人生、東奔西走

自分の人生の備忘録のつもりで作りました。

おひとよしのブルース

この一週間はまあ忙しくて、部屋に帰ってきても、飯食って風呂入って寝るくらいしかやってなかった。

おかげで、週の初頭にとある思い出が蘇って書きたいと思っていたことが結局この土曜深夜になってしまったわけで。

今日はそんなことについて記録を。

 

 

親の教えというものは別段、絶対のものではないけど、人生において特に幼年期とか、児童・生徒時代には少なからず影響があるものだと思う。

結局受け入れたり受け入れなかったりしたものも種々あるけど、相容れないなと思った母の言がありまして。

「人がいいと言われるのは、馬鹿にされているということだから、いい人と言われることに意味はない。」

というものです。

 

つまるところ、人がいいと他人から褒められたとしても、それはいいように使われるだけなので、真に受けてはいけないし、もっというなら、おひとよしという意味で貶すニュアンスさえ含んでいるというものでした。

この言葉を最初に聞いたのは確か小学校中学年くらい、その後高校に至るまでちょくちょくこうした発言を聞いてたんですけど。

まぁ、結論から言うと、まったく相容れなかったわけです。

 

僕の考えとしては「えっ、いい人と思われたいじゃん」というのがあってですね。

とどのつまり、それが結果的に自分にマイナスになろうが、そのときに「他人からいい人と思われるであろう行動を取った自分」に酔いたい、という自己承認欲求の塊みたいなものがあって。

まぁ、当時20年も生きていなかった僕と、40年以上生きてきた母の間には人生観の隔たりというものがあって当然だとは思いますが。

それでも、まぁ、人から「あいつはまぁ、いいやつだよ」と言われるようになりたいとは思ってましたよ。多少自分が割に合わないことになっても。

 

そこから、10年近くたった現在。

正直、今になっても、そういう「いいやつと思われたい」願望は消えていませんが、それだけでは生きていけないということにも徐々に気が付き始めて。

なるほど、下手にそういうことばかりしていたら人に利用されることもあるっていうのがわかってきました。

それでもまぁ、自分の願望に素直になりたくて、世界人類の中で善人寄りの方にいたい、というようなアバウトなくらいの目標に。

つまり「ワルモン」ではなく「イイモン」でいたいんだろうなと。

そして、それは人のためじゃなく、善人よりにいる自分というもので、自分を規定したい自分自身のためなんだろう、と。

 

 

いや、ふと昔、親にこんなこと言われたなというのを思い出したら、なんだか無性に腹が立ってきたので、それの発散です。

これからもずっと善人の皮を被って生きていきたいと思います。