小学校の頃にテレビドラマで三代にわたるラブストーリーを3日連続特番で放送するドラマあったよな…と思って調べたらフジテレビ系列『百年の物語』って2000年8月に放送されていたドラマだった。
なんで突然…というとことの発端は昨晩のこと。
オンラインで会話していたときのこと。
「まぁ、百まで生きたい」「そんなに生きてなにをするのか」という会話。
そのときは結局うまく答えられずにはぐらかしてしまったわけだが…、はて。
当ブログの過去記事を検索してみたら「百まで生きたい」という願望を書き記した記事はなかったんで、このブログ上で言うのは初めてだろうと思われる。
わずかにこういう匂わせはあったりしたが。
それにまぁ、ただひたぶるに長生きしたいタイプの人間なので、自分の健康不安については積極的に対処を起こしていく。これはそういうタイプの行動。
続・睡眠時無呼吸症候群以外になにかあるのか否か - 人生、東奔西走
「百まで生きたい」について、それは例えば100歳を迎えたときに自治体からもらえる祝い金を狙って…とかそういうことではなく、まぁ、「健康で長生きしたい」という願望であるわけだけど…。しかし小学校の頃より初詣で願っていたりしたことだ。どうしてそういうことをお願いし始めて、今に至ってなおそういう願望を持っているのだろうか…。
この願いの論拠になるのに「10年長生きしたら1回くらいは多くライオンズの優勝が見られる」という種の根拠がある。べつに西武に限った話ではなく先の時代にあるなにものかを見てみたいという話。
他にはただ単に時間がほしいというのもある。一年というくくりで時間軸をくくったときに自分の望むことができる時間、時期というのは限られていてそれをかき集めるために巡る季節の回数を増やすというもの。
他には…いやこれくらいか根拠。うーむ、齢、もとい弱い。
他にもこの願望について、数字として齢100を目指しているのか?というのとどのくらい本気で狙っているのか…という点について。
俺の場合はくっそ太っていて食生活も不健康であるから、長寿を目指すくらいの気持ちでやっていかないと、あるときに不摂生がたたってしまったときにリカバリが非常に大変になるから…。そういう予防的な側面もある願望なのかもしれない。
だから、「なにがなんでも」という気持ちでそこを目指しているのではないと思う。鬼気迫る勢いでこの願望に走っているなら、夜ふかしとか暴飲暴食をしないだろう。節制という概念を身近において抑圧的健康生活を送っているはずだ。(健康に気を遣うあまりストレスを抱えることが本当に健康なのか、ということについては言っていきたいが)
あっちゃー…次聞かれたときに自分の生きるスタンスを明瞭に答えるべく考えをまとめようとしていたが、結局の所ふわっとやっとるということが露見しただけになってしまった。
説得力がない。弱いっすなあ。
109.4