今日の雑記のテーマは、先週末に買った足を突っ込めるクッションのことにしようと思っていた。PCデスクの足元にこれを置いていると、長時間パソコンに向かい合っていても足元が冷えなくて辛くないのだ。という話をしようと思っていた。
最近、順調に続いているウォーキングを終えて、風呂に入って、上記のしょうもない雑記を書こうと思っていた。
そうしたら、Twitterでライターの塩畑さんのnoteが流れてきたのだった。
ライオンズファンには結構おなじみの記者、ライターの方だと思う。おかわり復活の記事では「引退も考えた」との言葉を引き出し、新聞記者を辞めたあとも栗山巧選手と親交があり、好きな記事を思い浮かべるとぱっといくつか思い浮かべることが出来るくらい。
そんな塩畑さんが今晩noteに書いていたのは、今シーズン限りで現役引退となったライオンズ野田昇吾投手のことだった。
そんなに長くない記事なので、ライオンズファンの方は是非とも読んでほしい。
書きました!
— 塩畑 大輔 (@daisukeshiohata) 2021年1月19日
早すぎる引退。「やりなおせるなら」の問いに彼は…中継ぎ投手という生き方|塩畑大輔 @daisukeshiohata #note #はたらくってなんだろう https://t.co/zk8p8Io0HC
野田さんについては……、記事の中で塩畑さんがそう書いているから以下自分も野田投手ではなく野田さんと書くことにするけど、やっぱり文字にしてみると少しさみしいね。
ともかく、野田さんについて。
プロ入り通算144試合。そして5年間のプロ野球生活人生。
やはり思い出すのは2018年の優勝のシーズンのことですかね。58試合、20HPで平井たちと共にブルペンを大車輪の活躍で支えていた。
その裏でその年は170回も肩を作ったそうだ。痛み止めを打ちながらブルペンを回す話は読んでいて痛々しいとも思った。
日常生活に支障が出るレベルでの痛みを抱えて投げ続けていてくれたということや、今シーズンはファームを回すために投げ続けていてくれたということ。その辺りを鑑みると、野田さんが戦力外通告を受けたときのツイートの「やっぱライオンズが好きなんだよなー!」が重みを増してくるというか…。
捉えようによっては使い潰されたと思われても仕方ないかもしれない。それでも、引退後の年末に取材を受けて「最後までチームのために投げることができた」と笑ったという話を聞いたとき、野田さんに対しては面目ない、ありがとうの感情しか湧いてこなかった。
そういえば、この記事を見るまで、野田さんが167cmで石川雅規投手と同じ上背しかないということを知らなかった。プロ野球選手では最も小柄な選手の部類になるだろう。それを感じさせなかったのは、あの「投げっぷり」なんだろうなと思う。ライオンズファンの間ではときに揶揄される評価軸である投げっぷりだが、野田さんの投げっぷりというのは見ていて小気味いいものを感じさせるものだった。
痛み止め打ちまくりながら投げてブルペンを支えていてくれたことや、武隈先発転向を後押ししていたことや、西濃運輸時代に肩を怪我して以降気持ちよく投げられたことがなかったこと、小学校の頃に大サウスポー杉内俊哉にかけられた言葉を励みにプロを目指し続けたこと…。知ったつもりになっていて、その実、知らないことばかりだったわけだ。
野田さんの実働期間は2016~2020年。その登板のかなりの割合を見ていたつもりになっていたが、それでも知らないことはまだまだあったということだ。いろいろなことを知った今、改めて出てくる言葉は「本当にお疲れ様でした。投げてくれてありがとう。」なんですよね。
野田さんについて2020年年初に「野田昇吾とは誰なんだ?」と気になっている人向けに、ライオンズファンとして書いたブログ記事があった。
(ああ…いま読み返していたんだけど「大きな怪我もなくほぼシーズンを通してブルペンを支え続けてくれた野田昇吾。」と書いているな、当時の俺。大ばか野郎め…。)
上記のブログ記事の中で、自分が野田さんのヒーローインタビューに感動した旨が書いてある。振り返ってみると、あれは2021年1月現在、自分が最後にメットライフドームに応援に行けた試合であり、野田さんの最後のヒーローインタビューだった。
ヒーローインタビューを受けた選手はその後、レフトスタンド前で万歳三唱をすることになっている。その場で大声張り上げて叫んだ「野田昇吾!」を今にして懐かしく思い出す。あの日の俺は野田さんのケガのこと何も知らなかったけど、それでも一ファンの声援として届いていれば良いなと思う。いろんなことを知っていようと知っていまいと、元旦に一にも二にもなく野田さんの紹介記事を書くくらいには、野田昇吾という1プロ野球選手を応援していたのは間違いないのだ。2019年の夏のメラドも、2020年の元旦も、2021年の今、新たな人生を歩みだす野田さんに対しても。
野田さんの怪我の実情を知らなかったことを思い知って、思い出すいくつかの話がある。
俺は同じく今シーズンに引退した高橋朋己さんも引退会見で怪我の深刻さを語られるまで復活を願って応援し続けていた。また同じく今シーズン限りでプロ野球から去る藤田航生投手は、入団直後の新人合同自主トレのキャッチボールで暴投をして先輩に拾いに行かせたことがきっかけでイップスになってしまい、ついぞ引退まで苦しみ続けたという。
引退後に語られるそれらのエピソードをファンはその時まで知らない。そういうことがあるのだから、やはり自分は1ファンとして選手を信じて応援するだけのファンでいようと思う。あくまで自分はね。
高橋朋己さんはライオンズに残ってアカデミーコーチを務める。藤田航生さんは理学療法士を目指して専門学校に通うということらしい。ふたりとも自分の怪我やイップスの経験を活かして指導などしていくのだという。
野田さんは塩畑さんの取材の最後に、「引退は一つの節目だけど、人生はこれから」と語っている。
塩畑さんの言葉が端的に表しているだろう「そもそも総括するタイミングではないのだ」と。ここで「野田さんの人生はまだまだ続く…」などと言って今日の記事を締めること、それも違う。俺なんぞが勝手に言うことじゃない。
俺が言いたいのはあくまで俺の話。野田さんのそういう生き様が、俺の人生に良い影響を与えてくれましたということが言いたかった。
記事の中で実際に投げた144試合の登板以上に投げているという話をしていた。それと同じでライオンズのために投げてくれた144試合116回1/3以上のものを1ファンとしてもらっていたのだということが言いたかった。2019年夏のヒーローインタビューに胸を熱くした思い出もその一つだろう。
最後に。
野田さんのセカンドキャリアは未だ明らかになっていない。…が、来年メットライフやカーミニークに出没予定というインスタをあげていたりもする。もしかしたら我々ライオンズファンは再び野田さんと邂逅する日がやってくるのかもしれない。続報を楽しみにしながら、2021年シーズンに向かっていこうと思う。
そして、改めて本当にお疲れ様でした。本当に肩休めてください。