人生、東奔西走

自分の人生の備忘録のつもりで作りました。

「勝ちたい」という呪い

本日埼玉西武ライオンズが17年ぶりの福岡での対ホークス同一カード3連勝を決め込みました。ビジターのカードスイープって珍しいんですかね。確かに数年前にうちもマリーンズにプリンスドーム3連敗を食らったときに、10数年ぶりみたいなこともあったらしいですが。

 

まぁ、その17年ぶりの記録がかかっていたってのもあるんでしょうし、福岡という土地でライオンズを応援している、いつも外野席の一角にチョコンと間借りをしたような位置でも青炎を贈り続けている現地の西武ファンを思うと、試合が終盤になるにつれて勝利を切望する気持ちが盛り上がってきたのです。

そういう気持ちに対して、ブレーキをかけなければ…という思いを持っていたんですよね。いつ頃からだろう。

 

「勝ちたい」「勝つしかないから勝つしかないのだ」「勝つしかねえんじゃ」「勝たせてやりてえ」「共に熱く、共に強く、共に勝つ」

2018年シーズンにこういう言葉を雨あられのようにつぶやいていたような気がします。ライオンズ10年ぶりの優勝がかかったシーズンに、開幕からスタートダッシュをして8月にまくられながら…。今になって思い返すと、あのシーズンの自分は入れ込み過ぎていた。その良し悪しはおいておくとして。

 

最近になってゾッとするのは、「もし2018年に最後まくられて優勝を逃していたら…」というIFルートのこと。2018年に優勝していなかった場合、おそらく2019年も優勝できていないだろうという推測をしているので(2019の最終盤逆転は2018優勝の系けなってこそだと思っているので)そのIFルートに進んだ自分は2021年現在13年優勝を経験していないことになってしまって…。そのときに、今と同じような生活を送っていただろうか、と思う。「ファンとして何ができるか」「現地に行かねば」「チームに勢いを与える何かができねえか…」そういう気持ちが良くない爆発の仕方をしていたんじゃないかな、という危惧を抱いている。

そういうゾッとするシミュレーションをしていったときに、気がつけば「勝ちたい」という感情に対して遠巻きに眺るようになっていた。勝つことに拘って、それに固執するあまりにいろいろなものを失っていったりする、そして勝利への代償としてそれを許容する精神性を得る。

そういうことにゾッとしたし、実際2018年の優勝以降失ったものはある。例えば気楽にプロ野球について話すということができなくなった。身内である弟やや友人を相手にしても積極的にプロ野球の話をすることを避けるようになった実感がある。ライオンズが絡んだときに冷静さを失いやすいことを自覚しているので。同じライオンズファンでもうまく折り合いをつけられないことがあるということも某アナウンサーの発言で知ったりした。次第に内向きに内向きになっていく。埼玉西武ライオンズと自分という2項しか存在してないような世界で試合を見る…そんな日々。

 

話が逸れた。「勝ちたい」にこだわりすぎるあまりに失うものがあるという危惧。そのために「勝ちたい」という勝利欲にブレーキを掛けて過ごしている。このことを明確に自覚したのが最近よくプレイしてるウマ娘のゲームアプリでのこと。初育成はハルウララだったのだけど、敗北イベント的に置かれている有馬記念で勝つ方法があると聞いて「勝たせてやりてえ…」とハートに火が付きそうになり、またミホノブルボンストーリーでのクラシック三冠を目指して「共に勝ちてえ…」と思いかけたりした。そういうときに「いかんいかん、また勝ちにこだわる自分の良くないところがでている。セーブセーブ」とブレーキを掛けている自分を自覚した。

 

これが3月上旬のことだから、その後にシーズンの開幕を迎えて…いろいろチームに向かい風は吹きながらもここまでみんな頑張ってやってきています。で、昨日福岡での2連勝を受けて…今日の試合前にふと「勝ちてえなあ」というツイートをしてたんですよね。ツイートを押す直前「これは言わなくていいことなんじゃないか」という逡巡が一瞬脳裏をよぎったりもしたけれど。試合展開が進むにつれてその気持が高まり…。

 

結局、また再び「勝ちたい」という気持ちに勝てなかったっていう話。

 

一試合一試合に対して「勝ちたい」という気持ちを持ちすぎると、シーズン全勝できない限りはその呪いじみた熱情に負けてしまって何かしらを失っていく。

シーズントールタで見たときに「勝ちたい」という気持ちを持ちすぎると、優勝、日本一を逃したときに前述の2018年のIFルートにハマってしまうのではないかという危惧。

そこまでは理性的に考えても、自分の中の気持ちの部分でどうしても「勝ちたい」が消えてくれないという…。いや、ファンが「勝ちたい」を望まないわけがないんだからそれはそれで正常であるだろう。ひとえに自分の加減の下手くそさ故の問題なんだなって思う。消せない勝利欲をうまくコントロールできないなんて、多くの人はとっくに乗り越えてきたんだろうけどな。

 

とまあ、ここまで今日の試合を以て「勝ちたい」という呪いが再発動したかのようなことを言ってるけど、それに対する反証が一つ自分の部屋にある。

先週のこと、自分の中の一つのチャレンジのリスタートで行ってきた大山祗神社。そこで買ってきたのがこのお守り。

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迷いなく勝守を買っているあたり、良くないと自覚しながら勝利欲を取り戻してそのままに走ってみたいという深層心理はあったのだろうか。まっこと自分のことながら人間の感情情勢は複雑怪奇。

少しでも気を緩めると勝ちに行きたがってるのだとしたら、浅い人間だな俺も。

 

以上、とっ散らかし倒しましたがそういう備忘録でした。結局どこまでいっても気持ちを御せない未熟者という戒めの雑記。

 

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