人生、東奔西走

自分の人生の備忘録のつもりで作りました。

2020年の自分と世界のまとめ(ボツ下書き供養)

(※この記事は2020年の年間総括をしようと書き始めたものの、下書きに入れられてほったらかしにされていたものです。2021年年間まとめを書こうと過去記事を探していた時に見つけました。6月分まできれいに半分は書き上がっているので、下書きに眠らせたままにしておくのも微妙にもったいないかな…ということで、中途半端な状態ですがアップすることにしました。その点ご了承ください)

 

 

 

さて、一年間のまとめ記事。きっと7本のうち、これが公開されるのが最後だろうなと思います。

気合い入れてやっていきましょう。

今年からメイン垢でツイログ取ることを再開したので、情報を取ることがだいぶ楽になりました。スマホのスクショ、ブログ記事、ツイログ等々で結構デジタルログ残っているんですよね。なので、できるだけ詳細に思い出していきたいと思います。

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2021年(私的)Spotify再生回数ランキング

昨年よりやっているSpotifyの年間トップ100プレイリストのまとめ記事。

keepbeats.hatenablog.com

 

今年は昨年比でiTunesが結構盛り返していたので、Spotifyの方はどうなんだろう…。と思って自動生成される年間プレイリストを見返していました。

まずは結果発表といきましょう。

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2021年(私的)iTunes再生回数ランキング

その年自分がiTunesに追加した楽曲で最も再生された曲はなんだったのか…を毎年調べているこのランキング。では2021年分やっていきましょう。

 

参考までに過去記事を…。

keepbeats.hatenablog.com

keepbeats.hatenablog.com

keepbeats.hatenablog.com

keepbeats.hatenablog.com

 

こちらも今年5年目なんですよね…。記事の中身開くの面倒だと思うので、記録を取っている年のチャンピオンを列挙しますと以下のとおりです。

 

2013年1位 茅原実里境界の彼方

2014年1位 あおい(CV:井口裕香) ひなた(CV:阿澄佳奈)『毎日コハルビヨリ』

2015年1位 茅原実里会いたかった空

2016年1位 星野源『化物』

2017年1位 麻倉もも『トクベツいちばん』

2018年1位 松崎しげる『地平を駈ける獅子を見た』

2019年1位 東山奈央『群青インフィニティ』

2020年1位 工藤晴香『MY VOICE』

 

2021年チャンピオンはどの楽曲だったのか。

では、気持ちを込めて結果発表といきましょう。

 

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2021年 心に刺さった歌詞一覧

2022年ももう1割以上終わったというのに、そんなタイミングで2021年のまとめ記事を書き始めているというのもおかしな話です。

でもまあ来年以降の備忘録のためにやっていたほうがいいことでもあります、まとめ記事。

まずは毎年恒例の今年聴いて刺さった歌詞一覧をやっていきましょう。

以下、過去記事です。

 

2020年分:2020年 心に刺さった歌詞一覧 - 人生、東奔西走

2019年分:2019年 心に刺さった歌詞一覧 - 人生、東奔西走

2018年分:2018年 心に刺さった歌詞一覧 - 人生、東奔西走

2017年分:2017年 心に刺さった歌詞一覧 - 人生、東奔西走

 

こうしてみるともう5年もやってるんですな。ここまで続いたらそれはそれで立派な備忘録だなって気がしてきました。

追加日はiTunesへのインポート日、Spotifyのマイプレイリストへの追加日です。ではやっていきましょう。

 

 

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年間食費50万円チャレンジ 1月編

2022年の目標記事で、生活面の目標としてぶち上げた「年間の食費を50万以内に抑える」という目標。

一応挫折することなく最初の1ヶ月を過ごせたので、その結果をまとめておこうと思う。

再三断っておくと、このチャレンジは財政健全化の側面もありつつ、本質的には健康面強化のための施策であります。

 

 

本記事は

 

  • 目標達成のために取り組み始めたこと
  • 1月の食費発表とその内訳
  • 1月の体重推移
  • 2月の目標

 

という筋立てでお送りいたします。

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小6の頃の俺が、光の国の敵だった話

前々回の記事がアイマス、前回の記事がライオンズと来ましたら、本日はこちら。特撮案件の話をします。

 

アイマス、ライオンズ、特撮が現在の人生の3本柱であるからですね。この人生3本柱は2代目人生3本柱でございまして、先代の人生3本柱がありました。

小6〜大学の10年に渡って長らく私の人生を支え続けてきた先代の3本柱は「西口文也ゴジラ海援隊」だったのです。

西口文也が引退と共にライオンズに拡大解釈をしたこと、2014年に海援隊が実質的なラストアルバムのリリースを経てアイマスにバトンタッチしたこと、この辺りの変遷は理解してもらえるか思います。

が、ゴジラ→特撮?元々特撮というジャンルで括って良くない?と思われるかもしれません。しかし、そう言ってしまうと、自分の過去におけるある汚点を見なかったことにしてしまうのです。

今日はその頃の記憶を思い起こして、忘れ難きある汚点について備忘録していきましょう。

 

私がゴジラにハマるようになったのは2000年公開の『ゴジラ×メガギラス G消滅作戦』以降の話、小学2〜3年の頃です。

そこからは、毎年冬に公開されるゴジラシリーズを軸としながら、過去作を漁り漁り、ムック本やインターネットの情報サイトを探り探り…頭の中の結構な容量をゴジラで埋め尽くしていきました。

当時の自分がゴジラの何に惹かれていたのか。破壊とかぶっ壊すというワードで形容される荒々しさにこそだと思います。VSシリーズの火薬ドバドバ爆発シーンを好んで見ていました。

惹かれるうちに、それはインプットからアウトプットの欲求へと変わっていきます。私の小学校の卒業文集には「将来は映画監督になってゴジラを復活させる」と書いているのもその発露だったのでしょう。

しかしそんな遠い未来の話を待つのではなく、当時の自分のアウトプット欲を満たすのに、小6の夏に出会ったゴジラのファンサイトが一つ大きな役割を果たしました。今はもう無くなってしまったのですが、当時の自分は『G制作司令室』というファンサイトに入り浸っていました。

管理人の方が自作の二次創作小説をCG付きでアップロードしていて、それに誘き寄せられるようにゴジラファンが集まってくるサイトでした。

当時チャットには十数人くらいの常連さんがいて、自分もその中に混ぜてもらって楽しく話しさせてもらっていたものです。今にして思うと、当時よく集まっていた面々の中では小学生の自分は最年少でしたから、周りの人は小童を可愛がる感じだったかもしれませんが。

そのサイトでは投稿小説を募集していて、自分も恐れ知らずに2作も掲載してもらっていたのを思い出します。今でも内容は思い出せますが、サイトがなくなってしまったこととデータも残っていないことから復元は不可能ですけどね。

 

 

さて…話が長くなりました。タイトルの話をしましょう。

自分が当時ゴジラシリーズにどハマりをしていたのはここまで述べた通りですが、ゴジラシリーズは2004年に最終作『ゴジラ FINAL WARS』を持って完結します。

2022年にこの記事を読んでいるあなたは「おいおい、2013年のハリウッド復活からその後合計7本の映画、1本のテレビアニメが世に出るじゃん」とご存知のことでしょう。

しかし2004年当時小6の自分にとってはこの完結というのは衝撃的な話でした。

もちろんそれまでも『メカゴジラの逆襲』『ゴジラVSデストロイア』などシリーズの区切りとなる作品はありましたから、2004年のFWが最終作と言っても、それは「一旦の」最終作であって将来復活することを予見することは可能でした。

 

しかし、当時においては初代ゴジラから50年の節目であること、シリーズ累計観客動員1億人を最終作で達成できそうなこと、東宝特撮スタジオの大プールをゴジラのラストシーンを最後にとうとう取り壊されることなどなど、「本当に今度こそもう二度と見られないのかもしれない…」と思わせるには十分だったのです。

 

時代はもう特撮を、いや怪獣を求めていないのかもしれない。

小学6年生にもなって怪獣映画に夢中になっていることをクラスメートから揶揄されることもあったというのも、ゴジラが二度と復活しないんじゃ…という実感に拍車をかけました。

周囲が従来の怪獣映画のメインの対象年齢を過ぎつつあるということを、「世界はもう怪獣映画を求めていない…?」と錯覚させたのです。狭い世界で生きていたものです。

 

そんな悲痛な傷を、インターネットを通じて同じゴジラファンと慰めあっていたある日のこと。別のゴジラファンサイトでとある投稿小説を見つけました。それはゴジラが規格外の化け物となり続け、メフィラスだったかバルタンだったか率いる凶悪宇宙人軍団と宇宙警備隊との戦いに割って入り、挙げ句全宇宙を飲み込もうとするゴジラに対して、凶悪宇宙と宇宙警備隊もついぞ協力してことにあたるというものでした。

最終的にはウルトラマン(いわゆる初代マン)がなんらかのなにかしらを持って突撃し、ゴジラを倒し、宇宙に平和が取り戻されるというものでしたね、確か。

 

で、当時これを読んだ自分は「巨大特撮(ミニチュア特撮のことを当時の自分はこう言っていました)の世界にはウルトラマンシリーズもある。…ウルトラマンシリーズは続くのか…」と思ったんですね。

この頃のウルトラマンシリーズとはネクサスやマックスの頃。1年4クールとはいかなくとも、怪獣を見ようと思えば見ることができる環境はあったのです。

ただ、当時の自分は狭量でした。

 

ガメラも見る。ウルトラ怪獣も良い。しかし、自分の主軸はゴジラシリーズにあり、それが終わってしまう。しかしもう一つの巨大特撮シリーズであるウルトラマンは続いていくのか…と。

そこにあったのは嫉妬。もっというと妬みだったんでしょうね。

小6であればもう少し大人になっていてもいいはずなんですが…。円谷プロのリソースが東宝に割かれるはずもなく、どちらかしか生き残れないという運命でもなかったはずなのに。ウルトラマンゴジラの二次創作小説を読んでからというもの、自分は明確にウルトラマンを敵視していた時期が存在しています。

 

ウルトラマンジャック、郷さんであれば「勝手なことを言うな」と人間に絶望しかねない八つ当たり案件であります。タロウであれば「邪悪なる敵は徹底的に跡形もなく消滅させるべきではありませんか」と過激にダイナマイトしかねません。

しかし、その敵意はアウトプットという形で危うく発露しそうになっていたのです。

件の自分が入り浸っているファンサイトの投稿小説コーナーで「ゴジラウルトラマンを戦わせてしまえ、しかもウルトラマンをヒール側にして…」とそんな気持ちで二次創作しかけていました。

 

今日の自分から見ますと、「いやいやゴジラを活躍させたいがために、ヒーローをヒールにするのは解釈違い」「そもそも他の人のやってる二次創作作品の正邪を入れ替えてやるのは、シンプルにパクリ」と多大に突っ込みたくなる当時の自分の行動です。

結果的に、その二次創作作品は制作に入ることもなく、完成することもなく、よって日の目を見ることもなかったのですが、小6の頃の自分は明確に、光の国の敵対者であった時期が存在します。

 

 

…では、それがどのタイミングで変わったのか。

自分のTwitterなど古くから見ている人は「少なくともギンガの時点では普通にウルトラマン見てたよな」と気がつくかもしれません。

そうです、矮小なる地球人が、光の国に敵対するなんてことは気の迷いのある一時期だけで十分だったのです。

自分の中で風向きが変わったのは2006年の『ウルトラマンメビウス』放送時から。

これを全話通して見たのは大学に入ってからなのですが、当時もテレビでやっているのを時たま見ていました。そして、見ていく中でメビウスにおける地球防衛チーム「CREW GUYS」の女性隊員のコノミ隊員に「あ、この人かわいいな」となったんですね。風向きが変わったきっかけはこのタイミングでしたねえ…。写真引用していいのかわからないので、どんなタイプの方だったのかってのは各自調べてみてもらったらとおもうのですが、当時からメガネっ娘好きだったんか…ってのは、今この記事まとめていての気づきですね。

 

しっかしまあ…。自分で書いてて結構情けないエピソードだなこれ…。

勝手に妬んで、勝手に一目惚れして氷解って…。メビウスも呆れてものも言えんわって顔してますわ。

 

光の国の住人も「地球人ってやっぱしょうもないんじゃ…」と疑心暗鬼にかられているかもしれない。だが、それこそメビウス最終回のウルトラの父の言葉を思い出してほしい。

「闇があればこそ光もまた輝くのだ」と。

 

俺のような矮小な地球人も含めて、人類と寄り添ってくれているからこそウルトラ一族の偉大さ、寛大さもまた示されるというものです。

そういう意味で言うと俺のこのエピソードにもひとかけらの功はあるのかもしれない。

じゃあ、それを拠り所として光の国との講和条約を結んでくるとしますかね。

 

P.S.ウルトラギャラクシーファイト、楽しみにしています。

かくて再び戦いの幕は上がり

2022年1月31日。1月31日はプロ野球の大晦日とはよく言ったものです。

長かったようで短いシーズンオフも終わり、明日からいよいよ全球団一斉キャンプインです。再び燃えるようなあの日々が帰ってくる。

 

自分にとって2022年シーズンが持つ特別な意味とは、この一年は勝手の俺が夢に見た一年だということです。

愛媛にいた頃、「宝くじが当たったら仕事を辞めて、所沢に家を買って毎日メラドに行くのだ」とそんなことを思っていました。宝くじは当たらなかったけど、メラドに通える環境は手に入れました。その状態で初めてシーズンの開幕を迎えるのです。

 

振り返れば昨シーズン。8月に所沢に越してから、チームの状態は必ずしも良くなかった。42年ぶりの最下位がそれを物語っている。

我ながら不思議だったのはそんな状況で「こんなはずじゃない、こんなはずではないのだライオンズは」とおかしくならなかったことです。

 

何故か。最初は見に行けるところにいるだけでいいよ…という気持ちだったのかもしれません。自分の中の良くない熱の入り方を切り捨てることができたのかと思っていました。

しかし、シーズンイン直前になってみて燃えていない訳ではないんだと否が応でも実感してくる。行動や発言がどうこうではないんです。燃えてくるのがわかる。とうとうずっと夢見た所沢での一年が始まるのだと。

そう考えてみると、昨年の最下位でおかしくならなかった何も理屈をつけることができます。そこにあるのは「腹の据わった殺伐」

ジタバタしても仕方のないことです。勝てるから応援する、負け込んでいるから応援しない。そんな時期はもうとうに過ぎてしまった。

 

最近弟の新居探しを手伝う中で、所沢って結構遠いんだなと改めて思います。毎日の通勤の中でもたまにそう思う時もあります。所沢から通っていると話すと東京の女からは遠いですねぇと返されます。

しかし自分が住む場所を選ぶとき、多くの忠告に耳を貸さず迷いなく所沢を選び、そしてオフシーズンの通勤を3ヶ月経ても今なおその選択は間違ってなかったと思います。であるならばシーズンが始まった日にゃ…

 

 

もう一つ、2022年シーズンを所沢で迎えることができて良かったと思う理由。それは辻監督の一年続投が決まったシーズンであることもあるでしょう。

今も忘れぬ2017年炎獅子連勝が止まったあの日、試合後インタビューでの「負けたけど、若い選手が諦めず食らいついて楽しかった」と。あの日以来、辻監督に全幅の信頼を置いている。

今年からヘッドコーチに松井稼頭央前二軍監督が就いたことからも、禅譲の一年である覚悟はしています。ラストイヤーの覚悟昨年よりもしっかり固めているつもりです。

戦争やってる訳じゃないんだ、楽しく見ることがあってもいい。それを思い出させてくれた大恩ある辻監督の指揮するシーズンをフルでみることができる。やらにゃならんよ、やらにゃ。

 

 

儘ならぬことの多い昨今の情勢下でのプロ野球シーズンインですが、ライオンズの優勝を信じない理由は何一つない。優勝、日本一、そして胴上げ。

勝つしかないから勝つしかないんだ、共に熱く、共に強く。タガはとうに外れているのかもしれない。上等ですよ、所沢市民最後の一兵となるまで戦って戦って、秋には笑って美味い酒を浴びましょう。

やろう、ライオンズ。