人生、東奔西走

自分の人生の備忘録のつもりで作りました。

7年目の消失記念日

現在時刻は18時前。
なんでか知らんが、暖房が全然効かなくて、寒い。足元が冷えて体に悪そうだ…。
これだけ寒いのに雪に縁がない四国だから、寒さ損な気分しかない。

日付は2017年12月16日。

 
そう、今年もこの日がやってきた。
このブログ今年からだから、なんのこっちゃと思われてる人も多かろうから、説明を。

涼宮ハルヒの消失」において、作中ストーリーのスタート日が12月16日、以上。

 

それともう一つ。
長門有希には、誕生日が設定されていないので、なにか記念日を作ろうと思ったら、自分で作っていくしかない。
それこそ「ないんだったら、作ればいいのよ!」の精神でいこう。

そういった結果、今年で7年目になる俺の消失記念日。

 

 


2011年12月16日を初回とし、そこから4年間は毎年の宴会騒ぎ。おでんをしこたま作って安い芋焼酎でベロンベロンに酔っ払って「長門長門…」って言いながら朝日を迎える。
そして、ここ3年間は、水曜・金曜・土曜と来ていたために、コンビニでおでん買ってきて、黒霧島赤霧島を飲んでいる。
今更ながら、正確にやろうとするなら、原作のスタート日の12.17だったり、長門が世界改変を起こした12.18未明に合わせてやるのが正しい気もする…。
実際にはキョンが「これはまだプロローグでさえなかった云々」言ってる最中に、俺はもう「長門長門…うおおん…」って言いながら感極まって、気持ちを作っているのだ。長門を置いてけぼりにしてないだろうか…。

 


さて、今日は長門との思い出を備忘録しておこうと思う。
備忘録する、今後頻発させる予定の動詞なのでよろしく。


加入者達(メンバーズ)ナンバー1にして、俺の本格的オタクライフの祖にして、我が人生最高の恩人のひとり。
長門有希


長門に多大なる思い入れのある日本人って多分、長門市の人口(34,963人 H29.11.30時点)より多いと思う。
自分もそんな長門有希を応援し隊の1人なわけだけど、そのきっかけは遡ること7年、2010年の2月末。

 

きっかけは、ニコニコ動画長門有希まとめ動画だった。
2009年夏にエンドレスエイト事変が勃発し、まとめサイトとかを巡回していた当時の俺は、騒動の中で涼宮ハルヒシリーズと、長門有希の存在くらいは認識していたと思うけど。
2月末の冬の日。学年末考査初日を終え、そこはかとない開放感から、本当に思い立って、ニコニコ動画長門有希のまとめ動画を見たのだった。
【第2期】 長門有希の会話シーン全集 【涼宮ハルヒの憂鬱】 by 動☆画太郎 アニメ/動画 - ニコニコ動画

2010年、2月某日、午後2時過ぎのことだった。その時歴史が動いた。ってナレーションを入れてもらってもいいくらい。


今でこそ、エモいとか、推せるとか、長門有希はいいぞとか多種多様な感動語彙を持ち合わせているけど、その当時はなんといって感動していたのか思い出せない。
語る相手もいなかったし、SNSの流行前夜でもあったから、言葉にしていないのだと思う。

 

そもそも当初何に惹かれたのか、それも明確に覚えているわけじゃないんだなあ。しかし、あの締め付けられるような感情の感覚みたいなものは覚えている。
なんかこう…切なさとともに、長門に惚れ込んでいった。

 

長門に出会って、一期二期を一気に見て、原作も一気に読んで、2ちゃんのハルヒ版とかに入り浸り、買ったばかりのDSiLLWi-Fiにつないで、長門のSSを巡回するための機械になっていた(まだ、ガラケーだったため、気持ちよく見られるブラウザが必要だった)
俺が長門に出会ったのは、消失が全国的に公開されたあとだったので、もちろん消失が見たくて見たくてしょうがなかった。もう大阪遠征をするしかないと思って割と具体的な計画立案に入っていたような段階で、5月から松山衣山シネマサンシャインで上映されることが発表された。
上映初日、高校の友人1人と松山までJRと市電を乗り継いで見に行った。そして、翌週、どうしてもまた見たくなってしまった。しかし、チケットを買う金しかない。そのため朝4時に起きて今治から松山まで延々自転車を漕いでいった。片道50㌔弱のこのサイクリングは未だに、自転車における俺の最長走破記録になっている。
そして、8月には今治の劇場で消失の上映が決まった。
夏期講習の合間に、予備校の合間に見に行きまくった。もう俺を阻む50キロの距離はなくなっていた。
朝見て、予備校で講義を受けたあと、映画を見て予備校に戻るとかいうことも平気でやっていた。振り返ると、劇場で消失を見た回数は二桁少々となっていた。

 

2010年は俺にとって長門の年といって間違いなかった。
折しも受験生だった俺は、数学の克服のために、数学時にだけ長門の下敷きを使うという荒療治で、文系なのに数学に異様に強くなってしまっていた。
2011年2月には京アニにも行った。作中の舞台になっている箇所も幾つか見られた。
2012年夏には西宮にも行ったし、長門市にも立ち寄った。長門有希の100冊を追いかけ始めたのも2012年。
年経るごとに、おでんを大量に作る技術は向上していったし、長門のおかげで多くの思い出ができた。

 

長門は俺の人生のレールのスイッチレバーを切っていった。

 


最初は眼鏡キャラだから好きなんかなと思ってたけど、長門については厳密に言えば、途中から作中途中から眼鏡を外しているしなあ。
どちらかと言うと、長門有希の"在り方"が好きなんだと思う。(在り方も今後の頻出単語)

無感情・無表情がデフォルトというのは変わらないけども、確かに長門の中に芽生えつつある感情。
それ故に引き起こした世界改変という事象。その中でも、キョンの記憶はそのままにして、選択権は残しておくいじらしさ。自分の願いである自分の姿を自分の手で消滅させてしまわないといけないという顛末。
でも、消失のラストシーンで見られる、長門の変化。
この価値観さえ、長門とは相反するのかもしれないけども、それでも俺は長門有希に幸せになって欲しい。

原作後段では、キョンの元同級生中河からの一目惚れが、宇宙人超能力関係の誤解だとわかった時、残念かと聞かれて「…すこしだけ」と返したりしているのを読んだとき、俺のむふふーん…感は想像に難くない。

 

加えて、朝倉との対決時とか、エンドレスエイト終盤戦、消失の世界改変シーンで見せた儚さもいい。
強大な能力とは反するように、長門自身の存在は小柄な体躯も相まってか、ともすると消え入りそうな印象を受けるときがある。
それこそ雪が手のひらですっと溶けていくように、振り返ると、そこにいた長門がふっといなくなっているような錯覚。
そういうところにどうしようもなく惹かれていくのかもしれない。多分、これからも。


長門に魅入って幾年月。冬の空を見上げると長門を感じる数日がやってきました。
今年も12月16日を無事に迎えられました。ありがとう長門有希

 

それではおでんと酒を買ってきます。7年目の奇祭の開幕じゃ。