人生、東奔西走

自分の人生の備忘録のつもりで作りました。

君はイチローを見たか

シアトル・マリナーズイチロー選手が第一線を退くという意向を明らかにしたという第一報から3時間と少し。

さきほど、日本でのマリナーズ-アスレチックス開幕戦が終了し、ほどなくマリナーズからイチロー選手の引退が発表された。

 

現在、イチローの引退会見を日本中が待っている時間帯である。

イチローという野球選手、ベースボールプレイヤーがいかに偉大な存在であったかは、これから多くの野球人、報道各社から語られるだろうから、あえてここで自分から述べることはしない。

 

備忘録として残しておくのは、自分の野球ファンとしての人生の中でイチローがどういう存在であったかということだ。

 

記憶をさかのぼって最初にイチローが登場するのは小学1年生の頃、あれは確か兄弟揃ってグローブを買ってもらった日のこと。自分が青、弟が赤のグローブだった。スポーツ店の店主が、おまけだよと言って渡してくれたのが、イチローのポストカードだった。表面がギザギザしていて、見る角度によってポーズが変わるというアレだ。

団地に住んでいた頃、子供部屋のパソコンデスクの前の柱にそのポストカードがはられていたことを思い出す。

 

その後、自分は小学3年生のときに少年野球チームに入って外野手を始める。

程なくしてグローブを買い替えたときは、松井秀喜モデルに買い換えた。好きな外野手も垣内哲也とか和田一浩とかそういうタイプ右の大砲タイプになっていた。

それでも、2001年にメジャーリーグに挑戦して、ヒットを積み重ねるイチローの凄さは当時の野球少年共通の思いだった。

夏の熱闘甲子園が始まる前、報道ステーションニュースステーション?で今日のイチローのヒットが流れる。感慨や感動ではなく「ああ、イチローはヒットを打つんだ」という認識が広がる。

04年のシーズン安打記録、07年のWBC…偉業の数々が積み重なるに連れて、この実感が固まっていく。

 

自分の中で次にイチローの大きな思い出は第2回WBC

当時高校1年~2年になろうというタイミング。課外授業の最中にワンセグを机の下に忍ばせて、「青木が打った!」「杉内抑えた!」みたいな話を小声でしていた。古文の先生もそれを見逃してくれていた。休み時間になったら教壇にワンセグを置いて、男子で集まって日本代表戦を観戦したりもした。

チャップマンとぶつかったキューバ戦では朝めっちゃはやく起きて試合を見てから学校に行って感動を共有してたりした。

その第2回のWBCの決勝。午前の課外授業を終えて半ドン。全力で自転車こいで家に戻って、高校入団前の弟と母と三人で決勝の韓国戦を見ていた。

追いつかれて、延長線にもつれこみあの10回表。林昌勇からセンター前ヒットを打ったのがイチローだった。自分にとって一番鮮明に記憶に残っているイチローの打席はあの瞬間だなあ。

イチローはヒットを打つ、打って欲しいときにヒットを打つという存在。

ライオンズファンとしては、イチローとともに戦ったのはあの2回のWBCだけだけど、イチローとはそういう男だという認識した。

 

その後、シーズン200本安打の連続記録、MLBオールスター史上初のランニングホームラン、メジャー3000本安打、日米通算安打記録…。きっとあしたからのスポーツニュース、新聞がいくらでも書いてくれるだろう。日本中のメディアだけではなくアメリカの各社も早速報じ始めている。マリナーズだけでなく、アスレチックスやマリナーズもコメントを出してくれている。やっぱりとんでもないプレイヤーだ。

 

年長世代のおっちゃんたちが酒に酔うと長嶋茂雄王貞治の話に花を咲かせる光景って見たことがあるだろうか。まあ、この二人に限らないんだけど、例えばクロマティとか原辰徳とかでもいい。酒の席なんかでは結構見ることがあって。

俺達の世代にとってはイチローという存在がそうなるんだろうと思う。十数年後、平成の次の時代生まれのプロ野球選手が輩出され始めたころ。「イチローのあのヒットがさあ…」って感じで平成生まれのおっちゃんたちは酒を酌み交わすのだ。

俺たちがそうだぞ、イチローという共通の偉大なプレイヤーに思いを馳せることができる世代の野球ファンになるのだ。

 

俺は基本的にはライオンズファンである。例えば「がんばろうKOBE」の合言葉とともに進んだ神戸市民ではない、01年の伝説的強さに熱狂したマリナーズファンでもない、イチローにあこがれて野球を始めたプロ野球選手でもない。でも、平成に生まれて、この時代の普通の野球ファンなら大半が当然に持っているような思い入れの話。

きっとこの時代の野球ファンはみんなイチローに多かれ少なかれ、このレベルの思い入れ・思い出を持っているだろうと思う。東京ドームでのあのスタオベがその証左かなあ、と。

 

団地の柱に貼ってあったポストカードも、高校の時に一代前のテレビで見たイチローも、今日の晩日テレの中継で見たイチローも同じルーティンのポーズを取っていた。

その間、野球少年がただの会社員になり、ガラケースマホになり、住まいも変わったりなんやかんやしていたけど、イチローは変わらずあのルーティンでヒットを積み重ねていたわけだ。

イチローはやっぱりヒットを打つ存在なんだな、俺の中では。

 

今日のイチロー引退に際しての各種コメントやツイートを見ていて、感じ入ったものの一つに。

イチローがとうとうヒットを打てなくなったのではなく、あのイチローがヒットを打てなくなるまで野球を続けてきた」というものがある。

日本でのこの6打席。ついぞヒットは見られなかった。今日の試合途中でイチローの引退を匂わせるリリースがあったから、地上波中継で見られる最後の3打席目。「頼む、最後にヒットを…」という気持ちで見守っていた。直球を続けられた後の変化球に見逃しの三振。

ダグアウトに引き上げるイチローを見ていて、あのイチローにヒットが出ない日がくるのか…という思いが去来した。そして、公式に引退が発表された。

 

魔法使い、エリア51などの異名を持つ偉大なプレイヤーだけど、『「イチロー」去る。』が一番しっくり来る。「イチロー」は「イチロー」である。パワプロでも固有能力名としてイチローがあったのだ。

我々は「イチロー」を見た。これはこの時代に生きた幸運だった。

 

 

最後に。

イチロー選手、本当にお疲れ様でした。あなたのおかげで俺は野球っていいなと思う多くの瞬間を得ることができました。ありがとうございました。

イチロー」第二幕、楽しみにしています。