返ってくる声がないと分かると、「答えられん」と言いながら、それでも「でもそれしかないじゃんね!」と言い聞かせるように放つ。
「戦争で勝ちたいんじゃない。マラソンで勝ちたい、水泳で勝ちたいんだよ。」と続ける。
俺はあのシーンが好きでね。殺し合いをスポーツに昇華させてきた人類史…なんていうと流石に言い過ぎだろうけど、「何故」を突き詰められなくとも、自分が決めた自分の居場所で勝負をかける。
理由なんて分からなくとも、自分で決めたからそのグラウンドに立つ。かっこいいじゃないか。
さぁ、時は80年と少し進んで現代、神戸。
この記事が投稿されている12時頃。多分自分は17〜19キロとかその辺りにあるはず。いてくれないと困る。
2週間前のハーフマラソンでの21キロが人生最長距離。それをいよいよ越して未知の領域に入ろうとする。
大丈夫だよな?そこまではいけてるよな?まぁ、もしその手前で関門に引っかかってたり、途中棄権をしているようなら、この予約投稿取り消すつもりでいるが…。
さて、次の朝が来ればスタートというタイミングで、突然考えた。どうして俺は走るんだろう。
一つには俺の信じたものに価値はあると見返してやりたいという想い、一つには君のおかげで変わった人間がいるということを証明したいという想い。
でもまぁ、9ヶ月近い準備期間のうちにだんだん「自分のため」って思うようになっている。
自分の信じる何者かではなく、自分自身を自分が信じれるようになるために。
だからこれは俺の勝負だ。勝っても負けても、全てが俺に起因して帰結する。そういう勝負。
だから「なぜ走る?」と聞かれたら「勝つために」と、そうなるのだろう。
諸々いろいろなことに勝つために。自分に勝つ、自分の20数年分の自堕落に勝つ。
今年もさんざっぱらこの言葉で自分の信じる彼ら彼女らに発破をかけてきたのだから、事ここに至りては、言わなきゃ嘘だよな。
勝つしかないから、勝つしかないのだ。