人生、東奔西走

自分の人生の備忘録のつもりで作りました。

それより僕と踊りませんか

探し物はなんですか。見つけにくいものですか。

 

いやー…やってしまったかもしれない。昨日、名古屋からの帰り道腕時計をなくしたかもしれない。

 

ライブが終わって…そのタイミングでは確かに腕にあった。会場を出る時に腕時計で時間を見た記憶があるもの。

そのあと夕飯をSAで食べている時、ここで確かに外した記憶がある。テーブルに置いて…(テーブルに置いてる写真もあった)

次のPA休憩で車から降りる時、「スマホと…財布だけありゃいいか」という意識があって、このタイミングでは既に腕時計を外していたはず。トイレで手を洗う時に邪魔だった記憶もないし。

 

このPAではトイレ休憩とゴミ捨てしただけで他に寄った場所はなく、以降のSAPAでも同様の状況なので…SAで飯食う時に忘れてきたと見るのが自然だと思う。

今朝SAの営業時間になってすぐ電話して届いてないかの確認をしたが届いてないとのことだった。時計の特徴を伝えて今後届出があったら折り返し連絡くれるそうだが、まぁ…。

 

普段の生活では腕時計をする機会はほとんどなく、故に気分が高揚している時にはこういうミスを起こすのだろう。ミス…、ミスねぇ…。

 

同じことを過去何度繰り返してきたかと振り返ってみると、ミスというか対策を怠ってきた怠惰と言えるのかもしれない。

長距離移動の中で大物を失くすという経験、最近では2019年夏の旅行。10日近い大旅行の初日に旅費をぶっ込んだ財布をスーパー銭湯に忘れるということをしでかしたのを思い出す。(この時は幸い見つかってくれたが)

 

腕時計というと…2016年だったと思うんだけど秋に、SSAの帰りにやらかしてる。あの時は車ではなく飛行機で帰ったんだけど、松山空港についてしばらくして腕時計がどこにも見当たらないことに気がついた。

家に帰ってから荷物の中を探しても見つからない。しかし家族にバレるのも嫌だったので誰にも相談できずにいた。また、「言うてそんな簡単に失くすはずもない。きっと旅行の荷物のどこかにあるんだ。」と思いたい心境もあった。荷物ひっくり返して大騒ぎした挙句、見つかりませんでしたとなると本当に失くしたことを認めないといけなくなるのも怖かった。そういう心理から、失くしたかもしれないSSA会場や寄ったレストラン、JR東日本羽田空港、航空会社に電話をして問い合わせると言うこともしなかった。俺は失くしてない、見つかってないだけなんだ…と。

 

しかしこの時以降、この腕時計について家族から「そういえばあの時計どうしたん?」と聞かれることがないかという懸念がずっとあった。

実はそれを避けるために昨年の夏に同じ型番の時計をヤフオクで落札したのだった。

2016年から5年間ボーナスが入るたびに「これで買ったらまぁ誤魔化しは効くよな…」と思いながら、買ってしまったら失くしたことを認めないといけないということもあり踏ん切りがつかずにいた。ただ去年の夏は自分の転居が控えていたこともあり、「多分見つかってないだけだけど、もう愛媛の実家でじっくり探す時間もないんだから…」と自分に言い訳をして落札をした。

 

自分が失くしたという事実を見なかったことにするためのこの方策は、再び俺がそれを失くすということによってアジャパーとなった。

むしろ自分の小賢しさを改めて感じさせ、迂闊さを再実感させ…。この件についてはなんとも情けない気分でございます。エンドレス迂闊サマー…俺の忘れ物…。

 

同じ型番の腕時計買い直していた話、本邦初公開。なんなら実は失くしていたって話も初公開なんだけど、惨めさの裏返しでせめてそのくらいは誠実にオープンしておくかという気分でこの記事を書いています。

 

現在帰宅の途に着く電車内。SAからの折り返し電話はまだ無い。