人生、東奔西走

自分の人生の備忘録のつもりで作りました。

2017-5-7 【○E3-2L●】 きっともうなにもいらない

パソコンもってくるのがめんどくてスマホで更新してるため細かな体裁は後ほど編集するとして。

今日の試合を感情のままに振り返りたいと思います。

 

さて、とうとうやってきた対岸孝之戦。

勝ってればこの気持ちはどうにか変わっていたんだろうか。ロッテ戦で移籍後初勝利を挙げたを見た時のスッとわだかまりが解消して行くよう気持ちは嘘だったのだろうか。

考えれば考えるほど、自分の気持ちというものがわからなくなってきている。

涌井は許して、帆足を許して、片岡を許して、岸だけ許さないというのは、まぁ義理がたたない。それにたぶん許すとか許さないというそういう感情でもない気がする。

 

なんかこう、スッキリしないのだ。

今、ライオンズには先発が足りない。もしとかたらればというifの話をしても仕方ないといつのはわかってるが、岸がいれば状況はだいぶ違ってきたと思うのは仕方ないことではないのか。

 

FAについては選手の権利。引き止められない球団にも問題はある。

そもそも岸の移籍についてはマウンドの改修やら年俸面の折り合いやらもろもろあったというのもわかってる。わかってるが、じゃあそんなん一ファンの俺になにができるというのか。

金も出せない、マウンドの改修もできない俺にはただ指をくわえて見ているしかないじゃないか。まぁ、プロ野球のファンなんていうものは俺に限らず、西武に限らずそんなもんだと思うけど。

 

で、その感情の帰結がブーイングになるのだろうか。

ブーイングをする感情に共感はできないけども、理屈として理解はできる。

ただ、野次は別だ。あんな個人攻撃みたいなことをしかも負けた後のヒロインでやるというのはみっともない。余計に惨めだ。つまみ出して出禁にしてほしい。

 

昔、涌井にブーイングしている西武ドーム外野席の一団を見てからというもの、どうもブーイングには否定的な見方をしてしまう。なんとなくそれは感情の行き場がなくなった末のどうしようもない悲鳴のようなブーイングではなく、ブーイングしてやったぜといういわゆる「これがプロスポーツの厳しさってやつダゼ」とでも言いたげなカッコつけたものを感じてしまった。

もちろんそのとき自分が見た一団が偶然そんなだったんだとは思う。

でもまぁ、見てしまったんだから仕方ない。

それ以降ブーイングがどうも肌に合わない。

 

ブーイングも祝福もできない自分の宙ぶらりんのこの気持ちはどこにぶん投げてしまえばいいのか、どういう名前のものなのか。

教えてくれる人がいるなら教えてほしい。

 

西武ドームで西武相手に投げる岸孝之という存在を見てしまった時に、なんかこう自分の中でどす黒い感情が芽生え始めたような気がしてならない。

感情の獣になりたいわけじゃかいが、理性の怪物として白けた顔をしていたいわけでもない。

 

この問題の程よい落とし所を探している。見つかるのだろうか。また岸を応援できる日がやってこない。

見つけなければ。