24年の人生で、最も入れ込んだ人を一人選べ、今そう言われたら間違いなく、即答できる人がいる。それが、西武ライオンズのエース西口文也さんさんだ。
思えば、ライオンズファンになったきっかけは小学1年生だったか、幼稚園年長のころだったか、高知県春野にきていた西武ライオンズのキャンプを見に行ってからだった。
両親としては当時の人気者松坂大輔が目当てだっただろうし、毎年見に行くうちに、僕自身松井稼頭央や高木大成らに夢中になっていたような記憶もある。
そう考えたら、生まれて初めて見たプロ野球球団はライオンズであり、そこから一瞬も浮気することなく、今の今までライオンズファンを貫いている自分は変なところで義理堅いなとも思う。
年々、野球に詳しくなり、ライオンズを応援していく中、当然のように、あるピッチャーを好ましく思うようになっていった。
西口文也その人である。
西口文也さんの球歴については割愛するとして、知らない人に説明するなら、ライオンズで毎年ちゃんと活躍してくれる人。と思ってくれればいい。
7年連続二桁勝利や防御率10傑入り連続年数などは過去の大エースらとくらべても、なかなかのものだし、大きな怪我もほとんどなく毎年毎年投げて勝ってくれるピッチャー、それが西口文也さんだった。
今の自分を知っている人たちからしたら、以外に思われるかもしれないけれど、自分は最初そこまで西口さんの大ファンというわけではなかったようなきがする。
2002年のシーズンボロ勝ち、日本シリーズ4連敗の年は後藤光貴や三井浩二が好きだったはずだし、2004年には佐藤友亮、赤田将吾の上位打線コンビが好きだった。その他、高木大成、伊東勤、垣内哲也、潮崎哲也、森慎二、豊田清、石井貴などなど好きな選手はたくさんいて、西口文也さんは最初、それらの選手の中でまだ少し好き度が高い選手の一人くらいの位置づけだったはずだ。
その立ち位置が変わったのは、はっきりと覚えている。2005年の交流戦対巨人戦。
西口さん、交流戦、巨人戦といえばもう野球ファンならパッと思いつくことも多いだろう。そう二度目のノーノー未遂のときだ。
西口さんが西武ファン以外の人にも知られているとすれば、それは悲運のエースとしてのイメージだろう。
大投手の証のひとつである、ノーヒットノーラン。1試合の中でヒットも得点も許さずに勝つ。
西口さんは通算3度、惜しいところでこれを逃している。
その二度目が僕が見ていたこの交流戦の一試合だった。
話があっちこっちして申し訳ないが、当時、パ・リーグの試合はテレビ中継される機械が稀だった。10年も前の話だ。プロ野球の中継は巨人戦を中心としていて、パ・リーグの試合が見られるのは土曜昼間のNHKくらいだ。
旅行先のホテルのサウナでロッテ-西武戦が中継してて、温泉もそこそこにサウナで耐えていたのを覚えている。
2005年はセ・パ交流戦元年で、そんななか巨人との試合ということで中継されていたのが、西口さん二度目のノーノー未遂の試合だった。
今でこそそうでもないが、当時の自分は巨人を憎んでいた。2002年の日本シリーズ4連敗があり、そのことを同級生の西武ファンであることをバカにされたのだ。
小学生だった当時の自分の心境を今の語彙で言葉にすると以下の様なものだろう。
「勝ち馬にのることしかできない愚か者が。貴様らは西武の常勝っぷりを知っているのか。」
そんなこともあり、対巨人戦の中継、否が応でも燃えていた。
試合は進み、快刀乱麻のピッチングで巨人打線を9回途中までノーヒットで抑え、いよいよノーノーというものが目の前にやってきていたタイミング。
清水隆行の放った打球はああ無情にもライトスタンドへ。ノーノーも完封も逃した西口さんの表情は忘れられないし、いまでも探せば簡単に出てくる。
それが二度目のノーノー未遂と知ったのは、その後西口さんをインターネットで調べたからだったはず。
なんにせよ、憎き巨人相手に全国放送で恥をかかせかけたのに、最後に全部持っていくという西口さんの強かさに惚れ込んだのだ。
熱中が盲信に変わったのは、その3ヶ月後。
今度は楽天戦。恐ろしいことにあっさり27人をねじ伏せてしまった。9回27人完全試合の達成である。
実際は、味方が点を取ってくれずに、延長10回に沖原佳典にヒットを打たれ完全試合は参考記録となってしまった。
その日、日本テレビでは24時間テレビをやっていた。当時24時間テレビの熱狂的なファンだった自分は24時間テレビを見ながら、Yahoo!速報で試合展開でその展開を追っていたのを覚えている。
西口さんが絡むと、そんな些細な記憶も覚えていられた。
2度の悲運を目の当たりにして、西口さんの熱狂的ファンになった2005年。
いきなり時間は進み、10年後の2015年。西口さんは引退した。
結論から言えば、2005年の17勝をピークに、成績は下降線を辿っていき、2011年にいっとき復活するものの、その後はとうとう肩にも怪我を抱えたりして2015年に、引退した。
2006年から引退までの10年間、上げた勝利は49勝。年平均5勝もしていない。
西武ファンになった2000年前後から考えても、西口さんの本当の全盛期を自分は見ていない。
それでもなお西口さんにここまで惹かれていた理由はなんなんだったんだろう。
投球フォーム、持ち玉、スタイル、成績、エピソード、人格、発言、行動、生き様…。説明しようと思えば説明できるんだろうけども、未だそれを試みたことはない。
例えば、西口文也特番として30分の枠を貰えば、その30分を使い倒して、西口さんを褒め称えることは造作もない。
でも、あえてそれをしなくてもいいかな、と思っている。
この記事は西口さんがどれだけ偉大なエースだったかを述べるものではなく、(述べてもいいし、いまさら言うまでもないことだけど)自分の人生がどれだけ西口さんに影響を受けているかということを残しておくためのもので。
そう考えたら、西口さんの飄々とした、あのどこか達観したかのような、生き方は自分の目標としたいところなんだ。
年俸交渉に無頓着で、ホームランを打たれても「しゃーねえなあ」とため息をもらし、味方のエラーにも「かまへんかまへん」と気にしない。
過去三度の悲運をひけらかすこともなく、引退スピーチで笑いに変えるおおらかさ。
西武のエースが松坂だと(実際そうだったんだろうけど)周囲に言われても、「そりゃそうだよ」とそっけなく。
自分に似たものを好きになるという道理と、自分が憧れるものを恋焦がれるという道理。今にして思うと、西口さんは完全に後者だ。
自分も西口さんのように広い心で、おおらかに生きたい。
それでいて、西口さんが時折見せる、こだわり。
最後まで先発にこだわり、完全試合を逃しても「ここで負けたらただの負け投手」と勝利にこだわり…。譲れないものをもっている芯の強さ。
勝利への飽くなき執念はいつまでも見習っていたい。
結局、振り返ってみると、西口文也という存在は自分にとって、好みの野球選手のタイプの極致ではなく、こう生きたいと思えるモデルタイプ、理想像だったんだなぁ、と気がついてしまった。
もちろん、実際に西口さんと話したこともなければ、一緒に野球をしたこともない自分には、本当のところはわからない。
でも、西口文也という生き方を僕に夢見せてくれるだけの存在だったことには違いなく、やっぱり、今でも24年生きてきて一番入れ込んだ人というのは西口文也さんと即答してしまうのだ。