(前日へ:2018年九州の旅 1日目 - 人生、東奔西走 )
こんばんは。タカボンです。
さぁ、運命の車中泊を超えての二日目。
宮崎県山之口SAでの車中泊ですが、寒さを感じることなく6時間ぐっすり寝てたよね…疲れもあったんだろうけど。
おそるべきはモンベルのシュラフ。羽毛布団も持って行ってたけど、実際は抱き枕代わりに使ってただけで防寒という意味では、シュラフ一つで足りてた。
とはいえ、起きると寒いのでトイレだけ済ませると早々に出発。
ええ、そうです。スーパー銭湯です。九州まで来てスパ銭です。いいじゃないか。
しかし値段見てると、やっぱり松山の行きつけのスパ銭高いよなぁ。まぁ、いいんだけど。
サウナには入らず、ジェット湯で体をほぐしたら上がって、南へ。
なぜここかと言われると、ここが本土最南端の地になるからです。一度行ってみたいと思って。
都城から国道10号線を走って鹿児島入りしたのち、東九州自動車道で鹿屋市へ。その後は山道を延々走り…鹿屋市に降りてからまだ60キロを残してる。
ここからは山道、海沿いの道を延々走り…それにしても交通量が少ない!前後もすれ違いもほとんどなく、ストレスフリーで走れたのは楽だったけど、ちょっと寂しさもあり…。
佐多岬まで30キロとかそういうあたりで、「そういえば傘持ってねえな」ということでコンビニ見つけたら入ろうと左右に気を配りながら走ってたんだけど。1時間後、佐多岬到着。えぇ…コンビニないんじゃけど…。それもそのはず
大隅半島南部エリア、コンビニの所在はこんな感じ。文明の利器に慣れきってしまった俺に対する目覚めのパンチ。
まぁ、小雨だったから傘が必須というわけではなかったけど。
ともかくも佐多岬到着!
この看板…いずれ飲まれるでしょ。
駐車場から最南端までは徒歩でしばらくかかると聞いてたんで、いざ歩き出そうとすると。
真の最南端は工事中につき通行不可…。たしかに遊歩道の整備中だと聞いてたし仕方ないね。まぁ、展望台までは行けるんだし、行くべ行くべと歩き出したら…
えっ、なんだこのジャングルパーティー。
遊歩道の工事中につき、仮歩道、仮階段を通ることになったけど、小雨だし周りに誰もいないしで不安がすごい…いざ足を進めようとすると、いきなり「ピンポーン!」と何事か鳴り出して、ビビっていると「工事中につき、足元にお気をつけてお通りください」という感知式のメッセージ。トラップまで仕掛けてあるとは、ほんと一筋縄ではたどり着かせねえという気合を感じる。
ほんと山道に仮組みしてる感じ。不安を感じつつもそこは業者さんを信用して一歩踏み出すと、軋む木の板、怖えわやっぱり
まぁ、整備中の遊歩道はこんな感じに整備されつつあり、完全整備が楽しみですよね。
歩くこと20分。
たどり着いたる最南端、佐多岬!
天気が良ければはるかに屋久島が見えたりするらしいけど、そこは仕方ない。いやぁ、薩摩半島側には開聞岳も見え、見渡せば広がる太平洋…。うっすらと種子島も見え、案外近いんだなと驚かされる。
雨が強くなってきたので、一休みしようと展望台に入ろうとすると
めっちゃ試してくるよな!佐多岬!
まぁ、こんな時間に来る人をそもそも想定してない可能性もあるけど…この時点で9時前とかそんな時間だし。
雨に打たれ続ける趣味もないので、来た道を引き返し始めると、神社さん発見。
御崎神社は交通安全等々にご利益のある神社となっております。
参道にソテツが伸びてきてたり、なかなか趣深い。
この旅の道中の道中安全と、最南端にいるということで、現在はるか南ハワイにおわす源田くんの来シーズンの無病息災とを祈願して帰る。
帰りもあの仮組みの歩道を歩くわけだけど、行きが大丈夫だったし…と安心して登り切る。
やれやれと一息ついていると左側か「ピンポーン!」と大音量で警告され、再びビビる。学習のない男よ。
駐車場まで戻ると併設されてる観光案内所も営業時間となっていたので、中に入ってみてみる。
昭和23〜33年に渡って灯台守をされてた方の奥様の手記(当時鹿児島新聞?に掲載されたもの)があり、読んでみると、この辺境の灯台守がいかに大変だったかを思い知る。
この地に灯台を建設するのがプロジェクトX的事業だとしたら、それを保守管理運用していくのはプロフェッショナル側の事業。どちらも社会インフラとして欠かせないものだったのだなぁ。
誰かの生活を犠牲にして…という話ではなく、当時は誰かがやらねばならなかったこと。
この手記の注記の最後に「このご一家は翌年鹿児島市内に移住したはずである。その後幸せな余生を過ごしたことを願ってやまない」という主旨の文があり、締められていた。その後の消息が不明というところも含めて、時代というより他にないけども海上安全はこうした人たちの支えあってのものだったのだなぁ。
行ってみないとわからないものだね。
そうそうその案内所ででこんなものを見つけました。
俺のツボをわかってんなぁ佐多岬。
日本四極コイン、全て揃えたいところだ…という欲望にかまけて南コインを買ってしまった。
そんなわけで満足の佐多岬を終えてえっちらおっちら都城市まで戻る。13:30からは霧島酒造の工場見学を予約していたからだ。
都城への道すがら、点在する民家、集落を見ているとほんといろんなとこに人って住んでるんだなぁと思う。不便じゃないんだろうか…なんて心配は当人たちからしたら余計なお世話なのだろうし、郷里を捨てられない気持ちもわかる。生活は続き、人は明日も生きていくのだ。
都城市に戻ったものの、工場見学までにお昼を食べる時間はありそうもない。仕方ないから、コンビニでコーヒーだけ買って、霧島酒造、霧の杜ブルワリーに向かう。
受付の方に「13:30から予約していたものですが」と名乗ると、所定の用紙に記入を促され、最後に「車は運転されてますか」と。そう、車中泊旅行中なので、ドライバー=自分なのだ。運転する旨を伝えると、首から下げるカードを渡される。後からわかったことだけど、工場見学者で飲酒可な人は緑、飲酒不可の人は青色のカードを下げていたようだ。
13:30になると、店内にアナウンスが流れ、わらわらと集まる参加者たち。年配の方が多いように見受けられたが、親子連れや若い女性グループなど、幅広い層が来ている様子。単独での参加者はそう多くないようで、自分の他には壮年の男性が一人くらいという様子。
そういう時は、イマジナリータカボンを呼び出すのだ。かつて黒霧島を飲むことで救われてきた過去の自分を…。あ、だめだそんな奴ら呼び出しても全員酩酊状態で「みんな黄色くてさぁ…」とか「坂元てめぇ!打たれやがった!」とか各々騒いでる…ダメだこりゃ。
売場とは道路を挟んで向かい側にある工場にゾロゾロと向かう参加者たち。
まず最上階まで階段で上がり、通路を歩いていると工場の横には白地の広場が。なんだろうこれ…と思ってると、「こちらですね、ビーチバレーコートとなっておりまして、年に一回は大会も開かれます」なんでビーチバレーなんだろうと思いつつ…。
たった二人の団体スポーツ、だから彼ら彼女らはかけがえのない一人を選ぶ…。最近見たぞこのコート…。「折れないよ、私は」と言ってた小さなガッツマン(女の子やぞ)を思い出す。
館内に入ると一行は部屋に通され、ビデオ鑑賞。
「それでは芋焼酎ができるまでを、お芋の気持ちになって見てみましょう」
芋の気持ちになるですよー。気持ちはまさに黄金千貫。さぁ、かかってこいシラス台地。
VTRが始まる。まず、南米原産のサツマイモ、ヨーロッパでうまれた蒸留の文化、東南アジア由来の米麹、メソポタミアに起源をもつ発酵システム。それらが、姶良カルデラ噴火による特殊地層のためにできた地下水、霧島裂罅水(きりしまれっかすい)が湧き出るここ九州の霧島連山がふもとの都城で出会う奇跡的な出会いについて語られる。
この設定を一気に説明する感じと専門用語の取り出し方、実に好み。一通り、説明が終わるとモノローグが始まる。
「世界をめぐる、夢を見ていた…」
あ、これ芋のモノローグだ!お芋さんの気持ちになる時間帯だ!
ここからは収穫された芋がどのように芋焼酎になつていくのかの説明を芋目線でしていく部分。
収穫されて、九州の道を進んでいく(芋目線で)シーンとか、なかなか熱くて良かった…。
発酵か進んでいって、蒸留まで済んだくらいのところで、お芋さんがいうわけですよ。「私の新たな人生の始まりだ」って…
人生…。何1つ終わっちゃいねぇ、ここからがネクストステージ。そのための黄金千貫、そのための霧島裂罅水。
さぁ、人生を!取り戻せ!黒霧島!
瓶に詰められて出荷され、世界各地で料理とともに飲まれる各種霧島、芋焼酎たち…。それは、世界中の「ウマイ」のために…。
我が半生を振り返ってみる。黒霧島が無ければ超えられない夜があった。黒霧島があったから笑い倒した夜があった。
酒に逃げることは弱さではない。俺は黒霧島という手段を持っている。選択肢の多さ、それは強さである。霧島酒造は俺に、そしておそらく日本中の俺と同じような人間に、強さを与えているのだろう。
…そんなことを考えていると、VTRはラストシーン。廃棄される芋も肥料として再び九州の土に帰っていく。ただいま。
環境にも配慮した霧島酒造の取り組み、素晴らしいと思うんでですね。是非とも皆さんも黒霧島。黒霧島をよろしくお願いします。
VTRを見終わると、工場見学の時間。
いやぁ、この規模で作ってるともう化学プラントだよね。発酵具合とかも機械と人とで管理して気合い入れて作ってるわけよ。誰だ、発酵と腐敗とは同じとか言ってたのは。認識を改めていただきたい。
ガラス越しのはずなのに芋とかアルコールの匂いが伝わってきて、本当にここで芋焼酎作ってんだなぁと実感する。
ちなみに黒霧島、白霧島、赤霧島、茜霧島あたり商品はそれぞれ芋の品種と麹の種類が異なっているらしい。なるほど、勉強になりますね…。
見学エリアが終わると、最後にお芋の黄金千貫の試食と、霧島裂罅水の試飲ができた。
なるほど、ほのかな甘さのあるお芋さんですね…。
そして霧島裂罅水は…いやまぁ、お水だよ。これで味の違いがわかるような舌を持ち合わせているわけがない。
そして見学はおしまいで再び売店に戻ってくるわけだが、最後に霧島の美味しい飲み方を教えてくれた。
まずグラスを氷で満たします。そこに4割ほどまで霧島を注ぐ。それをマドラーでかき混ぜてグラスごと冷やす。十分に冷え切ったら、水割り人は水を、ロックの人は焼酎を追加して、最後に「左に5回、右に3回回してください」と。「へぇ…なんでその回数なんやろ」と思っていると、「では工場見学は以上になりますので、ご自由に試飲なさってください」と…いや、回数に意味ないんかい!すぐに数字で遊び出すオタクは顔を出してしまった。
しかしまぁ、このまま帰るのは忍びない、というかあれだけ話聞いてひとしきり感動しているので、芋焼酎飲みてえ。
そんなわけで宮崎限定モデルの霧島とアルコール度数高めの原酒、と霧島のロゴ入りグラスを買う。このグラスが曲者で、ここから5日間どこで保管しようか…下手にそのまま紙袋に入れておくと、どこかのタイミングで割れても嫌だし…ということで、服を入れてるボストンバッグに突っ込んで残りの旅程を探してもらうことにした。変な匂いとかつかなければいいけど。
さて、この時点で時間は15時前。この日は鹿児島で夕飯を取ろうというところなので早速移動。
雨は相変わらず降り続いていて、運転は慎重に…といってたところで気がついてしまったがおれの車には傘が無い。まぁ、寮の部屋にも傘はないんだけど。どこかで買わないとなぁ…。こういう生活力のなさが露呈していくのも旅ならではだ。
幸いにも、特に事故を起こすこともなく鹿児島市内に到着。鹿児島市内のふるさと維新館を目的地にしていたので、西郷隆盛生誕地の真横にあるパーキングを利用。
夕飯を食べに行こうとしていたお店は17時半からなので、ふるさと維新館に入って時間を潰すことに。
企画展で庄内藩と西郷隆盛の縁を紹介するコーナーやってたんすけど、良かったっすな。戊辰戦争で旧幕府側として最後まで戦った奥羽列藩同盟。会津藩の悲哀などはよく知られてますが、庄内藩の戦後処理は西郷隆盛が行ったために、非常に穏便なものになったとか。そのことに感謝した庄内藩は西郷隆盛シンパになったという…。山形には徳の交わりって銅像あるらしい。いいなぁ、義力高そうで是非とも見て見たい。
時間を潰したら程よい時間になったので、行きがけのコンビニで傘を仕入れてご飯どころに向かう。
狙いをつけていたのは鹿児島の郷土料理をコースで食べられるというお店。
きびなごと鹿児島黒豚とどっちにしようかずっと悩んでたんですけど、両方食べられるところがあって助かったね。
しっかしメニューを見るとさすがにいいお値段するわけで…。1万はさすがに…まだ旅は序盤。しかし、3500円のしゃぶ膳コースでお茶を濁すというのも遠路はるばる鹿児島までやってきた甲斐がないというもの。結局間をとって5,000円の郷土料理コースに。きびなごも豚しゃぶも食べられるし。
まず出てきたこちらがきびなご。
酢味噌にあえていただきます。透き通った身が美しい。鮮度が命、やってこないと食べられないってのはこういうことね。
写真横になってるが、続いてさつま揚げと薩摩地鶏のたたき。
さつま揚げがね、本場のは美味い。味がついてるので醤油つけなくても大丈夫とお店の人が言ってたのがよくわかる。
はい、そして黒豚のしゃぶしゃぶですね。
いやぁ…しゃぶしゃぶは食べたことあるから味の想像はついてるつもりだったけど、実際に食べると大違い。脂の旨味が段違い。
薄い一枚の豚肉からこれだけ食べ応えある感じの味が出るのか…。うまかった。
はい、そしてこの旅の最初のダークホース。左に見えてますのが酒寿司ですね。(汁はさつま汁)
これが酒寿司…とよく考えずに一口食べて見ると、ガツーンと広がる酒の風味…めっちゃ酒感強いな!と思うと同時に、「あ、これは車の運転できないやつだ」と電流が走る。
店員さんに聞いて見ると「こちら一杯でビール一杯分と同じくらいのアルコールが入ってます」とのこと。はい、オッケーイ、鹿児島ホテル泊確定!
すぐさまじゃらんで宿を確保し、残りのコースを楽しむ。
しかしこの酒寿司、美味しかったんすよ。結構アルコール強いんだけど、一度食べたら癖になる感じ。
そして続いて黒豚のとんこつ。
要は豚の角煮の骨付きイメージしてもらったらいいかと。箸を入れた瞬間にわかる「あ、これ相当に混んでるな」感。脳裏によぎる孤独のグルメの中華料理屋回「骨まで食べられる手羽煮込」…もしやこれも、と思って骨に噛み付いて見ると
ガリっ
ま、そうよね。豚だもんね。鳥とは支えてる重みが違う骨だもんね。と咥えていた豚骨を皿に戻す。
最後に芋ようかんが出てきてコース終了でした。
いやぁ、非常に満足。実際結構お腹いっぱい。
続いてのお店は元祖鹿児島ラーメンのお店こむらさき
事前精算制でメニューも少なくてわかりやすい。
あー、しまったな今にして思えばこの時点で泊まり確定してるんだからビールも頼めば良かった。
ともかくも
こちらが鹿児島ラーメン。
にんにくがっつり乗せまして、さぁいざ食べると。
豚の脂の旨味が…すごい。鹿児島料理とはとどのつまり豚の脂をいかに活かすかの勝負なんではないだろうか。
九州回って一番好きなラーメン鹿児島ラーメンというくらい、ここのラーメンが美味しかった。
ラーメンまで食べたら最後はデザートに鹿児島うまれのしろくまを。
店に入る前も入った後もしろくまが前面に押し出されているけど、いざ届いたものがこちら。
これレギュラーサイズです。薩摩人半端ねぇな…鹿児島市内の女子高生とかは平気でこれ平らげてんのか。他県観光客カップルとかが事情も知らずに2つ頼んで食べきれない様を横目に見ながら「かー、根性が足りんたい」とか言いながら平気でぺろっといってんのか…薩摩隼人恐るべし。
量は相当に多かったですが、フルーツたっぷりで味に飽きが来なくて、かつ練乳もさっぱりしてる甘さの味付けなのでわりとぺろっといけますよ。参ったか薩摩隼人。
さて、ここらで晩御飯タイムを終えて、ドンキで肌着だけ買って、急遽予約を取った鹿児島市内のビジネスホテルへ。
チェックインもほどほどに、部屋に入ってテレビをつけると、西郷どんの最終回が。
最終回を見ながら、情の西郷隆盛、理の大久保利通なんて言われてるけど、大久保さんにも情はあるよなあ、などということを思いながら。俺は後世には義のタカボンと語り継がれたいなぁ、と思いながら。もうここらでよか…と泥のように眠りにつくのでした。
鹿児島南端から、思い出の黒霧島、怒涛の夕食タイムとなかなか盛りだくさんの九州旅行二日目。
そうなんすよね、これ多分一番盛りだくさんだった一日なんだよ。
では三日目につづく。
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