人生、東奔西走

自分の人生の備忘録のつもりで作りました。

楔打ち込む人

今日は朝の通勤時に『鉄道唱歌東海道編』をフルで聞いて、ジーンときたという話や、金土日を使ってエアコンとオイルヒーターがどのくらい電気使ってるのかを測った話とかいろいろネタはあるんだけども…。一旦置いておいて。

 

食欲が爆発しているという話を少し前にした気がします。

伴って体重は増加の一途をたどり120キロの大台を突破したのも少し前の話。

これまで最高地点が120で、それは上ブレが120のラインにかするという程度の話でしたけど、今は下ブレが120の少し上のライン。上にふれると125にかするというめちゃくちゃなことになってまして。いや、これをめちゃくちゃとも思ってなかったのが事実か。

 

このブログに長らく付き合ってもらってる人ならわかると思うんですが、幾度となく減量に失敗し続けてきました。いっそのこと減量なんて簡単ですよ。私なんて数十回とやってますからねと開きなおってもいいくらいかもしれない。

なんにせよ…。今減量へのモチベーションは皆無に近いのです。今日を越えるためにストレスをふっとばす方法を暴食しか知らないので。

夕飯に弁当2~3個食べるのが状態化するようになり、これ以上変わりようがないと思っていた体重が上限突破していくさまを見ても、どうしたものか、「別に…」という感じで。まあ…健康とかそういうものに投げやりになっていたのは自覚しています。

その理由は自分でもわからんですが、ともかくも余裕がなく、丁寧な生活が送れないでいた。池袋の乗り換えで特盛駅そばを食べて、そのあと所沢駅でカレー特盛を食べるような生活が丁寧なはずはない。

動悸や息切れ、スタミナの減少は如実に感じていたりもしますし、良くないなとは思いながらも良いことばかりが人生でもないという開き直りで。やってきていたここ2ヶ月ほど。

 

別に…、変えないといけないと思ったわけでも、更に言うと変えないといけないと思っているわけでもないんですが。

丁寧な食生活、健康的な運動が続けられる人もいたら、まったく続かない自堕落もいて自分は後者なのだと。30年生きてきて痩せられなかった人間が、ほいほい痩せられるわけはないと、そうですね、やはり開き直っていたのだと思います。

 

 

今日のこと、家に帰ってみると自分のメールアドレス宛にフライングドッグさんからメールが届いていました。

先日、1人で騒いで安堵した東山さんのオンリーワン応援ボイスなんですが、無事応募できていたようで(良かった…)その着弾だったわけです。

自分は先日の記事の中で「最後にいくつかの候補で悩んで応募したかどうかの確信がなかった」と申しました。故に、自分は最終的にあのいくつかの候補の中からどれを申し込んだのかおぼえていないのです。

趣味に関する応援をもらうのか、旅路に関する応援をもらうのか、はたまた…健康に関する応援をもらうのか。

結論、自分は健康長寿のため痩せろという趣旨のメッセージをいただきたいと思って応募していたようでした。

 

これってこの手のメッセージを決められるものの応募の使い方として適切だったんだろうか。他のファンの人は複数口申し込んで、ネタになるようなもので申し込んだりもしていたようだし…。

いや、俺は自分の生活に根ざすところで言葉をいただきたかったのだから、それで良しとしよう。

 

言葉については、今後も汎用的に応援してもらえるように、具体的な数値目標とか期日を切ったものじゃない感じで申し込みました。

スタッフチェック等では問題なかったらしく、記憶にある応募したままの文言でいただくことができました。

 

健康長寿に関する言葉をいただくことについて、そうしようと思ったことの一つに、東山さんのFC会員宛に誕生日に送られてくるメッセージ動画の中で、例年健康と長生きというワードが入っていることもあるのです。

その精神に基づいて、こういうワードをチョイスした。

 

その言葉を聞いて、心境に変化がないといえば嘘になります。

自分で決めた文言とは言え…、あなた、人生においてこれまでさんざっぱら支えてもらった人に、直接的に頑張れとそう言ってもらったのなら…。

やらねばならぬと思うと同時に、30年においてただの一度も成功していないことというのは重い…。

自分にとっては富士山に登るよりも、フルマラソンを走り切るよりも、教育実習を越えるよりも、転職決めこむよりも…実現可能性が低いということだ…。

ここで軽々にその言葉に誓ってやってやりますよ!と決意できないのはそういうところもあるんですかね。

 

グダグダ書いてきた挙げ句、何も宣言せんのかい!とおっしゃられると返す言葉はございません。

 

ただ、たしかに何かグサっとエナジーいただいた気はしているのです。

この記事が1年後に見たときに「ああ…あのときに…」となるのか。

それともまた「きみはちっとも変われなかった」と言われる同じ話になるのか。

 

とりあえず生活の立て直しからやっていきますか。ゴミは積まれてるし、ダンボールが散乱しているし、結構めちゃくちゃですけんね。

 

あの音声を聞いているのは自分だけなのだから、被験者は1人のみ。

1人で勝手にクイズ正解は一年後やってみるか。