人生、東奔西走

自分の人生の備忘録のつもりで作りました。

2020高知竜馬マラソン 参加レポート

さて、さる2月16日の日曜日。高知で行われた龍馬マラソンに参加してきました。

昨年11月の神戸マラソン以来のフルマラソン参加。無念の途中足切りから3ヶ月。果たして悲願達成は成ったのか。一連の参加レポートを記憶も鮮明なうちに書き残しておこうと思います。

 

 

 

○前日まで(~2/15土)

さて、この大会に参加するまでの間どのくらいトレーニングを積み上げられたのか。

1月の月末週には15キロ、20キロ、25キロ走を行って順調に距離を重ねていって、時間も龍馬マラソンでの各関門制限時間には間に合うような形で順調な調整をしておりました。ただ、1月月末くらいからいろいろと忙しさを増していて仕事帰りのランニングが滞るようになっていった。結局2月の最初の土曜日に10キロ走をしたのが最後。その後平日にトレーニングをする体力もなく…。かなり準備不足の状態であった。

さらに、まぁ、いろいろあってメンタルにも疲労が積み重なっていった。Twitterは1ヶ月弱、このブログの雑記も2月上旬を最後に更新を止めていた。まぁ、なんかいろいろ疲れていたわけだ。自分や人付き合いや世界に対してや…。まぁ、そんな感じ。

それに、日曜日が雨という予報が出て、ほぼ間違いないということになってしまった。

こうした色々な諸条件が重なって、「そもそも行こうかどうしようか」というところまで悩むに至ったわけだ。

完走できる自信がまったくなかったというのもある。行ったとして目標としては神戸での足切りラインを越えること。つまり20キロオーバー。雨という悪コンディションを考えたら、それ以下ということも十分にありえる。そんな心持だった。

 

 

土曜日朝起きた時点ではまだ愛媛の天気は悪くない。高知も土曜日の日中は天気はもつだろうということだった。

荷造りをして車に乗せる。シューズとゼッケンを忘れてはいけない。ランニングポーチにいつものウェア。それをリュックサックに詰め込んであとはいつもの旅支度。今回は温泉旅館に泊まるので温泉セットも車に放り込んで流れるように出発。

昼前に出発し、国道33号線を延々高知に向かって山道を走り続ける。コーヒー一本だけを伴にノンストップで高知市まで走り倒してしまった。道中昼ごはんを食べるつもりだったのだけど、一度運転し始めると止まろうとしないのは俺の悪い癖だろう。

宿はゴール地点のすぐ近くの春野に取っていたのだけど、まずエントリーを済ませないといけない。龍馬マラソンは当日のエントリーもできるけど当日朝はゆっくりと過ごしたいというのもある。加えて翌日の雨予報に備えて準備したいものもあった。エントリー会場ではスポーツメーカーなどがいろいろ販売会をしているのだ。

高知市中心のエントリー会場近くのパーキングに停めて会場に向かう。詳しい場所を調べていなかったけど、ランナーには当日の荷物預け用に大きなナイロンのナップサックを渡されるので、それを持っている人を目印に会場に向けて逆流していく。

エントリー会場は街の中心部の広場であった。ピークも過ぎていたのだろう、ゼッケンを見せて参加賞とナップサックに大会冊子などと「頑張ってくださいね」という応援をいただく。高知マラソンの参加賞、今年は真っ赤なTシャツであった。神戸然り高知然り、この参加賞のTシャツはそのままランニングウェアとしても使えるようなしっかりしたやつでありがたい。(サイズもXOまで対応しており、俺でも着られるサイズというのも嬉しい)

そして、雨対策にランニングキャップとポンチョを購入し車に戻る。あとは春野の温泉宿舎に泊まってゆっくり休めばよいだけだ。

 

春野の温泉宿舎は本当にゴール地点のすぐそこであった。

チェックインをしたときには「龍馬マラソン出られるんですね」と一発で気づかれた。そのくらい荷物預け用のクソデカナップサックは目立つのだ。

「明日はスタート地点までどう向かわれますか?」

そういえば考えていなかった。適当にタクシーでも呼ぼうと思っていたのだけど。

「タクシーでも呼ぼうと思っていたんですけど、どこか良いタクシー会社(?)知りませんか」

「明日の朝は今からタクシー手配してももうないんじゃないですかねえ…」

ガーン、出鼻をくじかれた。うーむ、どうしよう。もう高知市内のパーキングにでも停めてゴール後に高知駅へのシャトルバス使うか…とか思っていたら、フロントの方が宿舎内ですでにタクシーを手配している一般客の方に連絡をとってくれ、同乗させてもらえることになった。ありがたいことだ…。しかし、準備不足の感、極まれりと言う感じである。

 

案内してもらった部屋は広々とした和室で、布団でゆっくり寝られるのは良い。しかも館内の温泉は入り放題であった。この温泉がかなり具合が良く、適温の源泉、ゆったりとした寝湯、サウナ、露天風呂と充実。ゆっくりと風呂に浸かり夕食をいただき翌日の準備をする。ウェアにゼッケンを付けて、ナップサックにナンバーシールを貼り…。ここで、痛恨のミスに気がつく。ランニングウォッチ、ランニング用アンダーウェア、ランニングタイツ、これらのものを忘れていることに気がついたのだった。

正直、ここで心が折れかけた。ランニングウォッチに至ってはこのために2月頭くらいに買ったものだ。神戸で時間の感覚がつかめずに妙に焦ったりペースを維持できなかった反省を活かすべく買ったものだった。そしてアンダーウェア。これも無いとかなり厳しい。日常使っている肌着で走ると股擦れだったり胸から血を出したりするというのは経験則で知っている。

高知までやってきたが…「明日はゆっくり温泉に浸かってもう帰ろうかな…」ということを思っていた。翌日雨、完走できる自信が無いというのも大きかった。色々考えすぎて疲れてきたので寝ることにする。

 

 

 

○当日~スタートまで

翌朝4時半ごろに目が覚めた。バッチリ8時間近いの睡眠を決め込んだためか体調は良い。が外からは雨音が聞こえていた。

諸々考えるのをやめてとっとと寝倒したおかげか、朝起きたときには「ここまで来たのだしスタートラインは越えよう」という向きになっていた。着替えて朝食に向かう。

朝食を食べている時、4人テーブルの向かい側に浅村栄斗と白菊ほたるが見えた。ただ黙して何も語らない。ただそこにいるような心持ちがしていた。

突然おかしくなったのではなくて…。この話始めるとスタートラインまで記事が進まなくなるんで、ちょっと過去記事引用するので察してください。

 

高知マラソンまで残りの週末は3回。直前の土日はあんまり消耗しないようにするから、使えるのは残り2回。

2019年、神戸マラソンで20キロ走ってる間が一番たのしかった。高知マラソンでは一番楽しい42.195キロを走りきりたい…。

結局1年に渡ってこのチャレンジは続いている。ほたるちゃんと浅村栄斗の二人によって始まったこの挑戦。正負の感情がスタート地点だったけど、ここまで続けれこれたのはまぁ、二人のおかげではあるんだよね。浅村の選択によって「俺も俺の人生に意味を見出すから見とれよ」の見返しの精神からなにかを探し始め、ほたるちゃんの不屈の魂に感化され、俺も世界と勝負してやる!とフルマラソン完走チャレンジに挑んでいる。

彼の嬉しいと彼女の諦めない精神が俺の楽しいにつながった…そういうこともある。そういうことも。なのでまあ、感謝しているんだな。

五里夢中 - 人生、東奔西走

 

神戸では起きなかったことだ。もしかしたら、少し余裕が出てきたのかもしれない。

 

美味しい朝ごはんをゆっくりといただき、部屋に戻って身支度、着替え、荷造りを済ませチェックアウトをする。宿舎の主人に「頑張ってきてくださいね」と送り出され、ご厚意に甘えて同宿舎の人とタクシーを共にする。

その人は関西からやってきており、「せっかく景色がきれいなコースなのに雨なんて…日頃の行いが悪かったんですかね…」と落ち込んでいたけど、1万人も人が集まる大会でそんなに日頃の行いが悪い人ばかりが集まるとも思えない。そんなに責任を背負うことは無いですよ、と心の中でフォローしておいた。

タクシーは交通規制直前の高知市内を走り集合場所のすぐ近くでおろしてくれた。

その人とは「ではお互いに頑張りましょう」とエールを送り合いそれぞれの場所に向かった。

更衣場所で着替え、2月の雨の朝に半袖ハーフパンツの大男が誕生した。常時ならこんな格好で高知市中心街にいたら不審者以外の何物でもない。が、今日はマラソン大会当日。周りも似たような格好の人ばかりだ。体型は大違いだが。

その後、ゴール地点に先回りしてくれるトラックに荷物を預け、そうそうにスタート集合場所に向かう。

 

こうした大規模なフルマラソン大会では、事前に申告した完走タイムを目安にブロックが区切られ、早い人からスタートしていく。そのため、6時間半を完走タイムで申告していた自分は最後尾も最後尾からのスタートとなった。神戸も土佐ハーフも同様であった。スタート直後から追い抜かれまくるより、後方からゆっくり走っていく方が自分の心情としても余裕がある。最後尾ブロックのなかでも更に最後尾に陣取りスタートを待つ。8時半の少し前であった。

スタートは9時。最後尾がスタートラインを越えるのはおよそ9時15分くらいという予想だったので、寒空の雨の中45分も待機することになる。防寒対策は各々しっかりしておこう。タイツを忘れて素肌を晒している自分には縁のないことだったが。

 

列がゆっくりゆっくりと進んでいくとスタートが近づいてきた合図。スタートが近くなるとスタートラインに向けて参加者の待機列が圧縮されていく。県庁裏の広場を出て、路地を抜け商店街を通り、大通りへ。写真の一つでも撮っていたらもっと情景がわかりやすかったのだろうけど、天気が悪くスマホを出すことが億劫になっていた。

そんな折、遠くからピストル音のようなものが聞こえたかなと思ったら、前方から拍手の音が聞こえてきて自分のいる辺りにまで伝播してきた。時刻が9時になったのだろう。いよいよスタートである。

 

 

○スタート~

さて、ここで高知龍馬マラソンのコースを紹介しよう。

公式ホームページにあるコース図は以下の通り。

f:id:keepbeats:20200228195322p:plain

高知龍馬マラソン2020 コース図

県庁前をスタートしたランナーはまず一路東へ。

雨はそこまで強くないものの、朝方からの雨で路面には水たまりが。踏まないように気をつけながら進んでいく。

スタートラインを越えたのは号砲から13分11秒後。織り込み済みのタイムロスである。「焦るな、焦るな」と言いながらゆっくりゆっくり進んでいく。概ね人の流れに身を任せながら、無理のないペースで進んでいく。

高知のど真ん中の大通りがランナーによって埋め尽くされている。交通規制は車だけでなく路面電車にも及んでいるし、途中踏切を越えた箇所もあったのでとさでん交通も一部ストップしているのだろう。雨だと言うのに沿道には大勢の方が声援を送ってくれていた。カーディーラーや喫茶店では店をあげて応援グッズを振ってくれている箇所もあった。高知市民の絶大な協力に感謝しつつ、東へ向かう。

平坦なコースで非常に落ち着いた走りだった。たまにある走り始めの足の痛みも特に無い。順調順調…、5キロ時点でのグロスタイムは51分37秒ネットタイム38分26秒 以下すべてグロスタイムで表記する)ということでキロ8分弱ペースを維持していた。龍馬マラソンの制限時間は7時間で単純なペースではキロ9分あれば完走できる。本当に順調な序盤戦だった。

 

○5キロ~

高知市中心の大通りを走り橋を越えた先は南国バイパス。これが南国(なんこく)と読むのをこの時初めて知った。ナンコクスーパーというものを見たからだ。

少し人がバラけてきて走りやすくもなる。周りに目を向ける余裕も出てくる。自分の周辺にはカープのマスコットであるスライリーのきぐるみを着て走っている人がおり、沿道の声援と積極的に関わりながら走っていた。この雨の中あの毛量のおおいきぐるみでは水を吸って大変だろうと思う。それなのに沿道の声援にリアクションを取りながら走っているのは純粋にすごいと思った。

道端にドラムを叩いて応援している人がいたら、スティックを借りて一緒に演奏をしたり…そういったことをしていたので追い抜かれたり追い抜いたりしていたけど、8~9キロ地点くらいでもうすっかり自分より前の方に行きいつしか見えなくなっていった。ただ42キロを走る倍以上の体力がいるんじゃなかろうか。すさまじい体力であるなあ…。

バイバスに入っても沿道の声援は続いていた。すごいな…高知市民、南国市民…。途中ガソリンスタンドではその軒先を借りて地元の吹奏楽部が演奏をしていたりした。音楽のちからってすげー、ほんとに頑張れちゃうんだからな。ただペースは維持。ちょっとテンション上がってスイスイいって息切れするの神戸で懲りている。

 

第2関門を越えると方向を南に転じる。高知海岸に向かって南下していくのだ。

そして、この第2関門を越えたところで龍馬マラソンエイドコーナー初の給食タイムである。ここでの給食はまほろばトマト。ほう、トマトですか。ミネラルもありそうでバランスがよい。わざわざここでスマホ取り出して調べたりする余裕はないからそういうことを少し考えながらいただく。

 

 

ああ~~、染み渡るんじゃあ~~

 

 

写真のひとつもないのが残念だけど、朝ごはんから4時間というタイミングで食べるトマトの旨さ。俺は忘れないからな…。

ふとエイドコーナーの向こう側を見ていると、雨がふっているから、ワゴン車の後部ドアを雨除けにトランクでトマトを切って配食してくれているボランティアの方々が見えた。走る方は勝手に走っているので雨だろうがとにかく走るっきゃ無いが、大会を支えてくれている皆さんも雨の中こうしてやってくれているのが忍びない。給食のトマトを濡らさないように、自分たちが濡れている人たちの用意してくれたトマトを感謝しながらいただきつつ南下を続ける。いやー、しかしほんまにこのトマトうまかったんだよなあ。

 

道はバイパスを外れアップダウンを少し含みながらトンネルや田んぼの脇を進んでいく。アップダウンがでてきたのでペースにはより一層気をつける。上り坂は無理をしない。10キロ前後でも歩いて良い、と言い聞かせて歩いたり走ったりした。

道が狭くなったこともあり、ここで再び人口密度が上がってきて少し走りにくくなる。そんなことを感じ始めたタイミングで思いっきり水たまりを踏み抜いてしまった。

防水スプレーをかけてきたこともあってここまで懸命に靴の中への浸水を防いできたシューズだったが、これには一発。ぐっしょりとした感触とともに以降の道を走っていくことになる。

でもまぁ、いくら防水スプレーといっても足をつたって靴下が濡れればいつかは靴中への浸水を防げなかっただろう。ちょっと濡れるのが早かっただけと気を取り直す。

天気が良ければ、進路の向こうには太平洋が見えているんだろう…しゃーないが。

10キロ地点が1時間31分4秒、15キロ地点が2時間12分。非常にいいペースだ。このあたりの関門はだいたい時間の20分前くらいに越えられていたように思う。

制限時間までの余裕時間が一つ前の関門と比べて短くなったか長くなったか、そのあたりを考えながらのこの区間だった。

そして、20キロという神戸での足切りラインが近づいてくるにつれ、「次の関門まで行くぞ」とひとつひとつ区切りをつけながら走っていたのを思い出す。

 

 

○15キロ~

神戸マラソンでの到達地点が近づくにつれて、「さてどこまで行こうか」という考えが頭をもたげてくる。目標を越えた先に、どこまで行くか。まぁ、どこまで行けるかというのが正しいのだろうけど、フルを完走する自信がなかったから20キロの次の目標地点を定めようとしていた。

雨に打たれまくったからなのか、すこし鼻が詰まっているような感覚を感じ始めていた。このあたりからは体力、体の組織との消耗戦になる。ペースは良いが腰、足へのダメージはたしかにある。

 

龍馬マラソンの一つの山場が20キロ地点の浦戸大橋だ。

ここの上り坂が非常に厳しい。少し手前からこの橋が見えていたのだけど「ええ…あの高さまでいくのか」と思うとちょっとこれは厳しいぞ…という気持ちになった。

浦戸大橋にさしかかると、これはもう走るのは無理だと思って延々歩いていた。1キロ前後になるのだろうか。周りもみんな歩いていた。この上りはさすがにきつい。歩いていくもん、…誰の分までだ?自分の分、自分の分だ。俺の分だ。この一年の俺の分。そうだ歩いていくもん、だ。そんなことを言い聞かせながら歩いていっていた。歩いて行こう、歩いていこう、俯いた先にも見上げてる先にもきっと未来は待っているよ、だから歩いていこう、だ。

…とまぁ、こんなふうにメンタルの力によってフィジカルを動かすのに頼るくらいにはけっこうきつかったこの浦戸大橋。

そして橋の上で20キロを越える。ほどなく上りのピークを迎えて下りへと転じる。1キロもの間歩いていたからか、走るのに使うような筋肉は回復していたんだろうか。下りはしっかりと走ることができた。

浦戸大橋を越えるといよいよ高知海岸花海道。ここから仁淀川まで行って折り返して37キロ地点で北上するまで17キロ近くを海沿いを走る。海からの風がぶち当たって肌寒さを感じるようなタイミングもあるが、大きなアップダウンを越えて、文字通り山場を越えたような感覚になる。しかし、下りきって程なく「中間点」の看板が見えて、まだ残り半分という現実に引き戻される。残りの体力や消耗度が残り半分あるのかと言われると…まぁ、まったく自信はない。いけるとこまで行こう。消耗したのは体力だけじゃなく思考力もなんじゃないだろうか。

高知新聞社やオールスポーツが道中のランナーをバシャバシャとりまくってあとでゼッケンナンバーで検索して注文できるみたいなサービスをやっているのだけど、このあたりのと思われる自分の写真をみると、なんというか無心を通り越して放心の様相で手と足を振っているようだ。この状況で残り半分。

 

20キロ地点で3時間5分ジャスト、25キロ地点で3時間58分41秒。5キロを進むのに50分以上かかっている。このときこのタイム速報を見ていた職場の人は「急にガクッと落ちらからここらでもう厳しいかな…」と思ったとのことだった。それは走っている自分も同じような感覚だった。

 

○25キロ地点~

しかし、なにはともあれ神戸での距離を越えた。ここらで目標を「30キロ」と定めた。

神戸20キロ、高知30キロとなれば、等差数列的には次のフルマラソンで完走できる。そんなことを考えていた。

ペースは落ちたと行っても第7関門の25.8キロ地点ではまだ10分近く余裕があったので、ゆっくりゆっくり走ったり歩いたりしていく。

27キロ地点以降は折り返し地点を越えて戻ってきているランナーとの対面通行になる。そんなランナーの中に時折、ペースランナーの方が見える。「ああ、あの辺りが5時間…か」と把握する。しかしここで腰がいよいよ痛くなってくる。

平坦な道でもずっと走り続けることは不可能と判断して、ここから自分は1キロごとに歩くと走るを繰り返すという戦法に出る。思い切って歩き始めたのは「このコンディションの中ここまできた、もう最悪どこで終わっってもいいかな」という気持ちもあったろうと思う。

結果的にはこれが功を奏した。30キロ地点を4時間51分で通過。ペースの低下を食い止めて5キロ50分ペースという後半戦の目処を掴んだ。

まぁ、目処は掴んだんだけど、終始苦しい後半戦であったことは間違いがない。25キロより先ってのはつまり、これまで走ったことのない距離をぶっつけで走っているっていうことでもある。本人未踏の距離を延々やっている。いつ終わっても…っていうのにはそんな免罪符もあった。

 

そんな中でも、沿道の声援というのは力になるもので…。息も絶え絶えにエイドコーナーで水やポンカン、ミレービスケット(高知名産)、ごっくん馬路村(高知名産)などを頂いていると、胸のゼッケンを見てか「頑張れ愛媛の人!」と声をかけてくれたことは一度ではなかった。

なぜ走る。愛媛から山を越えてやってきて、なぜ走る。わっかんないけど、ここまで来たんじゃし…。まぁ、冷静でもなかった。

 

仁淀川を越えて32キロ地点の折返しを越えて来た道を戻る段階になった。仁淀川を再び渡る、そのために仁淀大橋を登っていくとき…。両方のふくらはぎがもう限界じゃ~と叫び始めた。たまらず立ち止まって、縁石に足をのせてふくらはぎを伸ばそうとしてみたりする。痛みが筋肉痛とかの痛みじゃなくて裂傷とか擦り傷的な種類の痛みになってきていた。これはまだ走って大丈夫なやつなんだろうか…そういうことが脳裏をよぎっていた。

来た道を戻るしんどさは、のこりの距離をしっかり把握できていること。それを「あとあれだけ走りゃ春野に行く道に入れる」と思うのか「あとあれだけ走らないといけないし、それだけ走っても春野に向かう距離が残っている」と思うのか。そこをあまり考えないようにして、ゆっくり歩く。

折返しを過ぎて少しして、対面通行の側に最後尾のバイク、パトカーが見えて、ほどなくリタイア者収容のバスが見えた。

…ここで立ち止まってリタイアしたい欲求に駆られていた。32キロあたりの足への痛みがあってから37キロの春野へ向けて北に向かう道へ入るまではずっとこの欲求との戦いだった。

今にして思うと、残り10キロ切ってるんだからもう這ってでも行けやと思うんだけど、まぁ、冷静ではなかったんだろうなあ。そういう誘惑が常に目の前で人参ぶら下げていた。

 

仁淀大橋を渡って、もう走るのではなく歩いて歩いている時、なんとかかんとかやっていくときに脳裏である言葉がリフレインし始めた。「今、努力できる場所にいる幸せ」って言葉。そして、真夏のメットライフドームでのヘッスラの映像が頭によぎっていった。前者はほたるちゃん、後者は浅村だった。なぜ走るかの理由はわからんが、この一年、なぜ走ってきたのかその燃料を思い出して走っていく。

大橋を越えて35キロを超える頃、再び走り始めようと姿勢を走るのに変える。ただまあ、ペースは歩いているのと変わらないペースで、普通に隣を速歩きのひとが追い越していく。「このペースでは厳しい」と思いながらも走る姿勢で走るスピードに乗れない状況が続いていた。

 

そんなときに、海沿いのカフェかサーファーショップの軒先でキーボードとサックスを演奏している人たちの音が聞こえてきた。往路ではZARDの負けないでを演奏していたが…ここで聞こえてきたのはスキマスイッチの『全力少年

 

試されてまでもここにいることを決めたのに

呪文のように「仕方ない」とつぶやいていた

 

 

そのリズムに合わせて、足を前に勧めていくと再びキロ10分の走るペースに乗ることができた。再び、走り出す。

 

35キロ地点5時間40分16秒。残り7キロを1時間20分。歩けば間に合わない。走らなければ、間に合わない。

 

○37キロ~

第10関門を越えてとうとう進路を北に移す。ここからはもう太平洋も見えない。大きなバイパスも無い。少し細い道を延々春野の運動公園に向けて北上する。

 

北に進路を変えた直後くらいから風と雨が強くなってきた。

完全にランナーズハイに入っていたのだろう俺は「よりにもよってここかい!」ということをつぶやきながら走っていた。まだ、走れていた。

エイドコーナーではコーラがあった。「炭酸抜きコーラ」…ほう、大したものですね。そんなことを思いながら受け取る。残り時間と現在地点はエイドコーナーの人がよくわかっている。「ペース維持したら完走できる!」とこの時間帯にこの地点にいるランナーたちに声をかけながらコーラを配っていた。

かーっ、染みるぜえ…とそんな心持でコーラを飲み干して走り続ける。

 

とはいっても、もう割と限界が近いっていうのは自覚があって、これ途中歩いたらもう走り始められないな…という予感があった。そして、ことここにいたりても、「もうここまでやったら十分じゃ」というのが脳裏をよぎっていた。

40キロ地点の少し前だったと思う。コースは路地に入っていっていた。ほぼ住宅街の中を走っているような感じの区間もある。そこでは住民の方だろうか、雨だと言うのに道沿いに立って声援を送ってくれていた。残り時間と距離の感じはこの人達もよくわかっている。完走は無理じゃない、が油断したら届かない。そういう距離なのだろう。かなり熱のこもった声援を送ってくれていた。そんな中のひとりだった。

家の前で椅子に座って応援してくれていたおばあちゃんの言葉だった。

 

「雨の中、頑張ってくれてありがとう」

 

この言葉を聞いた時に、なんというか…感極まりそうになってしまった。

勝手に走っている。高知の道を借りて走っている。市民、県民の皆さんの生活の一部をお借りして、交通を止めて、家の近くの道をお借りして走っている。こちらこそありがとうございます、の気持ちである。頑張ってくれてありがとう、という言葉は予想してなかった。

 

 

この言葉を最後の燃料に、北に走り続ける。

40.2キロ地点、最後の関門を超える。

春野総合運動公園、勝手知ったる場所に入ってくる。まさかこの道を走って登ってくる日がくるとは思っていなかった。

スタートした時にはここまで来られるとも思っていなかったが…。最後にトラック一周をしたらゴールテープになる。最後の方の集団である。制限時間が7時間の龍馬マラソンだから完走できた。

それでも42.195キロ。まさか走れるとは思っていなかった。ここまで来られるとは…。

 

15時54分47秒。

スタートから6時間54分47秒。

 

制限時間7時間を目一杯使って高知を走りまくった。

 

ゴールした瞬間の様子をあんまり覚えていないので、後日Huluの配信サービスで確認しようと思う。なんにせよ持っているなにかを全部が全部使い切ってなんとか完走することができた。

フルマラソン完走チャレンジ、1年の準備期間を経てここに完結しました。

 

神戸マラソンのとき「いいなあー」と羨ましがったフィニッシャーズタオルを受け取る。そこには「わざわざ高知で走ったぜよ」とあった。

なぜ走る、その問いに答えるなにかをまだ持たないけども、走りきったという一つの思い出を高知で得ることができました。

 

 

くっそ長い記事になってしまった…。

さて、フルマラソン完走という目標を達成できたので、一つ宣言することが残ってんだよなあ?それは別記事、後日にして参加レポートはこのあたりで。

 

 

初めて完走できたから言うのかもしれんけどね…、高知龍馬マラソンとても素敵な大会でした!走らせてくれて、頑張らせてくれてありがとう!また来ます!!