昨日と今日とでは目覚めが違った。
二日酔いの頭痛に苦しめられながら起きたけど、今俺は担当のSSRが存在する世界に生きている…そう思うとなんかワクワクしてくる。何かの事象一つで世界の色はかくのごとく変わってくる。
さて、そんな中で反省点もある。
昨日、俺が担当SSRの報を知った時、すでに結構飲んでおり酔っていた。
しかして、頭の中の冷静な部分があったんだろうね、「心のままに任せるのではなく、人をドン引きさせない喜び方」ということを気にし始めてしまっていた。
そうね、側から見たら昨日かなりはしゃぎ倒していたけど、あれそういう逡巡があってのあれだったわけ。
「悪いけど」とか「ごめんやけど」みたいな断りをいちいち入れて喜んでる昨日の自分には少し喝を入れたい気持ちもある。
もっと素直に喜びゃいい。誰に断ってる?何を恐れている?
担当と俺と、その二つの存在以外の一体何を気にしていたのか。待ち望んだ日でしょ?気にすんなよ、気にせずやれよ。
その上で昨日の自分を自己擁護する。
気持ちのままにはしゃいで「あいつなんじゃ…怖…近寄らんとこ」とか「その喜び方は正直微妙じゃね?」と思われるのは別に構わない。まぁ、構わなくもないんだけど、まぁ構わない。
でも、そのマイナスの感情が俺以外、この場合は担当の子に向く可能性に思い至ると昨日の自分にはまぁ弁明の余地もあるのだ。
ライオンズが好きすぎて熱狂じみた応援をしてライオンズへのマイナスイメージがつく。ゴジラを熱く語りすぎて特撮への悪印象を与える。そんなことない?いや、あるんだよ。あるから気にしていたんだろうね。
自分以外の他者を気にしない。結局できてなかったんだよね。そういう自分の弱さ、弱点が昨日、いらんことを考えてハレの日に一点の後悔を残してしまった。
まぁ、でも後悔は未来でしか消せないことを学んでいるからね。今年はこの問題をなんとかしようと思う。まずは大きな二択。「感情の思うままに生きてみる」のか「自分以外の何者かを気にしてしまう自分を気にしないようにする」
前者はかつての俺への退行。
俺の嬉しいは他者の楽しいには繋がらない。愉快な影響を与えられない。端的に言うとこのままではバズれない。それでは俺は役に立てない。それでも、俺の人生は楽しいんだからそれでよしと生きていく。
後者は現状の受け入れ。
一度気にし始めたものはどうしようもない。これはこれとして社会性、協調性、思いやり、なんでも良いから適当な言葉で修飾してやりこめる。その気にしすぎを成長と錯覚させる。そういう生き方。
退行も受容も大きな変革にはならないけど、問題を認識してなんとかしようという心持ちについては自己評価高めにようやっとると言ってやりたい。
やっぱ。心持ちそのものは前向きになってんだよね。世界が確かに違って見える。そんな世界の中でちょっと色々自分の生き方考えていきますかね。転機をくれて、あの子に思うことはやっぱりありがとうなんだね。
あー…いやー…夏〜秋頃からずっと胸につっかえてたようなテーマで雑記を上げて、ちょっとスッキリした。
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