人生、東奔西走

自分の人生の備忘録のつもりで作りました。

デレPとしての備忘録 シンデレラマスター10周年に寄せて 完結編

長々と書いてきたデレPとしての自分を振り返る編もこれにておしまい。最後に簡単に結びの記事を書いて完結編といたします。

 

時系列順に経歴を振り返っていって、それが前回2021年の総選挙までやってきていました。なので時間軸において語るべきことはおおよそ書き倒しました。

最後に書くのはなぜこの記事を上げようと思ったのかってところ。

 

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『母に捧げるバラード』の強すぎる歌詞

先日友人とキャンプに行った際、周りに迷惑にならない音量であれば音楽を鳴らしても良いキャンプ場だということがわかったので、いろいろ懐かしい曲ばかりを流していました。

 

その友人は高校の頃に一緒にバンドをやっていたので当時演奏していたBUMP OF CHICKENの曲を聴いていたのですが、「あの頃カラオケ行ったらこんな曲を歌っていた」という話題になり、そこから流したのが海援隊の『あんたが大将』『新しい人』『思えば遠くへ来たもんだ』などなど…。

高校の頃から変わってないな、いや元々は小学校の頃から変わってないという話になっちゃうけど…。

 

そんな海援隊の楽曲の中で、自分の中で「どういう気持ちで聞いたものか…」という楽曲があります。

基本的に私が海援隊の楽曲を聴くときというのは、「よっしゃ、頑張ろう」という張り切りをしていきたいとき、自分のいうところの「人生の応援歌」ジャンルとして聴くことが多いです。

 

「なんの花だろうこんな坂の途中、冬を選んで咲く花もある」

「僕は若くて間違うけれど何度も間違うけれど、だけど僕の人生は今始まったばかり」

こんな感じで、人によってはしゃらくせぇなと思われかねないような歌詞ばかりを好んで聴いているのです。

そんな海援隊の歴史を紐解く中で、語らずに避けて通れない楽曲が『母に捧げるバラード』。

今日はその楽曲を久しぶりに聴いて考えたことで記事を書こうと思います。

 

デビューしたての海援隊を全国区にしたこの楽曲。『贈る言葉』はこの曲の6年後にリリースなので結構時期に差があります。海援隊で最も有名な曲は『贈る言葉』で間違いないけども、海援隊というグループを知らしめたのは『母に捧げるバラード』でした。

SpotifyAmazonミュージックなどなど各種サブスクで聴くことのできるこの楽曲。聴いてもらうとわかるんですが、ほとんど全てを武田鉄矢の母、イクさんの言った言葉が占めています。

原曲のこの曲を聴くと、その台詞パートの最終盤で以下のように語ります。

 

働け働け働け鉄矢

働いて働いて働き抜いて休みたいとか遊びたいとか

そんなことお前いっぺんでも思うてみろ

そん時はそん時は死ね

それが人間ぞそれが男ぞ

 

 

この前久しぶりにこの歌詞聴いて「こんなに強いワード使ってたんだっけ…」と改めて驚きました。年末来、宝くじ当てたら不労生活だ!と意気込んでいたことも原因かもしれません。できるなら労働を排除したい、そういう降りてゆく生き方を目指している節はありますからね。

 

今回気になったのは。人生の意義、人間とは、男とは…みたいな話をしようというのではなく、「この曲のこの歌詞って今テレビで歌えるんだろうか…」と。

働き方改革ブラック企業なんてことが叫ばれて久しく、かくいう自分も「人生における労働の割合を減らしたい」という理由もあり転職をしたばかりの人間です。

例えば昨年の紅白でこの歌を歌っていたとしたら「いやいや働けなくなったら死ねってことかよ」と言葉尻を捉えて燃え上がっていた…かもしれません。そんな光景を割と容易に想像できるくらいには…自分の脳内というものにもずいぶんコンプライアンスが染み込んできたなあ…と思うのです。いやこれはコンプライアンスじゃなくてなんだろう。

 

ただまぁ、そんなふうにして燃え上がらないことに気を配る。そればかりだと面白くもない。けしからん、ばかりで人は生きていけない。面白いことしないといけないんだよ、とこの一年くらいは折に触れ思っています。

 

「思ってもないことは言わない」「言わなくていいことは言わない」の二つを心がけて生きてもう数年になります。

その点武田イクさんは「思ってもないことは言わない」人だろうと想像できるのですが、「言わなくてもいいことは言わない」人では決してなかったんじゃないかなと、武田鉄矢さんの語るエピソードの端々で思うのです。

でも決して「思ったことが考えなしに口から飛び出す」人でもなく、「言わないといけないことはちゃんと言う」ができる人だったんじゃないだろうか。

花の都に出て行く息子に対して、とにかく働け、さもなくば死ねと発破をかける。簡単ではない世界に飛び込む我が子に対して、その覚悟を問い、説くその言葉はイクさんにとっては言わねばならないことだったのかもしれない。

 

そう考えた時に我が身を顧みると、言わないといけなかろうが、それが誰かとぶつかる可能性がある時に飲み込んでしまう。そういう癖はあります。

でも言わないってことがかえって疑念や不信感を生んでしまうこともあるんじゃ…と最近はよくその可能性について考えてしまいます。

これからはもう少し、「言わなくてもいい」と判断するボーダーを下げて、ホイホイ口にしていくこともアリだと考えていきたい。実際このブログでここ最近上げた記事はそういう風に考えて書いてもいる。

2022年の俺が少しだけ過激になったとしても、まぁそう言う事情だと思って受け取ってください。

 

 

さて、最後に。

武田イクさんの「そん時は死ね」発言に一つ補足を入れておきましょう。

母に捧げるバラード』はその台詞パートがたまに変わることがあります。

ライブやテレビ出演時によく聞くパターンとしては「最近のおなごはクラゲのごたる乳バンドして男ばたぶらかせよる」「人を指差して笑うやつはつまらん。人を笑う手の形ば見てみろ、2本は相手を指差して笑いようが、3本は自分指差して笑いよる。そんなこともわからんとか」などがあります。

さて、そんな中で気色の違うアレンジがあります。これは自分も最近初めて聴いたのですが。

海援隊が一度目の解散をする1982年。その年の福岡公演でのライブ音源。

open.spotify.com

 

あなたにとってただ待つだけの

私にとってただ歩くだけの

そんな十年が終わります

 

そんな語りから台詞パートが始まる『母に捧げるバラード』。

そんな中語られるあるエピソード。

 

故郷を離れて5年目、旅に疲れてうつろな顔で母のところに戻った鉄矢さん。「東京での暮らしがうまくいかない。辛くて辛くて仕方がない」と嘆いたとき。

その時のイクさんは「その時は死ね」と言うでもなく。頼みもせぬのにゴンゴン熱燗をつけて、ただ酒を勧めることしかしなかったそうです。強い言葉が必要なときにはその言葉を使うが、そうでないときにはそうしない。

そのとき、その親子の間には語るべき言葉がなかったということなのかもしれません。「言うべきことがないときに余計なことを言わない」ということ、それもまた簡単なことではありません。

そんな話があったということを一つ補足しておきます。決して厳しい言葉だけの人ではなかったということでしょうか。

 

しかし、強烈に残る言葉ってのは往々にして強い言葉でありがちなんじゃないだろうか。自分の人生を振り返った時に忘れがたき言葉というのは文言だけを見たら結構過激な言葉であったりするものです。

 

母に捧げるバラード』は最後の一節で「僕に人生を教えてくれた」とあります。それほどの影響を与えうるにはやはり強い言葉でなければ…届かないのかもしれません。

 

 

2022年・今年の目標

そういえば、当ブログで言ってなかった。

皆様、あけましておめでとうございます。本年もまたよろしくおねがいします。

 

年末まとめ記事とか諸々途中のままにしているけど、その前に今年が始まってもう10日以上経ってしまった。2021年を振り返るのも良いけれどその前に2022年、今年に対してなにかしらの楔を打ち込んでおかないとあっという間に過ぎていってしまう。まあ、別に過ぎて帰らぬ日々でも良いのだけど。

 

でもまあ2022年、いくつかの事柄に対して目標を立てておきたいというモチベーションみたいなものもあるから、書き残しておこうと思います。実のところ、過去の年初ってしっかりとした目標記事みたいなものを立てている年があんまりないので。

 

  • ライオンズファンとしての目標
  • デレマスPとしての目標
  • 生活面での目標
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デレPとしての備忘録 シンデレラマスター10周年に寄せて 後半(2016年5月~現在)

アイドルマスターシンデレラガールズのプレイヤー、デレマスPとしての自分を振り返ろうのコーナー。その後半記事です。

(前半:デレPとしての備忘録 シンデレラマスター10周年に寄せて 前半

 

では後半やっていきましょう。

 

 

 

第5回シンデレラガール総選挙(2016年5月)

 

時に2016年5月。この年のタカボンPは燃えていた。

泰葉の木材を持って各地の山に登り始めるという奇行を行う動機は「泰葉のCMが聴きたい」という一念からであった。

スピリチュアルなパワーでその結実に近づこうとしたところで、結局の所直接的なきっかけを与えられるのはこの総選挙の枠組なのだ。

おそらく初めてそう言う熱い感情を持って臨んだ総選挙がこの第5回総選挙だった。

件の泰葉の木材を持って鳥取大山に登り、選挙期間中にはツイキャスを使ってラジオ番組の真似事もしたりした。結果としては悔しい51位に終わりましたが、第6回に向けてまたひとつ「やっていかなければならない」という気持ちを高めた総選挙とった。

 

では、その「やっていかなければならない」をどういう形で発露させたのか。実はこの年の総選挙結果発表~7月までの間、自分のモバゲーシンデレラガールズにおいてフロントメンバーから岡崎泰葉を一旦外して、その間、他に気になっていた子たちのN・Rあたりから育成し直すということをしています。

なぜ?と言われると「総選挙を勝とうとするためには、視野が狭くなってはダメだ。勝とうとする相手のことを知らなければ…」というロジック。…謎やなー、と今にして思います。

が、このエピソードを泰葉Pとしての自分史振り返りではなく、デレPとしての自分史振り返りで述べているのは、この試みによって自分にとってのシンデレラガールズがおおきく広がりを見せたから。

この頃のフロントメンバーのスクショがあるので見てみましょう。

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2016年5~7月にかけてのフロメン

ニューウェーブ、フリルドスクエアといったユニットごと推している面々や乙倉ちゃんや周子、志希などなど後にハマるタイミングのあるメンバー、そしてこの年の9月に泰葉とGBNSで同じユニットメンバーとなる松尾千鶴などなど…。

俺の記憶が正しければ、スクショこそ取れていないものの、長富蓮実や白菊ほたる、森久保乃々、西島櫂、喜多日菜子、などの面々もこのタイミングでフロントメンバーに入れて育成していた記憶があるのだが…。物証がないのであくまで記憶としてここに残しておこうと思う。

なんにせよ、第5回総選挙の圏外という結果を受けて、自分の中のシンデレラガールズを広げようとしたこの試み、これは後になってめちゃくちゃ活きてくることになる。

 

THE IDOLM@STER CINDERELLA GIRLS 4thLIVE TriCastle Story(2016年9月・10月)

 

第5回総選挙のあったのと同じ年、4thライブイベントが行われた。

LV、現地観戦ともにデレマスのライブイベントはこの4thが初参戦であった。神戸開催はLVを香川で、さいたまSSAは現地で観ることができた。これ以降、デレマスライブイベントへ参戦するようになったのだが、自分でも思い出深いのが神戸公演。

この日イオンシネマ綾川でLVを見たあと、高松市内のホテルに戻った自分は興奮冷めやらぬ中…、「技術だ!技術の進歩が不可能を可能にする!」とテンションを上げていたことを鮮明に覚えている。

自分が振り返っていたのは、その日キャストの人が来られていないアイドルや、まだ当時ボイス未実装だったアイドルたちも、3Dモデルという形でステージにあがることができたということです。

自分の記憶が正しければ、メアリーや亜里沙先生などがその日ステージにいたはず…。そして、それはスターライトステージのリリースが可能にしたことでだった。奇しくもスターライトステージの周年楽曲の「BEYOND THE STARLIGHT」が発表されたのもこの公演だった。「誰よりも光れ」というその歌詞に決意を新たに2017年に進む…。

 

 

シンデレラガールズにおける二人目、三人目の担当アイドルの自覚(2017年8月14日未明)

 

メロンパンムーブメントを武器に挑んだ第6回総選挙において悔しい51位に終わりながらも、2017年のタカボンデレPは夏に大旅行を計画し、8月には実行に移していた。

パ・リーグアイマスコラボをメットライフドームで観戦した後、泰葉の木材チャレンジをすすめるべく、北陸立山、白山の登山に挑戦した。木材チャレンジについては台風翌日の悪天候のため断念下山せざるを得なかったが、この旅のフィナーレはSSAにおける5thライブの千秋楽公演であり、その場には無事到着することができた。

無事千秋楽公演を見届けて、帰る途上。俺は一緒に見に行っていた友人らを順番に家の前に下ろしながら、最後に東海エリア住まいの友人を送り届けるべく東名自動車道を走っていた。

 

その車中での会話において、俺はシンデレラガールズにおける担当アイドルの二人目、三人目を迎えることを決定することになったのだった。

 

その時の感情については奇しくもその当時のブログ記事が饒舌に語ってくれていた。今その当時の感情を思い出すよりも、そのときに感情のままに書いたブログ記事のほうが正確だろうから引用する。

 

その後、少し冷静になったタイミングでこの光景について思い至ったのは「これCGアイドル全員に、演じてくれる相棒を見つけて、シンデレラマスターを発売って現実的に不可能なんじゃ…」と。不可能とは言わないまでも、それには結構な時間が必要だろうと、東京オリンピックまでなんて話じゃ甘いよ、と。
担当プロデュースの到着点をシンデレラマスターと位置づけてる自分のスタンスのせいもあるけど、それに気がついた時、「これは長丁場になるぞ」と。

アイマスに限らす、趣味のことについては一切の負の感情を持ち込まないでいたいと思ってて。
泰葉のシンデレラマスターは東京オリンピックの向こう側になりそうだということに気がついたということが、将来の負の感情の芽になる可能性を感じてしまった。
いいから、信じて待ってろ!と言う自分と、それでもだいぶ先だね…と落胆する自分が併存する可能性が発生してしまった。
暗い情念が芽生えてしまうかもしれないという、そういう可能性さえ存在させたくなかった状況に陥ってしまった。
趣味ってのはマイナスの気持ちが介在しないようにどこまでも楽しくなくちゃいけないという自分ルール。それを破ってしまう可能性が出てきたとき、1年前からの甘い誘惑が声を大きくしてきた。
担当を増やせばいいんじゃないかと。分子を増やせと。1/183ではなく3/183なら、なにかあったときに刺さる確率は3倍だと。

keepbeats.hatenablog.com

 

車内で相談に乗ってもらっていた友人Pの言葉も思い出深く残っている。

「デレマスアイドルたちから特定の3人を選ぶ組み合わせの確率について」の話だった。今計算し直してみると183から3人を選ぶ組み合わせは約100万分の1。そして、その組み合わせの巡り合わせに出会えたことに対して「いいなあ!そういう世界の広がりに出会えて!」というニュアンスのことを言ってもらったのを覚えている。彼の言葉は的を得ていた。

川島瑞樹北条加蓮両名の加入によって、担当3人体制に移行する。奇しくも川島さん、加蓮の二人はこの一年前にぶっ刺さっていた「BEYOND THE STARLIGHT」のオリメンでもあった。偶然…だと思う。

 

私的シンデレラプロジェクトを組むならの15人が確定(2017年9月2日未明~9月6日)

 

デレPとしての自分のターニングポイントは長距離移動中にばかりやってくるのだろうか。担当が3人に増えたその約2週間後、自分は大阪に向かうフェリーの途上にいた。友人との金沢旅行に向かうためだ。

その船中、寝付けずにいた自分はデレステを起動していた。そして、Cute、Passion版の「サミダレがーるず」(前半記事参照)をとうとう結成しようと。

ちなみに「サミダレがーるず」という今日に至るまで、私的『好きなCool属性アイドル5人並べただけユニット』のユニット名となっているものがあるが、それが誕生したのもこの2013年の5月のこと。

構成メンバーは岡崎泰葉、川島瑞樹北条加蓮神谷奈緒、そして鷺沢文香の5名。

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おそらく、自分の中で候補となるアイドルたちは目星がついていたのだろう。船が大阪に到着しようという午前5時前にはまず私的『好きなCute属性アイドル並べただけユニット』が誕生していた。

構成メンバーは緒方智絵里佐久間まゆ、長富蓮実、白菊ほたる、井村雪菜の5名。

 

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そして、遅れること数日、9月6日には私的『好きなPassion属性アイドル並べただけユニット』も完成。

こちらの構成メンバーは龍崎薫、喜多日菜子、衛藤美紗希、西島櫂、首藤葵の5名。

 

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昔、友人Pたちと遊んでいた中で「自分らがシンデレラプロジェクトをやるなら」というテーマでドラフト指名遊びをしていたことがあるのだが、その題目で今望むならこの15人を指名するというのが固まったのがこの2017年9月だった。

さて、この15人が固まってなにが良かったかというと…、これ以降しばらくの間デレステのスカウトチケットで誰をスカウトするかに悩まなくてよくなったことだった。

15人のうちSSRが実装され、かつ未所持のアイドルを優先してスカウトチケットで指名するという方針で勧誘をしていっていた。

 

ちなみに、15人が固まった当時は上記画像のように全員のSSRが手元にいたわけではないのだけど、2022年1月現在全員のSSRを手に入れるという夢は叶いました。

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THE IDOLM@STER CINDERELLA GIRLS 6thLIVE MERRY-GO-ROUNDOME!!!(2018年11月~12月)

 

この2018年11月12月のメラド、ナゴド公演は、ついこの間に2021年の愛知公演に現地参戦するまで、長らく自分にとっての最後のデレマス現地参戦であった。まあ、この空白期間に関しては2020年に始まる昨今の情勢が大きく影響しているという点もあるけど。

この公演はかなり印象深く記憶に残っている出来事が2つある。一つにはナゴド初日のほたるちゃんCMのサプライズ発表。自分はナゴドの客席で「まじかよ!」と驚愕の声を上げたあと、感極まっていて、周囲の初対面Pの皆さんに「よかったですねえよかったですねえ」と声をかけていただいたことを思い出す。…この時点でのタカボンPはまだほたるちゃんPを名乗っていないのだけど?しかしまあ、このリアクションを未来人の目線で卑怯にも分析すると、後に担当に迎えるのもさもありなんであった。

 

そして、もうひとつ。ナゴド最終日に発表された「新規アイドル追加!」の報。さて、じゃあ本邦初公開の当時の自分の心境を嘘偽りなく書いておこうか。当時の自分の感想としては「順番待ちの列がまた伸びる…」というものだった。そう、心の底から歓迎していたわけではなかった。

もちろんコンテンツとしての盛り上がりのため必要なカンフル剤というのもわかるし、しばらくなかっただけで過去にこういう追加がなかったタイミングというのもない。しかしまあ、当時の自分はこの2年前のライブ終了後の時点で「これは長丁場になるぞ…」という感覚を得ていて、その長丁場がさらに長くなることに対して…、そうですね少しマイナスに捉えていたわけだ。欲するならば勝ち取れ。わかってはいるつもりだったが…。

 

今回記事を書くにあたって、過去の自分のログ、スクショいろいろ遡っていく中で2017年11月に撮影していたある動画を見つけてしまった。

酔っているんだろうとは思うが、宵闇の中で自分はこんなことを言っていた。「俺の身に何かあったときは、みんな泰葉をよろしく頼む。…いや、俺以外のやつに頼むつもりはないからそこんとこよろしく。なあ泰葉、テッペン取ろうぜ。その日まで君の担当でい続けたい。それが本心なんだぜよろしく」と。

酔って口走るのがそこということは…まあ、当時の俺の良くない熱の入れ方がこの動画から手にとるようにわかる。勝ち取るしかないとわかっていても、誰か俺のようなしょうもない1ユーザーよりも、もっとインフルエンサー的な誰かがハマってくれないか。俺にできることなんて木材持って山登るだけだ、それも単なる自己満足以上のものにはならない、おれは無力だ。勝ち取れというが…勝ち取れというが…。とまぁ、こんなことを思っていたんだろうなとわかる。まあ、自分のことだからな。

 

同時期Twitterだったりには同じような…まあ、怨嗟の声のようなものが聞こえてきたことを記憶している。実際には2019年総選挙前後のほうが大きかっただろうか。

この時期俺が辛いと思ったのは、同じようにボイス実装を勝ち取るために走っていた他アイドルのPの人だったりで脱落していく人を目にしてしまったことだろうと思う。いつだったか、友人Pと話をしていてこのことについて「あなた方が諦るなよ…」と悔し涙がこみ上げてきたのを覚えている。俺なんかよりもよっぽど拡散する能力やクリエイティブな人が「力及ばす…」と去っていくのを見るとき、そこには写し鏡で木材片手にぽつねんとしている自分が写ってしまうのだ。ムーブメントを作ることも何もできない自分はそこにただいるだけの存在だ。俺が彼女のためになんの役に立っているのか。

 

今にして思えば、考えすぎたとこじらせ過ぎだと思うでしょう。でも、同時の自分はこういうことを考え悶々と悩んでいたのは紛れもない事実。

「言わなくてもいいことは言わない」というスタンスを持っていたから、順番待ちの列が伸びたと感じたことも今日まで言わないでいただけだ。ただ…、俺を悩ませていたのは列が伸びたことに対してだけであって、列に新たに加わった面々に対して思うところがなかったというのは申し添えておかないと誤解を生じさせそうなので付け足しておく。いや、むしろ…というのが、ここから先の話。

 

シンデレラガールズにおける4人目の担当を迎えるチャレンジ(2019年2月~2020年2月)

 

蒸気のように、もとい上記のように俺が「自分の無力さ」「順番待ち列の長さ」に悩み始めていた頃、全く奇妙なことにデレマスにおいてもう一つ新たな熱量が生まれていた。

このあたりは当時毎日更新していたブログに詳しいので、引用させてもらう。

 

2019年2月9日。平穏な一日で終わるはずだった一日が、色をつけて輝き始める。

ほたるちゃんは幸せをとどけるアイドルになりたいと言っていた。

少なくとも、君のおかげで幸せをもらったファンがここに1人間違いなくいるぞ。そして、きっと日本中に、世界中にこの報せを受けて幸せになったファンが、プロデューサーがいるのだ。

keepbeats.hatenablog.com

デレステのストーリーコミュと楽曲実装に心動かされ

 

「フルマラソン完走したら、白菊ほたるを担当に迎える」

これが今年の2月10日以降、ひっそりと挑戦していた自分チャレンジ。

すげえ色んな人の困惑顔が見える。え?どういうこと?と。因と果の関連性が見えないって思われてそう。

自分って結構マイルールでの自分縛りが強いほうだと思うんすよね。…ちょっと狂はもう時間が時間なんでこのあたりの因果関係をくわしく紐解いていくのも後日にまわしたいんだけど…。あの日「お前そんな想いをしてまで頑張ってたのか…」って知ってから、担当宣言は脳裏をよぎったんだけど、「でも、俺は君ほど頑張ってない…」というのは少し引っかかって。多分、そういう感じのこと。

お前さんのおかげで、人は変われるよ。現に俺は変われた、という証明をもって宣言しにいこうとしている…まぁ、こんな感じのことだ。

keepbeats.hatenablog.com

 

「フルマラソンを完走したら白菊ほたる担当を名乗る」という謎の挑戦をスタートし、

 

仁淀大橋を渡って、もう走るのではなく歩いて歩いている時、なんとかかんとかやっていくときに脳裏である言葉がリフレインし始めた。「今、努力できる場所にいる幸せ」って言葉。そして、真夏のメットライフドームでのヘッスラの映像が頭によぎっていった。前者はほたるちゃん、後者は浅村だった。なぜ走るかの理由はわからんが、この一年、なぜ走ってきたのかその燃料を思い出して走っていく。

(中略)

スタートした時にはここまで来られるとも思っていなかったが…。最後にトラック一周をしたらゴールテープになる。最後の方の集団である。制限時間が7時間の龍馬マラソンだから完走できた。

それでも42.195キロ。まさか走れるとは思っていなかった。ここまで来られるとは…。

 

15時54分47秒。

スタートから6時間54分47秒。

 

制限時間7時間を目一杯使って高知を走りまくった。

keepbeats.hatenablog.com

 

なんとまあ、本当にフルマラソンを完走し無事シンデレラガールズ4人目の担当として白菊ほたるを迎えるに至った。

このチャレンジが自分のデレマスPとしての歴史の中で特筆すべきところなのは「担当を名乗るに対して何かを課して、それをクリアすることを達成した」点だと思う。

「無力な自分P」というものに対してのなにか答えを探していたんじゃないかなと、今にして分析することも可能だろう。相変わらずその方向性はとっちらかっているのだけど。

 

 

第10回シンデレラガール総選挙(2021年4月~5月)

第9回からボイス総選挙とシンデレラガール総選挙は分離しており、ボイス総選挙で泰葉に総ツッパという日々を続けていたのだが…、というと誤りがある。

自分がボイス総選挙で泰葉に突っ込んでいたのが2020年のみで2021年において、そう言い切ることができないのだから…。

回りくどい逃げをせずに単刀直入に懺悔しましょう。第10回総選挙において、実はCG総選挙もボイス総選挙も両方とも、自分は最終投票期限までに票を投じることができませんでした。

これは総選挙というイベントに参加していなかったわけではないです。投票券自体はそれぞれ300余り持っていました。つまり、投票忘れにより全票文字通りの死票となってしまったわけです。

 

おそらく自分のデレP史上最大の失態であるこの出来事をわざわざここに書き残しておくのは、ただ一点将来同じことを繰り返さないためでして…来年は同じことしないようにホント…気をつけます。

 

 

 

 

めちゃくちゃ長くなってしまったので、後半はここまでで区切って最後はまとめとして別記事にしよう。

後半までだとなんというか…後ろめたいところで記事が切れているので、完結編こそは早くまとめて出せるようにしたい。少し後ろ暗い心情も吐露したりしましたけど、そこをわざわざ書いてるってのは、そういう執着を乗り越えたからであって、なぜ乗り越えられたのか?ってのは…まあ、前後半で答え出ているところもあるんですが、まあ、もうちょっとだけ続けさせてもらいます。

では後日また…

デレPとしての備忘録 シンデレラマスター10周年に寄せて 前半(2013年1月~2015年12月)

まずは何をさておき、アイドルマスターシンデレラガールズ10周年おめでとうございます。

10年間のその全ての歩みを共に歩んできたわけではないけれど、振り返ってみるともう片手では余るくらいの年数をシンデレラガールズに楽しませてもらっていた。ここらで一つ、自分のデレPとしての半生を振り返ってみたくこんな記事を書いている。

 

コンテンツとしての歴史を振り返るのではなく、自分という1ファン、1ユーザー、1プロデューサーの歩みを振り返るという…ジャンルとしては自分史以上のものにはならんだろうけど、一つのサンプルとして記事を書いてみる。

 

  • モバマスとの出会い(2013年1月7日)
  • 後の担当との出会い(2013年3月~5月)
  • 初の現地イベへ(2014年2月)
  • シンデレラにおける一人目の担当アイドルを自覚(2014年12月31日)
  • アニメシンデレラガールズ放送とアイマス10thライブ(2015年1月~9月)
  • 「泰葉の木材」との出会い(2015年12月)

 

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153チャレンジ シーズンAge28 part6

しまった…先週忘れていた…。

ので2週分の体重経過を発表します。ドン

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これが人間、上がりすぎず下がりもしないちょうどいいくらいってとこなんだ。…んなわきゃない。

どうしたことだ、労働を再び始めているのに減らんじゃないか。まあ、心当たりはありすぎるくらいで。夕食を食べすぎているんですよね。

仕事終わり、最寄り駅の弁当屋さんでお弁当とおかずをいくらかかって帰る、これがよくない。良くないとはいえ…自制が効かぬのだからメンタルではなくロジックで抑えなければならない。

というわけで、今週からしばらく、平日の夕飯と土日の食事と日々の間食を写真で撮ってレコーディングしていこうと思います。

昔あったじゃないですか、食べてるものを記録することで自制できるという方法。そして、これ俺の場合自分で写真撮るだけでは仕方ないので、毎週月曜のここに貼りつけておくことにしよう。

まず一週間…やってみるか。

 

そうだ投票に行こう(800キロ先の投票箱に行く人の場合)

私は今、成田空港から日暮里へ向かう京成スカイライナーの車内にいる。

土曜日の12時、普段であれば週中の労働の疲れをとり惰眠から起き上がる時間帯なのであるが…、私はまだ部屋のベッドに辿り着いていない。残業祭りでもデスマーチでもなく、単純に自分の不注意に起因するものである。なのでブログに何が起きたのか、その顛末と旅程を書き残し将来への備忘録にするとともに、要らぬ労力を要した20時間分の自分を供養しようと思う。

 

 

ことの始まりは火曜日…だったと思う。

仕事帰りに友人のラジオ配信を聴いていて、今度の衆院選最高裁国民審査の期日前投票に行ってきたという話を聞いた。そうか今週末だったな、忘れないようにしよう…なんてことを考えていたが、いつもなら届いているはずの投票所への入場券がまだ届いていないことに気がつく。

「転居したばかりだから、その辺りの発送にも影響あるのかな」などと呑気に構えていたが、いやしかし1週間前にもなって届かないのは流石におかしい。そう思って調べたらば、総務省がこんなことを言っていた

 

「住民票を移して3ヶ月経過していない場合は、新しい住所地で投票できません」

 

私はこの8月に転居したばかりでありこれに当てはまっていたというわけだ。所沢からは待てども待てども俺に投票所入場券を送ってくるはずがない。

そしてこの条件自体は確かに言われてみたら「あー…そんな話聞いたことある…」って思い出すのだ。そしてこの条項自体には納得もしている。そうでなければ選挙のたびに各政党の支持者があっちに転居こっちに転居…ってことにもなりかねないだろうし。

それにほとんどの人はこの3ヶ月ルールにあてはまったとしてもそれによって選挙権がなくなるわけではない。短期間で転居を繰り返してなかったり、転出したけど転入しないまま放置しているとかでもない限り、新住所で投票できない人は旧住所の選挙区で投票ができる。

…あー、数日前に松山市から届いていたのはそれだったのか。よくよくみると不在者投票の案内であった。松山の選管にこの葉書を返送したら、投票券セットを送りますよってことらしい。そのリミットは投票日から数えて5日前の17時。そう、まさに火曜日にこれに気がついた時点でアウトだったわけだ。

 

 

この時点で俺がとりうる選択肢は二つ。

一つには、打つ手なし、今回は仕方ない。次引越しすることがあればその時は気をつけようと投票見送ること。

二つ目は期日前にしろ投票日にしろ松山の指定の場所に行って投票するという手段。

 

冒頭、京成スカイライナーの車中でこの記事を書いていると申し上げたので後者を取ったということはもうバレているだろう。

では何故、後者を取ったのか。

 

なにも「この一票は尊い、自分の権利を放棄しては次のその時まで何も言えなくなる」とか「普通選挙権獲得までの先人たちの不断の努力を想えば、この一票を無駄にすることなのはできない」とかそういう崇高な理念があったわけでは断じてないことを先に言っておきます。

そういうロジックは俺を動かすことはない。ないはずなんだが…

 

結局何故後者を取ったのか、いまいちわかっていないまま行って帰ってきた。おそらく理由を述べるとするなら「自分の失策によっての投票放棄は自分の納得を得るところではない」というのが言葉にしてみたところじゃないかな…と思うんですよね。国政選挙ではないあることについて、そう遠くない過去に自分の失策によって投票できなかったという経験を今年していることも少なからぬ影響はあったのかもしれない。

俺はこの「自分の納得を得る」という行動原理を「僕がそうすべきと思ったからだ」と同じニュアンスとして捉えてこれまで自分の納得ってワードを結構なパワーワードとして使ってきた。しかし今回みたいに懲罰的に使うこともあるんだな…。それは本当に納得という言葉で形容されるべきものなのだろうか。

前置きが長くなりました、なんにせよこういう端末と理由で、私は不在者投票を行いに松山に向かうこととなったのです。理由が曖昧?人生そんなもんよ。

 

 

では、向かうと腹を決めてからの話。まずはその方法論を考えねばなりません。

というわけで往路について。

現在の仕事は定時19時なので、移動を開始するのはそこから。しかし幸い品川区の職場なので、仕事が終わってからそのまま出発してしまえば、新幹線なり羽田空港なりバスタ新宿なりに向かうのはそう難しいことではない。

松山空港行きの羽田発の便には保安検査場を超える時間を考えると間に合いそうにない。夜行バスも同様に19時台浜松町だったりバスタ新宿というのは余裕がなさすぎる。この辺りは東京から松山まで直接向かう方法だった。鉄道移動で直接行こうとすると、岡山から先の在来線特急がネックになり18時台東京駅発でないとその日のうちには間に合わないし、間に合ったとしても深夜に到着してもホテルで一泊する費用が余分にかかる。これも除外。

最後に一応車移動も考えたが、仕事終わりに徹夜で車をかっ飛ばして松山に行くのは流石に体力的に自信がなかったので除外。

こうして往路についてなんらかの交通手段で一発で向かうことは不可能と察し、次にこれらの組み合わせで向かう方法を考えた。

組み合わせで有効なのは新幹線で行けるだけ西に向かい、そこから先をフェリーなり夜行バスに頼るというもの。

候補となる新幹線終着地は3つ。

一つは広島。広島から松山まではフェリーの直行便が出ている。しかしフェリーの直行便は夜間便がなかったためこれも除外。

次に新神戸新神戸から三宮まで乗り継げばそこからは高松行きのフェリーが出ている。過去にこういう鉄道の止まっている時間帯に深夜フェリーで距離を稼ぐといつ方法は使ったこともある。が、高松港から高松駅までの距離があることと、結局高松始発で松山まで特急を使う面倒さと時間の問題もあり、これも除外。

最後に新大阪。大阪エリアから愛媛に向かうには夜行バスかフェリーがあるが、大阪南港〜東予港のフェリーは南港発に間に合わないため除外。

最後に残ったのは新大阪からの夜行バスだがこれは22:50に新大阪駅のバスターミナル発。品川を19:59に出発する新幹線で新大阪着が22:21着。おお、ちょうど良いではないか。このようにして往路の移動手段が決まった。

 

復路については時間の制約がないので正直なんでも良かったが、せっかくの土日をできるだけ潰したくないという気持ちから空路を利用することにする。

ちょうど成田空港までの便が10時過ぎに松山空港を出発するというのでこれを確保する。期日前投票の投票場は8時半に開くので投票後速攻で向かえば間に合うだろう。LCCなので費用面からもありがたい。

 

さて、こうして行き帰りの交通手段が決まった。あとは実行を待つのみ。

ここから先は金曜夜〜土曜昼までの東京〜松山弾丸ツアーの実践レポートです。

 

 

金曜夜、19時半に職場を出る。おいおい早速遅れが生じてないか?19時定時を元に予定組んでただろう?

でも大丈夫。品川駅19:59の新幹線に乗れば良い。時間的マージンを取る、旅の基本のキの字ですよ。

さて品川駅までどうやって行こう。そこは考えてなかった…どうせ鉄道ですがだろうと見込んでいたが。愛用の乗り換えアプリではバスの案内しか出てこない。あれ?そのバス乗り場どこですか?刻一刻と進む時間に俺は…タクシーに飛び乗った。

余裕を持っていて良かった、余裕がなければもっとパニクって品川シーサイド辺りから歩いて行くもんしていたかもしれない。

なんにせよ19時50分前には品川駅につき、新幹線チケットを購入する。実はこれ前の日に買って帰る予定だったのだけど俺がすっかり忘れていたので慌ててここで買うことになった。が、時間にマージンを取っていたので大丈夫。優雅に深川飯の駅弁とレモンサワーなどを買い込んでホームで待つ。待つ際に新幹線のやってくるホームと逆側で待つなど微笑ましいトラブルなどはあったものの、無事新幹線に乗り込むことができた。

正直新幹線に乗ってさえしまえば、あとは大きなトラブルがない限り放っておいても松山に着く。気楽になった俺は深川飯を平らげて檸檬堂を飲みながら、流れていく車窓の風景を見ていた。

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松山〜岡山〜東京と在来線特急と新幹線で移動する時は、在来線特急区間が足を引っ張ってしまい、トータルでの移動の楽さを感じることがあまりなかったが、東京〜新大阪間のあっという間に着くことよ。2時間半で大阪に行けるって冷静に考えると凄まじい利便性だ。ありがたい。

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無事新大阪駅に到着したので、バスターミナルへ降りる。バスの乗車票には隣接ビルの1Fと書いているが写真の一つくらいはつけておいてくれても良かった。

それらしきバスターミナルで待っているが「本当にここであってんのかな…」と不安は募る。定刻の少し前、幕張行きの深夜バスが到着し、待っていた人のほとんどを乗せて出発してしまった。

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あぁ、本当にここであっているのか?夜行バス乗りミスにも前科がある。ここでバスを逃すと俺は大阪から脱出することができずに土日両日を潰す羽目になってしまう…。

という心配を吹き飛ばすかのように見慣れたオレンジ色の車体がバスターミナルに姿を表した。阪急、伊予鉄共同運行なのでバスの車体はそのどちらかのものになるそうだが、これほど愛媛行きをわかりやすく示すバスもない。目に伊予鉄 橙オレンジ 夜行バス

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出発直前に松山行きと松江行きを間違える乗客が発生するなどちょっとしたトラブルはあったもののほぼ定刻通りにバスは出発。座席は列独立シートの最前列センターであった。

最前センター、ライブやイベントであれば神席であるが夜行バスに関してはその限りではない。左右の席であればカーテンで簡易個室ができるがセンター席はそうではない。上の棚が使用しにくいのも同様だ。

また最前であるので人の乗り降りの度に間違いなく脇を人が通る。実際4時の休憩のときは通る人がぶつかって起こされてしまった。まあ、夜行バスは座席選べないしこれはやむなしだろう。むしろこの座席の場所特有の問題以外は到着時間、費用面において夜行バスは未だに有能な移動手段だ。

ただ、寝ているときもマスクの着用必須というのは少し眠りにくい面はあった。昨今の情勢に対して改めて恨めしい気持ちになる。

なんにせよ、久しぶりの夜行バスに寝付きは悪かったものの、ノイキャン機能付きのイヤフォンで延々ASMRを聞くことで要所要所で眠りながら四国上陸、松山に向かう。

 

午前5時すぎ、松山IC以降の各停留所に停まり乗客を降ろし始める。自分は5時半に松山の歓楽街入り口にて降車をする。

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スーツのジャケットはもう暑くてリュックの中にしまってしまっていたが、肌寒いくらいの夜明け前の空気が気持ち良い。「夜明け前の薄暗い道を誰かがもう走っている」とは海援隊のスタートラインの歌詞であるが、まさにそういう心持ちであった。

期日前投票は8時半にスタートなので3時間ほど待つ必要がある。とりあえずこの時間でもやっているお店ということで松屋に向かい朝食を食べる。

 

それでも2時間は余るので少し歩いた先にある、自分が松山に住んでいたときによく通っていたスーパー銭湯に向かう。久しぶりにいったスーパー銭湯は入り口がレインボーの提灯で飾られていたが、中は2ヶ月前と何ら変わるところがなく夜行バスの疲労をとっていた。低温炭酸泉にぬわっと浸かりながらボーッとしていると、「俺は今本当に松山にいるのか」という変な感覚に陥っていた。この時点で仕事を終えてから10時間ほどだからだろうか。同時に「何故こんなことを…」という気持ちにもなっていた。

時間、体力、費用と釣り合いの取れている行動ではない。ただ、その釣り合いと比べても自分の納得というものは捨てることができなかったが…。

結局これから先の人生もこういう感じで自分の失策に対して、妙なこだわりをもつ自分の納得のためにこういう意味のないことをしていくのかもしれない。そんなことを考えていると7時半。風呂から出て、期日前投票所の近くに向かう。

 

期日前投票が8時半から、松山空港発の飛行機は10時過ぎの離陸。決して時刻に余裕があるわけではない。

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8時半の少し前に投票所に行くと、たしかあれは期日前投票をするという宣誓書を記入。その後8時半になると投票所が開き受付が始まった。自分の手前には二人ほどが並んでいた。…ああ、これもしかしてもう少し早く来ていれば投票箱の中身が空であることの確認ができていたのか?期日前投票でもあれあるんだろうか。しまったなー、なんてことを考えいてたが受付の段で手間取ってしまった。

期日前投票の宣誓書に記入する住所は現住所ではなく前住所なのだ。喜び勇んで埼玉の住所を記入したが、投票所受付の人はその住所を確認するすべがない。もう一度宣誓書をもらって、前住所を記入すると今度は前住所を間違えていた。覚えなくて良い記憶はとっとと捨てるように体はできているらしい。引っ越す前はあれだけスイスイ書いていた住所を間違えるとは…。もう一度記入してようやく投票用紙をもらう。

ユポ紙の感触を味わう間もなく、選挙区、比例代表最高裁国民審査と済ませ投票所を出る。改めて自分が投票した諸々について「ぜったいに当選してほしい」といったような強い気持ちをもっていたわけではない。消去法的選択と言われても仕方ないのだが、まあそれは自分だけの話じゃないんじゃないかなと思う。なんにせよ、これにてこの長距離移動の目標は完遂。投票所を出たのは8時37分のことだった。

 

さすがに疲労の色が濃い。少し歩いて松山市駅前からタクシーを捕まえ、空港まで直行する。バスを待つ手もあったがもう疲れてしまった。タクシーの車内でも半ば眠っていただろう。

空港につくと保安検査場の締切まで少し余裕があったので、空港のマドンナ亭といううどん屋で食事をとる。このうどん屋がめちゃくちゃすきなのだがその理由はおそらく高校の食堂のうどんに味が似ているから。安っぽい味ってわけではなく安心する味なのだ。そしてそこらの高校の食堂よりはもちろん美味しい。ここでかき揚げうどんを食べた時、あー、愛媛に帰ってきたんだなというのを少し実感した。こんなに早く帰ってくるつもりはなかったがまあ…、帰省というのはこういう感傷に浸るのかね。わからないけど。

 

うどんをいただいて保安検査場を越してからも、飛行機をまつゲートを間違えて「やたら人が少ないなあ」と感じて搭乗開始10分前に気がつくなどちょっとしたミスはあったものの、無事搭乗。

天気がよく、道中石鎚山、富士山が両方見えるなどしたけども、基本的には夜行バスと同じくノイキャンのイヤフォンをつけて怪談を聞きながら寝ていた。

房総半島東側に回り込んで降下する頃に目が覚めた。

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昨今の情勢故に飛行機は久しぶりに乗ったけど、特に大学時代はこの成田航路をよく使っていたなあ。羽田-松山航路は便も多くてよかったけどLCCの安さには勝てなかった。かつて見慣れた田園風景を降りていくと程なく成田空港が見えた。これに着陸をすると今回の移動の大半はおしまい。あとは関東圏の鉄道網に頼って帰るだけ。

成田空港に到着してからは、京成線の乗り場まで誇張なく1キロ弱ほど歩くのだけど、長距離移動ハイになっていたのかゴイゴイに歩いていって、乗り換え待ちなくスカイライナーに乗車。そして…

 

 

 

スカイライナーの車内で書いていると冒頭で述べましたけど、その車内で書けたのは夜行バスの下りまで。そこから先は日曜日の俺が引き継いでいまここまで来た。

ま、その後は成田を出発してから1時間半ほどで最寄りの駅まで帰ってきました。恐るべしは首都圏鉄道網。

 

そして、なんでこんな無茶な移動をしたのか、昨日の自分は理由がわからないと言っていたけど、この記事を書いていて思ったことがある。

単純に長距離移動をしたかったから…なのではないかと。今回、選挙の不在者投票期日前投票という俺の長距離移動に大義名分を与える事由を目の前にして、それを逃すということ…そのことにこそ自分は納得しなかったのではないか。

長距離移動は何が楽しいか、それはまずは方法を組み立てるところ。普通にやったときにできない時間と距離を、いろんな手段を組み合わせ方法論を構築する。そこには旅程を組み立てるのと似たような楽しさがある。

そして、それを実践すること。今回、この移動手段を組み立てるときに過去に使った数多の長距離移動手段が手札にあった。それはそれがあるということを知っているだけじゃなく、実際に移動したからこそ経験に基づく取捨選択をすることができた。今回も考えた後にこれを実践することで、この経験はいつかの自分に返ってくる。

ああ、そう考えれば考えるほど、長距離移動は未来の自分への投資なのかもしれない。いつかこの方法を使う日が来るのかもしれない、というときのための保険か。

 

以上、今回自分が長距離移動をする羽目になった顛末、その道中。そして最後にブログ記事を書きながら気がついた、今回の弾丸ライナー東京松山往復長距離移動の旅でした。

いいっすか、皆さんは転居してほどなく選挙があったとき、このようなミスをしないように気をつけてくださいね。前住所の選管からハガキが届いたら速攻返送。これが大事。俺も次は気をつけよう…。

以上、800キロ先の投票所に投票に行く羽目になった一有権者の笑い話でした。笑えよ。