人生、東奔西走

自分の人生の備忘録のつもりで作りました。

中川かのんについて

現在2月11日の21時半。
愛媛に帰ってきて満ち足りた気持ちで過ごしていた一週間でした。

 

今回、本ブログに「○○について」というカテゴリーを追加しました。
折に触れて、そういうタイトルで、入れ込んでいる人についての思いを語る記事をアップすることがあるな…と思って。
一応、過去分についてもカテゴリを付与してきたので、参考までに。言うなれば、俺の人生に大きく影響を与えた人たちについてということになるのだろう。
過去、このカテゴリにあてはまった人は、西口文也武田鉄矢東山奈央川島瑞樹北条加蓮大石達也、源田壮亮、野上亮磨、岡崎泰葉、西口文也(2回目)、白菊ほたるの面々。(敬称略)
多大な影響を与えた人らですね…。確かに。

さて、そんな新カテゴリーで今日書き残して置こうと思うのは、「神のみぞ知るセカイ」登場キャラクター、中川かのんについて。

 

 

かのんちゃんについては「あれ?加入者達じゃないんじゃ?」と思われる方もおられるでしょう。
そう、神のみぞ知るセカイから入閣しているのは、小阪ちひろであり、中川かのんではないんですね。将来的に俺の人生がセンター試験科目になったら、頻出引っ掛け問題になるような気がする。
「問13.下線①に加入者達(メンバーズ)とあるが、その母体となった緩やかなキャラクター連合について、2013末年時点での構成員ではないものを次のうちから選べ。
 ①秋山優花里 ②中川かのん ③東横桃子 ④小阪ちひろ
みたいな感じで。まぁ、冗談はさておき。


なぜ今、中川かのんなのか。
それはまあ、先週の武道館ライブがあってのこと。女神篇の最終回から4年半。かのコン2ndから4年、神のみの完結から3年と少し。俺の中で、ようやく中川かのんのストーリーが区切りを迎えようとしているから。

 

かのんちゃんとの出会いは実は結構昔で…。このあたりは、昔の記事に詳しいですね。

keepbeats.hatenablog.com


遡ると結構前で高校3年のころのこと。高2の冬にハルヒを見て、「なんだよ、こんなにおもしろい世界があるのかよ」とアニメやマンガやライトノベルの世界に入ってきたばかりの自分にとっては、愛媛のテレビ東京系列、テレビせとうちが放送してくれるアニメがなんなのかというのは死活問題だった。
2010年の秋クール、テレビせとうちの放送枠にあったのが『神のみぞ知るセカイ』で、その中のヒロインのひとりの中川かのん。


恐ろしいことに、中川かのんとの出会いはもう7年以上も前のことになるんですね…。
神のみは、好きなキャラクターの遍歴がこれでもかと変わりまくっていた作品で、放送当初から言うと、
(1期放送時)→汐宮栞→エルシィ→中川かのん→(2期放送開始)→ハクア→小阪ちひろ→中川かのん→小阪ちひろ
と記憶に残っているだけでもこれだけ。

当時ことさらにピンク髪キャラクターが好きだったってのもあるかもしれない。

それ以上に、かのん編ラストのアイドルからスタア誕生の下りとかよかった…。

かつて一度売れずにグループ解散という経験をしたからこその不安を乗り越せて、スタア誕生。あれ良かったよね…。主人公の力も借りながらではあったけど、見事に経験から来る不安を払拭して、ステージに立つ。

それでいて、主人公への想いが蘇り…。まあ、このあたりは原作コミックを読んでいただくのが一番いいかもしれない。26巻とお求めやすくなっております。


こうして振り返ると、かのんちゃんとの出会いは、貴音と知り合う数年前でもあるし、多分自分が初めて出会ったアイドルキャラクターだと思う。
それだけに、接し方とか区切りのつけかたの面で、後に出会うキャラクターでうまくやっている部分についてことごとく悪手を打ってしまった面もあった。

 

話を中川かのんちゃんとの思い出にもどそう。
その後、原作コミック、テレビアニメと追いついていって…。2013年4月に行われたジョイントコンサート。発表された2枚のアルバムの曲を何度聞いたことかわからない。
そして、2014年2月に行われた中川かのん2ndライブ。
東山さんについてのブログ記事の中では、「私は中川かのんになれなかった」というMCについてのショックについて書いていたけど、この時もう一つの重大なことが起きていた。
実質的には、この公演が中川かのんが我々の目の前で歌うことになる最後の機会だったということに、最後のMCで気がついてしまっていたのだった。
カバー曲まで含めて、全部の曲を歌ったということについて触れたとき、ああ、これが引退試合だったのかという思いがよぎり、それは実のところ正しかったというのが、その後4年という月日がそれを証明している。

思えば、テレビアニメは女神篇をきれいに完結させ、原作も簡潔に向かっていく途上にある2014年2月に「3rdの発表とかこないかなあ」なんてのんきなことを考えながら、ライブに向かうバカがいるかと当時の自分を叱り飛ばしたい。
お前のそういう覚悟のなさが、不意打ちを食らってショックを受けるような形になってしまったのだ、と。
実際に当日のツイートとか見てると笑っちゃうんすよね。8時前後には終わっているのに、終演後最初のツイートは21時40分。「なんでさいたま新都心こんなに空いてんだよ…?」現実逃避してんじゃねえ。
簡潔に言うなら、別れの消化不良、ないしはピリオドを打ちそびれたとも言える。

 

今日が引退試合ですよ、と言われたらその選手のユニフォームを着て、それなりの覚悟を決めて球場に行くでしょう。
でも、ヒロインで実は今日で引退するんですと言われたら…。
いや、この例えは必ずしも正しくないな。それが引退試合になるかもという状況証拠はそろいつつあったのに、それが脳裏をよぎらなかったために起きた悲劇というか…。

いろいろな人が、中川かのんを見送ることを覚悟していた場で、俺は急遽その場に居合わせた格好になって、両手に紙テープもハンケチーフも持たずに見送ってしまった。

 

その消化不良感から4年。

 

先日の東山さんの武道館ライブで、かのんちゃんの曲を歌ってくれた。前回記事のライブ感想で、『そのとき「らぶこーる」と「ハッピークレセント」を歌ったのは東山さんだったのだ』というい旨のことを書いた。


ただ、らぶこーるの歌い出しのときの東山さんの感極まり方。イントロが流れたときの武道館の会場の熱狂、喝采と感激。レーベルの壁を超えてこれを実現するにいたった経緯。
色んな人が中川かのんに再び会いたかったろうし、その歌を聞きたがっていた。
その結実として、あの日のアンコールがあったんだと思います。それは東山さんのソロライブとしては初のアンコールであり、中川かのんにとっては4年越しの、ダブルアンコール。
あの日、今昔の相棒たちとともに、かのんちゃんも武道館舞台袖で見守っていたことでしょう。もしかしたら、最後の方は手を引かれてステージに立っていたのかもしれない。
4年前は自分が引っ張っていた相棒に、今度は手を引かれて、こちらのセカイでも鳴沢臨海ホールを制圧しにやってきたのかもしれない。
それは結局のところ当人たちにしかわかりません。

 

 

ただ、自分として言えるのは、おかげさまで、4年間の思い残しがやっと解消されました。
かのんちゃんにお礼も言えた、これが最後かもしれないという覚悟を持って、二曲を聞くことができた。

何事にも終わりを認められない自分ですけど、やっと区切りを認めることができました。


ああでもない、こうでもないとテキストパットに向かい合うこと、3週間。
実はいまここを書いているのは3/3の19時過ぎ。
本日は中川かのんちゃんの誕生日であります。おめでとう。
なんとか誕生日の今日までには、言葉をまとめなければ…と、もう隠し事はなしじゃ、と思いを吐露した次第であるわけです。


自分にとって新しいセカイを開いてくれたし、あなたの楽曲に救われること数多ありました。
今年はColorsのラストナンバーが自分のテーマソングになることともなっております。
区切りはついても、別れってわけじゃないんだ。

 

どうかこれからもよろしく。