継続は小野寺なり。些細なことでも書けるスタミナがある日は何かしら残しておこうと思って。
夜の街のウォーキングは2日目も継続することができた。雨上がりの涼しい空気は嫌いじゃない。そして後半にさしかかってランダム再生で流しているiPhoneが盛り上げてきたら走ってしまうのは仕方ない。今日は『プラリネ』と『サウンドスケープ』の2曲間で走ってしまった。
明日の膝腰が心配だ。
そしてクールダウンがてら最後の1キロは歩こうと、Apple Musicで検索をかけていると、馬場俊英のアコースティックセルフカバーを見つけた。
今年から浅村栄斗が登場曲にしていることもあり、懐かしさとともに見てみると『ラーメンの歌』もセルフカバーされているではないか。
最初に聴いたのは大学3年か4年の冬だった。
曲名だけ見て買ってしまったのだが、聴いてみると非常に自分の好きなタイプの歌詞だった。
「チャーシューが一枚と、メンマが4、5本と、刻んだネギと海苔だけで他に何がいるだろう」
振り返るとラーメンに関する思い出は数え切れない。
小学生の頃、家族総出で見に行った市の花火大会。終了後の渋滞を抜けて、祖母の家の近くのラーメン屋に入り、電波少年を見ながら食べた冷し中華。
中学を卒業した春休み、初めて後輩に何かを奢ったのは行きつけのラーメン屋で。
高校のころ、後入れ液体スープのカップ麺にはまって、麺職人ばかりを食べていたし、大学に入ると、中華料理屋に入り浸っては辛いスープをつまみに夜中まで騒いでいた。
挙句、ラーメンを1から自作したこともあった。
家庭の味がカレーなら、思い出を纏った外食はラーメンというのが日本人のオーソドックスな解答だろう。
自分もその例にもれず、ラーメンにまつわる思い出を語っても30分番組くらいにはなる。
馬場俊英さんのラーメンの歌は2番のサビにて
「夢が一切れと、涙が二、三粒。刻んだ日々と汗まみれのありふれた人生の歌」
と歌い上げる。
大学の頃にこの曲に出会った頃には想像もしてなかった、かったるく、しょーもない、人生を今生きている。
そんなことをしみじみ思いながら歩いていたとき、久しぶりにラーメンが食いたくなってきた。
しかし一杯1000円近くなってしまった日本の大衆食は、今の自分にはハードルが高すぎる。
差し入れてもらったルマンドを食べながら、初夏の夜中は過ぎていく。