人生、東奔西走

自分の人生の備忘録のつもりで作りました。

「いだてん」最高だったじゃんねえ

最終回を受けての「いだてん」感想記事を書こうと思ったら、第一部も終わりそうにないくらい記事がどんどん伸びていくので、下書きに退避させて年内を目標にゆっくりやっていくことにした。

取り急ぎ新鮮な感動のあるうちに…ということで最終回のネタバレ満載で今日の記事を書いていく。

 

 

いやあ…いかがでしたか2019年の大河ドラマ。一言でお返ししますなら、絶品でした。

大河ドラマのいいところは一年間という長いスパンでドラマを見て、最後の方になるにつれて、積み上がってきたこれまでの感慨の怒涛の回収ですよ。

そもそも最終回の一話手前で「明日の開会式雨かどうか」って不安を煽っておきながら、その回のうちに、これまで散々見せつけられてきたバーのママの占いは外れるって展開で「あっ、晴れるんだな」って確定させてからの最終話よ。

今日はもうお祭り騒ぎの最終回だろうなと思ってました。

オリンピックをこれまでついぞ見られなかった可児徳先生が御年90歳にして、体協設立メンバーとして唯一存命で開会式を国立競技場で見るのも、二人で参加入場行進を歩くコンゴ共和国の選手団にストックホルムの金栗三島がかぶるのも、一年間の走馬灯のようなフラッシュバック。

これはTwitterで誰かが言っていたツイートなんだけど

この大河ドラマは「思えば遠くへ来たもんだ」っていう感慨ではなくて1964年10月10日を迎えて、「あっ、ここまできたんだな」って物語

っていうのがかなりしっくり来ている。

まぁ、もちろん俺なんて1964年はまだ存命でないのだけど、それでも輝かしいあの東京オリンピックの記録に触れてきたタイプの人間。1912年のストックホルムから始まって…関東大震災第二次世界大戦、1940年幻の東京五輪…数々の困難を経てとうとうここまでやってきた。第一部ラストの回の金栗四三の言葉を借りるなら「ついに、ついにここまで来たばい!!」のそういうストーリーだった…。

 

歴史ドラマを見るときに「未来人の特権」って言葉が脳裏に浮かぶ。結末を知っている未来人たる自分は「ああ、このあとこの人らは…」とか「この時間にその場所にいては…」とかそういう風に思ってしまうっていうこと。この未来人の特権はこれまで悪い方に発動することが多かった。ロス五輪の帰り道で選手団を見送った日系人たちはその後の太平洋戦争中に過酷な運命を送ることになるんだろうなあ…と脳裏をよぎったり、1920年9月1日に凌雲閣に行くといっていたシマちゃんに対してそこに行っちゃ駄目だと思ったり…。

ただ第三部東京オリンピック編のラストに向かってはこの未来人の特権がよくよくプラスに発動しまくっていた。開会式が雨か?ブルーインパルスの五輪マークが成功するか?そんなことみーんな知ってるじゃんねえ!だってOPで毎回流れてるんだもの。

でもその未来人の特権が発動してなお、世界中の秋晴れを集めたような快晴の東京で開会式ができてよかった。五輪マークが決まって良かったと心から胸を打つのは、1912の金栗三島から続く日本スポーツ史黎明の鐘を聞き続けてきたからかもしれない。

 

 

雨の神宮外苑学徒出陣を思い出しつつ、「今日は晴れてよかった」とバンザイを繰り返す出席の面々のシーンではもうボロボロ感涙の雨あられだった。いやー、感受性を取り戻しまくっていた。「俺はやる、ここで。オリンピックをやる」あの田畑の言葉が実現した瞬間だと、ここまで見ちゃったんだもんねえ…そう感慨に浸っちゃうわけだ。

ちょっともうこっからは最終回の好きなシーンバンバン言わせてもらうぞ。

 

あのインドネシア選手団を見送る東都知事とアジア競技会ジャカルタ大会で日本選手団通訳を務めたアレンのシーン。スポーツは政治に完勝することはできない。でも選手や関係者個々人の友好があたたまっていくこと、それはスポーツのもつ一つの意義であると。…いやー、「サカラワズシテカツ!」のアレンはいいキャラだったなあ…。

 

インドネシア北朝鮮の不参加について、国旗責任者の吹浦忠正が悔しそうにしていたシーン。「どの国が表彰台を独占しても良いように!すべての国旗を3枚用意してるんですよ」のシーン。あれは「いざというときに無かったらコトだ」という保守的な発想じゃなくて、ホスト国としての誇りだよなあ。そして、全国旗掲揚シーンで、観客の見えない本部室から、不参加のインドネシア北朝鮮両国旗を揚げるシーン。あれは男の意地が見えてほんま好きなシーンだ…。2020年、インドネシア選手団、北朝鮮選手団が入場するときに、また新たな感慨をもって迎えることになるだろう。56年越しに吹浦忠正の悲願が叶うのかもしれない。

 

そして五りんのオリンピック噺の最終章。志ん生の富久を再現するように走り抜ける五輪。あれ聖火を坂井義則くんにリレーしてから、来た道を引き返すってのがいいですな。クーベルタン男爵の理想から始まり、嘉納治五郎が共感し、多くの同志を巻き込みながら、時に悲劇に見舞われながらも、今日この瞬間この場所までつないできたこの炎。それがバトンされたのを見届けるようにして、その道を引き返す。

五りん-小松勝-シマちゃん家系は実際に歴史上に存在した人物ではないだろう。しかし、その時々に確かにその時代に存在した庶民代表とでも言うべき面々なのかもしれない。戦後、昭和前期、大正ともしかしたら数百万単位でいたその時代時代を必死に生きていた市井の人々の姿。そういった人々にスポーツがどういう影響を与え、夢や活力を与えたのか。その姿があの三代から見出す…というのは好意的解釈がすぎるかね?俺は結構この落語パートが好きだったんだな。

歴史、それは絶え間なく流れる大きな河。その中のキラキラした一滴(ひとしずく)を秘話と呼びます」とは歴史秘話ヒストリアのOPナレーションだけど、あの三代の物語は近代日本スポーツ史という大河のなかのそういう一滴と言えなくはないか。

 

そして、ラストシーン。

ストックホルムオリンピックの記念式典での金栗翁のゴールで番組が終わるだろうというのは、正直金栗四三をテーマにやると発表された瞬間から予想していたことではあった。しかしまぁ、そのシーンとさんざっぱらここまで登場していた田畑のストップウォッチを同期させるのは想像が追いついてなかった。いやあ、お見事。

日本近代スポーツの黎明の鐘たる金栗四三と、俺の東京オリンピックを見事に完遂した田畑政治。この二人がいなければ日本にオリンピックはなかったかもしれない。その物語のラストにいい画だったなあ…。文字通り駆け抜けた金栗翁の長い長いオリンピック噺はここで幕を閉じる。

 

 

今日が新国立競技場の公開日っていうのは、しかしまあ、できすぎじゃないかね?

嘉納先生の神宮外苑田畑政治らの国立競技場、そして、我々の世代の新国立競技場。新国立競技場は一体どんなドラマの目撃者になっているのか。

東京オリンピック噺、あなたの身に起こるのは明日かもしれません。いや、これではアンビリーバボーだ。

 

まぁ、なにはさておき…。大河ドラマ「いだてん」いいドラマでした…。うん、やっぱり絶品だったな…。俺に刺さりまくっていた。良かドラマでした。

 

105.6