音声の方でも話したことなので、こっちでいうのやめよかな…と思ったけど、衝撃的な話だったのでこっちでも備忘録。
人をタイプ分けした時にギバー、テイカー、マッチャーという区分けができるそうな。順に、与える人、持っていく人、そのバランスが取れてる人という意味合いだそうだけど。
でもって、ギバーってのはその区分けの方で幸福度で言うと最上位に位置するか最下位に位置するかのどちらかになるらしい。
要はうまくギバーをやれれば幸福になれるし、残念ギバーは搾取されるだけの存在という。そして他者の見立てでは俺はどうやら後者らしいという。
別にやろうと思ってやってるわけではないし、そうだとして人の生き方は簡単には変えられないし…。正直多少自分が損しても、人とバチバチやり合うことに使う精神的疲労感と天秤にかけて前者の損をとってるだけっていうのが俺の見解だ。労働においては若輩者感、技術力の低さなどもあって押し負けることは多いし、そこでぶつかっても最終的に俺に利がくることはないだろなと思ってやってる節もある。
しかし…、そうは言ってもそう定義づけられてみると思うところがないわけではない。搾取される側…なんて言い方はそれこそ自分を大切にしたい自分にとっては受け入れられない有様でもある。
ふと母の言葉を思い出す。「人が良いって言われることは馬鹿にされているのと同じこと」という言葉。人との衝突を避けてやっているお人好し的行動は、まぁ馬鹿にされる環境を作り出すのと同義…。
なんかこれまでの人生のスタンスをぶっ崩されたような…なんかやるせないやら、笑っちまいたくなるような…。
包み隠さずいうと少し凹んでいるわけだ。
土日2日挟んだからといって生き方を簡単に変えられるなら苦労はしない。生き方を変える体力と労力が今は惜しいという事情もある。もしかして静かな詰みの生き方を選んだのかしら。答えはまだ見えない。
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