突然だけど、馬場俊英の『君の中の少年』という曲をご存知だろうか。
もともとは内村光良リーダーのNO PLANというユニゾングループの楽曲だったけど、その提供元の馬場俊英さんも自身で歌っているのだ。
最近、この曲をよく聞いている。
グローブの中で汗ばんだ手が 今 何か掴もうとしている
この部分を聞く度にハッとすることが多々ある。
俺は今、何をつかもうとしているのか。
昔を振り返る。馬場俊英さんの楽曲は高校の頃に出会って、当時良く聞いていた。高校2年の頃には海援隊よりも聞いていたし、人生で一番最初にiTunesで買った曲が馬場さんの『明日に咲く花』であるといえば、結構ハマっていたことがうかがえるだろう。
その後、馬場俊英さんの曲をよく聞く機会というのがあった。所沢である。
某選手の偶数打席の出囃子が『スタートライン~新しい風』であった。
だからそうだよ 挫けそうな時こそ 遠くを見るんだよ
この部分。この曲を所沢で聞くことは、もうない。
だが、俺のiPhoneからは、カーステレオからは流れる一曲。
某選手の出囃子がこの曲になるよりも前に、俺はこの曲と出会い、青春時代を過ごしていた。だから今この曲を聞いて思い出すのは、高校時代の放課後の校舎だったり、登下校だったり、カラオケだったり、放送部室、練習場のホールだったり。運動会の競技退場曲にねじ込んだり…そういったことだ。
スタートラインを聞いて、浅村栄斗を思い出すことはなくなった。
キャンプが始まって数日。ライオンズの選手が一日一日、自らを研鑽し、怪我なくシーズンへの歩みを進めていくニュースを見る中で、どうも件の選手が古巣について語るニュースも目に入ることが多くなってしまっている。
その都度、俺は「山川を舐めるな」「虫がどうした」「お前、ほんともういいかげんにしろよ」「少し黙っててくれないかな…」といちいち律儀にブチ切れている。
要らない労力を使ってブチ切れている。好きの対義語は無関心というのは同意だが、そこに至るプロセスとしていちいちブチ切れている。流出時にも件の選手の真意がついぞわからなかったが、今こうも引き合いに出されて諸々言われるのを見ると、心中穏やかならざる気持ちになる。キャンプが始まったからかな、こう…。明確に敵なんだなと理解が進む。敵ならば、倒さないといけない。勝たねばならない、勝つしかない。
ライオンズに入れ込みすぎだというのは自覚症状はある。あるんだけども…、自覚によって自らを正すことができないのもまた人の性なのだ。
自分の中にはいろいろな属性を持つ自分がいる。今はその中のライオンズユニを着た自分が、青いかがり火に、こんこんとヒドラジンを注いでいるのだ。
目を血走らせて、眼の前で爆発的引火をしながら、ヒドラジンをジョウロか何かで注いでいるのだ。
シーズンオフの間、「今年はライオンズファンとしての自分を倒さないといけない」と自戒していたけど、ここ数日の自身の感情を鑑みて、これは相当な強敵だと理解した。
特撮ファンの自分も、プロデューサーやってる自分も、海援隊ファンの自分も、山男を目指す自分も、このやばい自分を遠巻きに見ているだけだ。
近付こうものなら自分が燃やされてしまう。自分の手元のかがり火には良質な化石燃料が適切な量燃やされているのに、隣のあの人は自分が焼けるのさえ気にしない様子でブツブツと「勝つ…勝つ…勝つしか無いんだ…絶対に見返してやる…」と言いながら燃料を注いでいる。そりゃあ、近づかないのが正解だ。
できたらこのヒドラジンは、開幕までには使い切ってしまいたい。
今年はある程度落ち着いて、冷静に応援したいというのもあるけど…。
春になれば石鎚山では山開きもあるし、総選挙も始まる。その時、各々の炎に燃料を注ぐとき、そのヒドラジンが余っていたら、別の炎に引火してしまう可能性がないとは言い切れないじゃないか。
その精神性はあくまでもライオンズ内で完結させるべきだ。
使い切るために何が必要か…。キャンプの中で見つかるといいな…。
この記事を書きながら、『君の中の少年』を延々聞いている。
この街のどこかに今も あの日の夢が眠らせてある
暗闇の向こう側から 少年の目が僕を見つめている
確かに、02年の日本シリーズで煽られた少年の日の俺は、きっとこの自分を肯定するだろうと思う。10歳前後の精神性で今日まで生きてきたのかもしれない。
優勝という夢を叶えてなお、この渇きはなんなんだ、なんなんだ。この毎日は一体何だ。
秋まで待つしか無いのだろう。これがプロ野球ファンの生き方か…難儀なもんだなあ。
109.5